菜の花の約束

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 矢野は真剣な瞳で私を見下ろしていた。  沈黙が続く。  私は彼の反応をじっと待ち続けた。  ただ、信じ続けた。  矢野はきっと私の味方をしてくれるって。    すると。 「……そんなに私が必要ですか?」  矢野が言った。 「当たり前よ!」 「どうしても?」 「どうしても!」 「では、姫の一番可愛い声で『矢野様素敵! 矢野様なしじゃ生きていけないっ!』と3回お願いします」 「分かった!『矢野さ……』ん? あれ? なんか私、恥ずかしいこと言わされようとしてない?」  私はふと正気に戻った。 「やれやれ。もう気づいてしまいましたか。昔よりは少し賢くなったようですね」  気がつくと、矢野はいつもの皮肉な笑みを浮かべていた。 「矢野!」 「はいはい、分かりました。分かりましたよ。私の負けです」  彼は胸元のポケットから綺麗なハンカチを取り出し、私に渡した。 「仕方ありませんね。姫にここまで泣かれては──それこそ雅臣様に叱られてしまいます」 「いいの……?」  私は矢野の顔をまじまじと見つめた。 「こうなる予感は薄々していましたよ。十年前の菜の花畑で、姫の執事としてお側に仕えると約束したあの日から……」  彼はあきらめたようにため息をついた。 「協力するとまでは言いたくありませんが──許容できる範囲で姫のお手伝いをしますよ。あの男のことはとりあえず私だけの胸の内に留めておきます。姫がどうしても私が必要だと仰るから、仕方なくですよ」 私は嬉しさのあまり思わず矢野に飛びついた。 「パパにも黙っていてくれるのね! ありがとう、矢野! 大好きよ!」 「やめてください。そんなダサい格好の姫では気分が乗りません」  毒舌の執事はクールにそう言って、私の抱擁をかわした。  でも私は知っている。  矢野が本気で照れている時は、今みたいに決してこっちを見ようとしないってことを。
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