公式 平野圭太ファンクラブ

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公式 平野圭太ファンクラブ

#2  全国統一模試、決勝大会の会場は、水を打ったように静かだった。  いま誰かが唾を飲んだら、きっとわかる。  それほどの静けさの中  僕には波の音、風の音が聞こえた。  それはエンジェルと出会った時の音だ。  彼が創造した、バーチャルリアリティの世界。  そして、僕の脳の中で  鍵が外れる音が聞こえた。  エンジェルが格納した情報が、溢れてくる。  同時に僕の意識は薄れていった。 「はじめまして、平野圭太です。  この場に立てたことを光栄に感じます。  そして、この場を借りて  伝えたいことがあります。  世界から、病が消えている現象についてです。  これはとても危険なことの前兆です。  そして、僕は知っています、  世界から病が消滅している理由を」  会場がざわめく。  組織委員らしいスーツを着たスタッフが狼狽える姿も。  しかし、僕は夢の中にいた。  現実のことのようで、リアリティが気薄だ。自分の言葉なのに、自分で話している気がしない。 「病を消滅させた張本人は、IFUのマッドブレインです。マッドブレインとは、AI脳を持つ異種ヒューマンです。彼らは」  会場に響いていた自分の声が、突然、ぷつりと消えた。  マイクのスイッチが切られたとわかった。  司会者の声が響く。 「えー誠に申し訳ありません。平野圭太さんのスピーチの途中ではありますが、予定時間を大幅に過ぎていますので、この辺で次のスケジュールに移りたいと思います」  僕は切れたマイクから口を話し、叫んだ。 「ちょっと待ってください、まだ話は終わっていない!」  しかし、僕の声をマイクを通した司会者の声がかき消す。 「それでは、隣の部屋にみなさん移ってください。美味しい昼食をご用意しております。スタッフがご案内致します」  学生たちは、ステージの僕を気にしながらも、出口にぞろぞろと動き出す。 「おい、待てよ、話を最後までさせろ!」  必死で叫けぶ僕の左右の腕が、ぐいっと取られる。見ると、スーツ姿の黒服のスタッフだった。 「平野君、もう終わりです。ステージを降りてください」  僕は抵抗して、掴まれた腕を振り解く。 「人の話を途中で切るなんてどういうことだ!」  自分の語気の強さに自分がでもはっとしたが、体中から怒りが吹き出してきて、完全に理性を失っていた。 「時間がないんです。ステージを降りて、隣の会場に行ってください」  僕とスタッフはステージの上で揉み合う。 「圭太!落ち着いて」  振り返ると、ニチカがステージの上にいた。彼女は僕の腕を掴むスタッフに一喝した。 「彼の腕を離しなさい!」  その声はマイクを通すより会場に響いた。ニチカの剣幕に、スタッフがビビって手を離す。  ニチカは僕に近づくと、腕を取った。 「圭太、落ち着いて。大丈夫、ね、大丈夫だから」  彼女の言葉で、熱した僕の頭がすーっと冷めていくのがわかった。  頭の中の扉が閉まる感覚を感じた。  夢から覚めたように、僕は自分を取り戻し、スタッフに頭を下げた。 「す、すみません」  ニチカが僕の背中をそっと押す。  僕たちはステージから降りた。 「平野君、大丈夫?」  心配そうな顔をして近づいて来たのは、サリーを着たさくらさんだった。そして、僕の隣にいたニチカをチラッと見ると、口角を上げて会釈をしたので、僕はすかさず言った。   「同級生です」  ニチカを見る。まるで威嚇でもするようにさくらさんを睨んでいた。想定内。 「ニチカ、こちらは・・・」 「日下部・ガネーシャ・さくらです」 「誰なの?」  ニチカはぶっきらぼうに言って僕を見る。 「ほら、統一模試で2位だった人だよ」  ニチカは、ふーんと言ってから 「天神ニチカです。同級生でもあるけど、圭太の彼女です」  さくらさんが、目を見開く。 「さ、ニチカ、食事に行こう」  僕は慌てて彼女の背中を押す。嫌な予感がしたからだ。 「押さないでよ」  ニチカは文句を言ったが、僕はさくらさんに愛想笑いを浮かべ、会場を出た。 「何よ、美人にデレデレしちゃって」  歩きながらニチカが膨れっ面をする。 「してないから」 「してた!」 「はいはい、ごめんなさい」 「またすぐ謝る」  振り返ると、さくらさんが眉を上げ、クスクスと笑っていた。彼女の後方に男子学生がいたようだが、さくらさんに隠れて顔はよく見えない。    僕はニチカを宥めながら、隣の会場に入った。  昼食会場には、ビュッフェ形式で食事が整然と並んでいた。円卓が広い会場あちこちに置かれ、三方の壁には椅子も置かれていた。  アナウンスが流れる。 「それではこれから90分間ではありますが、食事をしながら、歓談の時間とします。みなさんライバルではあるとは思いますが、これからの日本の未来を作っていく有望な若者ばかりです。交友を深め、ぜひ、有意義な時間になれば幸いです」  アナウンスが終わると同時に、室内楽の演奏が会場を華やかに盛り立てた。ヴィバルディの『春』。 「圭太、何食べる?」  ニチカは僕の腕を取る。学校では絶対にしないので、物凄く恥ずかしい。ここにはメガブーもいるし、同じ学校の生徒2人もいる。  付き合っていることは隠しているので、僕はニチカの耳に囁く。 「腕なんか組んだらバレるよ」 「バラす!」  断言するように言ったニチカの言葉に、眼を丸くして、はあ?と声を上げた。 「やっぱ隠してるのはイヤだもん。堂々としてよう」  彼女が僕を見上げる。その強い視線に逆らえる気にはとうていなれなかった。 「了解っす」 「軽いなぁ、この男」 「了解致しました女王陛下!」  僕は敬礼してみせた。  睨んでいたニチカが、ぷっと吹き出し、僕の手を恋人繋ぎでギュッと握った。  手を繋いでいるカップルなんて僕たちだけだったが、もう開き直るしかなかった。  一流ホテルのビュッフェとあって、高級そうな料理が整然と並んでいた。その場でシェフが調理するコーナーもあり、自分が何をしに来たのか忘れそうになるほどだ。 「さすがヒルトンね。まぁ、高校生には、だけど」 「それ、皮肉?」  僕の前に並ぶニチカに尋ねる。彼女は手にしたプレートに皿を置きながら、それなりにってこと、と答えた。  ニチカは高級なものは食べ慣れているんだろう。  考えてみれば、本当に美味しいものを食べた経験がは必ずしも人を幸せにするとは限らない。  なぜなら、それ以下のものはすべて普通以下になってしまうからだ。高級料理を食べたことのない僕にとっては、何を食べても美味しいのだから。  ある高名な編集者の本にこんなことが書いてあったことを思い出す。 『グルメなんていうのはね、  口が卑しいだけなのよ。』      グルメブームに警鐘を鳴らすような言葉だと思ったし、なるほどなぁとも思った。  その人はかなりの高齢で、生活には何不自由なくひとり暮らししている。築60年以上のかなり老朽化したアパートにひとりで暮らし、最高の粗食を楽しんでいると書かれていた。  お坊さんもある意味粗食だ。だから、僕たちからみたらあれだけで満たされているのだろうかと思うが、おそらく彼らは充分に満たされているのだろう。 「報酬予測誤差か」  つい口に出た。  ニチカが、なんか言った?と聞いたので、何でもないと答えた。  報酬予測誤差とは、ドーパミンの問題で、人は美味しいものにも慣れてしまえば美味しいとは思えなくなるというものだ。  予測を上回ることでドーパミンが出て、快楽を感じるという仕組みだ。  お坊さんはドーパミンが出ることを限りなく抑制しているから、粗食も御馳走になっているといえる。  限りないもの、それが欲望。  井上陽水というアーティストの古い歌に、そんな歌詞があったのを思い出す。    そんなことを考えながら、僕とニチカは壁に並んだ椅子に隣り合って座った。  チラッとニチカの皿を見る。  彼女の皿には山盛りのサラダとパンしか乗っていなかった。それとは対象的に僕のプレートには皿が3つ並び、すべての皿にはてんこ盛りに料理が盛られている。  いま僕の脳からはドーパミンが出まくりだ。  ひょっとしてニチカはグルメが故に、あえてそれを抑制して、報酬予測誤差の値を下げているのか。 「それだけ?」  ニチカの皿を見て、思わず口から漏れた。 「だめ?」フォークでサラダをつつきながら彼女は僕のプレートを横目で見る。「圭太、盛りすぎよ。この後、テストだよ」 「うん、でもさ、せっかくなんだし」 「また寝ちゃうよ」 「確かに」  そう言ったが、僕は料理に食らいつく。腹が減っては戦は出来ぬだ。 「見て、メガブー」  ニチカの言葉に、彼女の視線の先を追うと、堂々としたメガブーがいた。彼は手にグラスを持ち、なんと、さくらさんと話していた。彼はすごく嬉しそうだ。二重顎が、見事な三重顎になっている。  ニチカが皮肉たっぷりに言った。 「鼻の下伸ばしちゃって。完全にあのひとにロックオンだね。こわっ」  メガブーはニチカを諦めた、と僕は思った。  手を繋いで歩いているんだから、それくらいわかったのだろう。それで、さくらさんに一目惚れし、新たなターゲットにしたに違いない。  メガブーはもう恋のライバルではなくなったというだけで、気が楽になった。  さくらさんには、申し訳ないが。 「メガブーに幸あれ」  僕の言葉にニチカが笑う。 「でもあれじゃあ、ホテルの支配人にしか見えないけどね」 「確かに。ホテルの支配人として話してるんじゃないのかなぁ」 「お客様、お料理の味はいかがでしょうか?」 「とっても美味しいですわ、支配人」  僕たちはふざけて笑い合った。  それでも僕はある面で、メガブーを羨ましくも思っている。  あの物怖じしない態度は、IQの高さや成績の順位より、社会に出たらよほど価値があるんじゃないかと思うからだ。  僕にはそれがまったくない。  メガブーが医者にならなかったとしても、きっと成功するだろう。 「さっきはマジ、ちょっとびっくりした」  突然、ニチカが呟くように言った。 「ステージのスピーチのこと?」 「こんな私でもヤバいって思っちゃった。それってよっぽどだよ」 「うん、だね」  僕はステージに立つ自分を思い起こす。  記憶はおぼろげだ。  自分が言っただろうことは、霧が晴れるように消えてしまったのだ。 「何を言ったか、よく覚えてないんだよ。病の消滅の話だったってことくらいで。変な話しだけど、なんて言ってた?」  ニチカは自分の顎を片手で支えるようにして、遠くに視線を向けた。 「そっか。っていうことは、エンジェルが格納した情報の扉が開く時は、圭太の意識は阻害されるのだね」  僕はニチカの言葉を推敲してみる。  それはまさに夢だ、と。  夢といえばフロイトだが、僕はフロイトには懐疑的だ、ユングの考えの方がずっと共感できるからだ。    フロイトは夢の象徴から無意識下にある願望や不安を判断する夢判断と呼ばれる方法を唱えていた。  夢は無意識による自己表現であるとし、その人の潜在的な願望を充足させるものとして考えていたことから、夢を分析することでそれを明確にできると。  その考え方は、時にすべて性的なものに結びつけようとするところがあり、その辺りが僕には抵抗がある。しかし、無意識が夢を生んでいることは、正しいだろう。    ということは、エンジェルは情報を僕の無意識に埋め込んだのかもしれない。  無意識は人間の行動の90%を支配しているのだ。膨大な情報を格納するには、無意識ほど都合のいい場所はない。  つまり、エンジェルの情報を口にしている時、僕は夢を見ている状態にあるのかもしれない。白昼夢というべきか。だから意識が戻った時、夢から覚めたように記憶が淡くなっていく、と考えれば納得できる。 「で、僕、なんて言ってた?」 「うん。病を消滅させたのは、IFUのマッドブレインだって。マッドブレインは、AI脳を持つ異種ヒューマン、ってとこでマイク切られた」  自分が言ったことなのに、やはり、IFUだったのか、と思った。  しかし、あのメッセージの内容、遺伝子を組み換えたという内容は証明されなかった。  どういうことだ? 「こんにちは、お隣、いいかしら」  その声に、顔を上げると、ピンクのサリーが目に止まった。さくらさんだ。  彼女は手に料理を持ったプレートも持って立って微笑んでいた。そしてもうひとり、廊下でチラッと見えていた男子学生もいた。  さくらさんの後ろに隠れるようにして、青いポロシャツを着た、気の弱そうな、整った顔をした男子学生だ。よく見ると、すごい美少年だ。  こんなに綺麗な顔をした男子高生は見たことがなかった。テレビでよく見る人気モデルよりもずっと整った顔立ちをしていて、肌はスベスベで、チラッと僕を見たその目の澄んだ輝きに、ドキッとするほどだ。 「どうぞどうぞ」  僕は自分の隣を手で指す。 「青君もいいかしら」  彼女は背後にいた青いシャツの青年を見る。  青君と言われた学生は、ずっと視線を床に落としたまま、深々と頭を下げる。  さくらさんが言った。 「彼はクラスメイトで、仲良しなの。青君、憧れの人がいるわよ。ご挨拶したら」  まるで母親が息子を紹介しているようだ。  ん、憧れの人・・・?  彼はすごすごと前に進み出る。肩をすくめ、身を硬くしている姿は、叱られた子どものようだ。 「海馬青と申します。よろしくお願い致します」  その声に、僕はちょっと面食らう。男性とも女性ともつかない違い声だった。声変わりしていないのだろうか。  世の中には、数は少ないが声変わりしない、変声障害と呼ばれる男性がいると聞いたことがある。 「お言葉に甘えて、座りましょ」  さくらさんに促され彼は、はいと頷くと、さくらさんの向こう隣に座った。  僕は横目でニチカをチラッと見る。  彼女はブスッとして、遠くを見ていた。さくらさんたちを見ようともしていない。完全に対抗意識を燃やしているのは見え見えだ。  先が思いやられる、と内心思った。  さくらさんが僕のプレートに目を落として、クスッと笑った。 「この後、テストだから、眠くなるといけないので控えないと、と思ってたんだけど」  僕は頭を掻きつつ、エヘ、と笑った。 「平野君には満腹も無関係って感じ?」 「食べ盛りなもんで。ハハ。でもすぐ寝ちゃうから気をつけよっと」  ニチカがボソッと呟く。 「絶対、寝る」  さくらさんが顔を傾けてニチカを見た。 「それほんとかしら」  ニチカは大きく頷いてから言った。 「でもそれは満腹なんじゃなくて、問題が簡単すぎるから。でしょ?」  ニチカに見つめられ、僕はふぅと息を吐く。その通りだけれど、それを言うとイヤミになるので、ただヘラヘラしていると、さくらさんが遠くに目を向けて言った。 「柏崎健一郎さんね、僕も平野君と同じ学校ですって言って話しかけて来たの。1、2年はずっと学年1位だって言ってた」  柏崎健一郎?メガブーか。  すかさずニチカがツッコむ。 「メガブー、哀れだわぁ。過去の栄光に縋ってる」  さくらさんが、メガブー?と言って、体を揺らして笑った。 「ナイスなニックネームね」 「私がつけたのよ」 「ニチカちゃん、センスいい!大好き」  さくらさんの言葉に、ニチカが戸惑うのがわかった。  大好き、と言う言葉が、なんだか特別なニュアンスがあったからだ。  料理が並んだ列にメガブーがいた。彼は視線だけこちらに向けていた。聞こえたかと思い、視線を逸らす。  さくらさんが顔を傾け、また、ニチカに話しかけた。 「天神ニチカさんって、あの天神グループのお嬢様なんでしょ」 「うぃーす」 「すごーい!こんなに可愛いお嬢様、私初めて見た。天は二物を与えるのね」  さくらさんの言葉に、ニチカはまんざらでもない顔をして、遠くを見たまま。ピースサインを出した。  彼女の辞書には、謙遜という言葉はないのだ。   「さくらさんだって、天は二物を与えたって感じだけどなぁ」  僕がそう言うと、ニチカが脇腹を肘でグイッと押しできた。 「イテテ」 「お世辞はけっこうです。それより、こんな可愛い女の子と出会えて嬉しいな。ラッキーって感じ」  さくらさんの視線はずっとニチカを見ている。目がハート、とはこのことがと思うほど、見つめている。       なんだか様子がおかしい。  さすがにニチカも目をパチクリさせ、どうしていいかわからないというように、僕の顔を横目で見た。  さくらさんが、僕に耳打ちする。 「私ね、恋愛対象、女子なの。特に可愛い女の子が大好物」  その耳打ちは、ニチカにも聞こえたようだ。  僕とニチカは同時に顔を見合わせる。   「それって、冗談じゃなく?」  ぼくの言葉に、さくらさんが大きく頷く。  予想だにしていなかった展開だ。    ニチカとさくらさんのバトルをずっと心配していたのに、まったく見当違いだった。  性的マイノリティ、LGBTQ。  いや、今どきはマイノリティではないかもしれない。多様性を認め合う社会、という言葉が頭を過ぎる。  ニチカはさっきまでとうってかわって、さくらさんが言った言葉をどう受け取っていいか戸惑っている様子だ。僕だって同じだ。  さくらさんは続けた。 「それからね、青君は」  さくらさんは、隣に座っている美少年の男の子を横目で見る。 「青君、言っていいでしょ」 「でも、嫌われるよ」  小さな声だったが、そう聞こえた。 「そんなことないって。絶対ないよ、ね」  ふたりで何か話し合っているのを、僕とニチカは静観した。  やがてブルー(僕は彼をそう名付けて記憶した)は、いいよ、と蚊の鳴くような声で言った。  さくらさんが僕を見る。 「青君の了解が出ました。実は彼の恋愛対象は、男子なのでーす」  再び僕とニチカが顔を見合わせる。さくらさんはさらに、僕を混乱させることを囁くように言った。 「そして青君は、平野君の大大大ファンなの」 「さくらさんったら!」  ブルーが頬を膨らませる。その滑らかな肌の頬が微かにピンクに染まっていた。  可愛い、と一瞬、思ってしまった。    なんだかややこしいことになってきたぞと僕は思ったが、トランスジェンダーはいまやもうみんなが大っぴらにしているんだなと思った。  さすが東京というべきか、さすがインターナショナルスクルールというべきなのか。  今年中には、同性婚も認められるようだし、社会は大きく変化している。  恋愛対象が同性であっても、いまやなんら驚くべきことではないと頭では思ったが、目の前にそんな2人がいると、それまで出会ったことがなかったせいか、やはり戸惑いは隠せない。 「驚かせちゃったみたいで、ごめんなさいね」  さくらんの言葉に僕とニチカはほぼ同時に、ノープロプレム、と言って、互いの顔を見た。 「そのサリー素敵ですね」  話を逸らす意味もあって、僕は言った。 「ありがとう。初めての決勝参加なんで、正装にしてみた」 「初めて!?」  確かに決勝戦の順位にさくらさんの名前はなかった。 「うん、事務局からは毎回、出てくれって打診があったけど、なんだかバカバカしいイベントもあるし、自分が広告塔のような役目をしているんじゃないかって思えて、参加しなかった」 「でも今回は参加した」 「そりゃ、平野圭太という天才が参加するってわかったからよ。世界一のIQを持った人に是非会って見たかった。というか、戦ってみたかった。それに」と、チラッと横目でブルーを見た。「平野君に会いたいって人もいたしねぇ」  ブルーはもじもじして、俯けるだけ俯く。  ぜんぜん話は違うけどと、さくらさんか話し出す。 「病がなくなったのは、IFUのマッドブレイン?だと言ってたけど、あれ、本当なの?」 「それが、よくわからないんだ」  さくらさんが小首を傾げる。   「この話は説明が難しいので、ごめんなさい」  僕は口を閉じる。 「じゃあ、時間がある時に教えてちょうだい」  僕はさくらさんを見る。彼女はやわらかく微笑んでいたが、その眼光は強く輝いていて、絶対に教えてね、という無言の威圧感を感じた。 「ん?なに、青君」  さくらさんがブルーを向く。彼が何か言っているようだが、あまりの小さな声にまったく聞こえなかった。  さくらさんは僕に顔を向ける。 「青君がね、凄く珍しいんだけど。LINEの交換してしてほしいなって」 「え、僕と?」  さくらさんが頷く。  それにしても、彼は相当の照れ屋なのか、それとも別の理由があるのだろうか。すべて、さくらさん越しの、まるで通訳者を立てて話しているようだ。  横目でニチカを見ると、いんじゃない、という表情をして小さくて頷く。これが女子だったらニチカは絶対に顔を横に振っていただろうと思ったが、トランスジェンダーとはいえ、男子だからいいかと思ったのかもしれない。  僕は、いいですよと、ケータイを出した。  さくらさんが、彼からケータイを受け取り、僕たちはバーコードを使ってLINEを交換した。  彼のLINE名名前は、Blueだった。 「ブルーってひょっとして」  僕がそう言うと、さくらさんが答えた。 「彼ね、青が大好きなの。だからBlueなんだよねぇ、青君」さくらさんはそう言うと、今度はニチカを見て言った。「じゃあ、ニチカちゃん、私なちも交換しよー」  ニチカは気軽にケータイを差し出す。 「そうだ!この4人でグループLINE作っておこうよ!」  さくらさんの提案で、僕たちはグループLINEを作った。  届いたグループLINEの名称は、  『公式平野圭太ファンクラブ』だった。 「このグループ名、恥ずかしんですけど」  そう言ったが、さくらさんは、本当のことだもんと肩をすくめ、にっこり微笑んだ。  僕たちはそれぞれグループLINEにメッセージをおくった。  ニチカは変顔をしているウサギの絵文字。  ブルーからは、よろしくお願いしますと丁寧なメッセージが来た。  僕は、さくらさんたちがカミングアウトしてくれたということもこともあるが、自分の欠陥の話しをした。つまり、人の名前が覚えられないことを。  それで自分なりのニックネームをつけて覚えていることも。   「ブルーって呼んでもいい?」  僕の言葉に彼は、口元を緩め、うんと頷いた。男子なのに、彼の所作は女子のように可愛らしいかった。  彼は、はにかみながらも言った。 「ほんとはね、シアンが好きなんだ。シアンは青寄り少し儚く思えるし、日本語の思案にも通じるでしょ」 「なるほど。じゃあ。シアンって読んだ方がいい?」 「ううん。ブルーでいい。ブルーは憂鬱のブルーにも通じるしから」  憂鬱。    その言葉に、ブルーには複雑な経歴がありそうだなと感じた。    僕は、Xと送った。  さくらさんがケータイから顔を上げ、僕を見る 「なんでX?」 「意味はない。無限?子どもっぽいか」  ふうんとさくらさんは言って、ヒンディー語を送ってきた。  それは、負けず嫌い炸裂のメッセージだった。 『テストで勝つのは私よ!』  ユーモアも含まれているとしても、交戦的なことは確かだ。  ニチカが、読めないよ、と言うので、教えてあげた。チラッとブルーを見る。彼はどうやら読めているようだった。 「彼ね、ここだけの話だけど、平野君と同じなの」  なんのことか、すぐにわかった。 「ギフテッド?」 「そう。でもカミングアウトしてないんだよね。トランスジェンダーもしてないし、ちょっと複雑でしょ。それに彼、いろいろあるから」  僕のケータイにメッセージを知らせるパイプが鳴った。ブルーだった。 『僕は、場面寡黙だから、あまり話せなくてごめん』  なぜ、さくらさんが通訳のように話をしていたのか、やっとわかった。  場面寡黙は、特定の場面、学校や人の集まる場所で話すことができなくなる精神疾患のひとつだ。選択性緘黙とも呼ばれていて、生活場面全体にわたって話すことができない全緘黙という人もいる。  けっこう大変な疾患なのに、あまり知られていない。  そんな人に会うのは、初めてだった。  僕も彼にレスした。 『話してくれてありがとう。  僕はADHDのグレゾーンでコミュ障です。  名前も覚えられないし。  いろいろ課題あり友達として、  よろしくお願いします』 『ありがとう!友達と言ってくれて、  すごく嬉しい』  僕とブルーがずっとケータイをいじっているのを、さくらさんとニチカが覗き込む。 「青君、こっそりLINEしないでよ」  さくらさんがそう言うと、ニチカも 「そうだよ、グループLINE作ったのに」 と、口を尖らせた。  さくらさんがそんなニチカを見て、 「やだぁ、可愛い唇!」  と声を上げ、僕たち4人はそれぞれ顔を見合わせて笑った。  住み慣れた田舎町から、都会へ出るのは正直、抵抗があった。  しかし、さくらさんとブルーと出会っただけなのに、自分の世界が無限に広がって行く感覚を、僕はその時、ひしひしと感じていた。  
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