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「せめて日陰でご覧になってはいかがですか?」
私の部屋に戻ってきた矢野が、背後から声をかけた。
彼はバルコニーの隅にあるパラソルの下の白いテーブルセットを私に示した。
天気の良い日にはそこでケーキと紅茶を味わうこともある、私のお気に入りの場所だ。
「ダメよ。あそこからじゃ下は見えない。それに、自分が働いている時に真上で優雅にお茶を飲んでいる人がいるなんて考えただけでもムカつくでしょ」
「お気づきになられましたか」
矢野は意地の悪い笑みを浮かべた。
「矢野……」
私は彼の正面に立った。
「まだ怒っているのよね。あなたの心配を無視して、真田さんとしてはいけない約束をしてしまった私のことを」
「怒ってなどいません。呆れているだけです」
矢野はバルコニーの下で黙々とひまわりの苗を植え続けている真田さんに視線を飛ばした。
「あなたがどんなに見つめていたって、あの男は気付きませんよ。気付いたとしても、ちゃんと仕事をしているか監視されているとしか思わないでしょう」
「そうかもしれないわね」
「無駄なことだと分かっていてもここを動かないおつもりなんですね」
「ええ。バカみたいでしょうけど……」
自虐するように笑みを浮かべた私を、矢野は詰るように見た。
「バカです」
「ごめんね、矢野」
私は素直に彼の暴言を受け止めた。
「あなたは私に付き合わなくてもいいわ。忙しいんでしょ? 報告書とかまとめたり、いろいろ仕事があるのよね。だから……放っておいていいわ」
「言われなくても、付き合いきれませんよあなたには」
矢野はそう言って、私に日傘を渡した。
「倒れるのだけはやめてください。私の仕事が増えますので」
冷たいことばかり言うくせに、気遣いだけは忘れない。
矢野はそういう人だ。
「ありがとう、矢野。あなたにはいつも感謝しているわ」
「姫──」
矢野は何故か一瞬辛そうな顔をした。
「本当にバカですよ、あなたは」
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