黒髭

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黒髭

#4  昼食の90分はあっという間に終わった。  アナウンスがあり、全員、試験会場へと移動する。  食事の部屋から出た時、廊下でスタッフらしき黒服スーツ姿の2人組が明らかにこちらに向かって歩いてくるのが見えた。  1人はかっぷくのいい男性で、口髭を生やしていた。その少し後ろには、若い男性がしもべのようについている。  彼らは僕の前まで来るとぴたりと足を止めた。  髭面男性は、儀礼的に口角を上げたが、目は笑ってはいない。こういうタイプはだいたい、腹黒い。偏見だだけれど。  彼は一礼すると、僕に名刺を差し出した。  名刺にはこう書かれていた。    株式会社I&I代表    全国統一模試実行委員会会長    大黒摩季男  僕は読み上げた。 「株式会社インターナショナルインテリジェンス、おおぐろまきおさん」  彼は目を細め 「正式な社名を知っていただいていて、光栄です」 と、野太い声で言う。知っていたわけじゃない。そう読み取るのが普通だ。  彼を名前の一部と髭から、黒髭と命名する。 「決勝大会に参加してくれてありがとうございます。平野圭太さんの参加に、スタッフ一同、大変喜んでいます」  僕は、はい、と聞こえないくらいの声で返事をする。ニチカは気を使ったのか、僕から少し離れた場所の廊下に立ってこちらを見ていた。  黒髭がチラッとニチカを見たが、すぐに僕に向き直った。 「今回は、平野さんの話題で持ちきりでね、我が社もマスコミからの対応で大変なんですよ。ハハハ」 「ご迷惑をおかけしてすみません」 「いやいや、誤解しないでください。嬉しい悲鳴なんです。こんなに注目を浴びるは創業以来ですからね。ありがとうございます」  何を言いたいのやらと思いながら、チラッと廊下で待つニチカを見る。彼女はぺろっと舌を出した。僕をリラックスさせようとしているんだなと思った。  ニチカのこういう気配りを、僕はとても感謝している。彼女は表面に現れる行動より、ずっと繊細に気配りをしていることを、僕は知っている。 「手短に話します」黒髭が口を開く。「明日のイベントですが、不参加となっていますが、何か重要な用事でも?」  その話か、とうんざりする。 「はい、残業ですが」  まさかディズニーランドに行くとは思ってもいないだろうし、僕も言えない。用事の重要度は個人によるものだ。僕にとっては、ニチカといる方が、しょうもないイベントより、優先度は高い。  会長はちょっと思案気な表情をしてから、なぜか僕に耳打ちするように顔を近づけた。整髪剤の香りがキツい。息を止める。 「明日、イベントに参加していただけたら、特別な謝礼をご用意しています。ですから、ぜひ」 「謝礼って、なんですか」  僕はあえてありていに聞く。彼はさらに顔を近づけたので、自然に顔を引く。 「ちょっとここでは言えませんが、ご満足いただける金額です」 「現金ですか」  僕の声に黒髭は、辺りに目を配った。  僕一人を参加させるため、高校生に現金を渡す会社。明らかに真っ当じゃいと思った。それだけの見返りがあると見込んでのことだろう。  人寄せパンダ料だ。  僕は貧しいが、お金に執着はない。  僕はキッパリと言った。 「残念ですが、何度もお断りしていますので、イベントには参加しません」  しかし、会長は引かなかった。 「なるほどですね。だとしたらぁ、うーん、ご提案です」  もう何を言っても無駄なのにと、メッセージを込めて腕時計を見る。試験まで10分に迫っていた。  会長は言った。 「どうでしょう。イベントに、10代サミットというコンテンツを入れるのは」  その言葉に、心が動いた。 「なんですか、それ」 「上位成績者が、世界で起きている現在の問題点を議論する場です。テーマは平野さんが決めてもらってけっこうです。番組は多くの視聴者が見ていますから、平野さんのメッセージも届けることができるはずです」  10代サミット。  魅力的な提案だった。  10代がいまの状況について話し合うことも有意義だし、それをマスメディアを通して伝えられるのは、そんなにできることじゃない。  会長が本当にそのサミットに何かを期待しているとは到底、思えなかったが、僕の心は間違いなく揺れた。  黒髭から離れると、ニチカが駆け寄って来た。 「圭太、なんだったの?」 「それは後で」 「なによ、話してよ」 「話すと長くなるし、急がないとテストに間に合わないよ」  ニチカは僕の手を繋いで振り回してながらブーブー言ったが、ディズニーに行けなくなるかもしれない話を言うタイミングではないと思い、黙々と試験会場へ急いだ。  僕の席は一番後で、ニチカとは離れていた。さくらさんとブルーもバラバラに座っていた。  チンと、ベルが鳴った。  入り口から試験用紙らしき束をもったスーツ姿の中年の男性が入って来る。  その瞬間、僕は彼の顔を知っている、と思った。  しかし、誰かは思い出せない。  彼は教卓の前に用紙を置くと、僕たちを見る。 「これから、全国統一模試決勝大会の試験を行います。教科はお伝えしている通り、数学と国語と英語の3教科。すべて100問あり、配点は1問1点です。試験官が随時回っていますので、不正のないよう気をつけてください。もちろん、私語は一切禁止です。筆記用具などを不用意に落とした場合は、規定によりそれらは没収されますので気をつけください」  声も聞き覚えがある。  気のせいぁろうか。  記憶を手繰るが、どうしても思い出せない。  チラッとニチカを見たが、ニチカは筆箱を開けるのに懸命そうだった。キラキラした草食がしてあり、おそらく今回のために新調した、ハイブランドの物なのだろう。 「テスト用紙を試験官が配りますが、スタートの合図があるまで手は膝の上でお願いします。試験時間は60分、早く終わった生徒は挙手してください。試験官がテストを回収し、その方は隣の部屋までご案内しますので、そちらで待機してください」    開始のベルが鳴らされた。  こうして、最初のテストが行われた。  数学。  3枚のテスト用紙には100問、びっしりと問題が並んでいた。1枚目は数式、2枚目、3枚目は文章問題だが、データやグラフが大量にあり、分析能力を問われるものばかりだ。計算問題に手間取っていたら、到底、分析問題は間に合わない。  高校生の範疇の勉強ではどれも絶対に解けない問題ばかりだ。  鉛筆を持つ。  僕は、脳のアクセルを踏んだ。  いつもより、強く。
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