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グラスをかき混ぜる音と歓談の声で賑わう店内に一歩踏み込むと、いらっしゃいませ、と店中のホストから挨拶された。ぞわぞわと鳥肌が立ちそうになるのを気合と根性で隠して、私は毅然とした態度を振る舞った。
ダサいメガネと三つ編みの変装を解き、ゴージャスなパーティー用の衣装に映える上品なメイクを施せば、そこにはもう江藤ゆみの面影はない。
ないはずだ。
ホストたちが目を輝かせ、息を呑んで私を見つめている。その視線を感じれば、彼らが私をどう捉えているのかが分かる。
近づきたい。指名されたい。気に入られたい。惚れさせたい。そんな欲望に塗れた粘着質に輝く瞳ばかり。
どんなに綺麗に見せかけても、昼間の真田さんが一瞬見せてくれた瞳の輝きには、彼らは到底及ばない。
大丈夫。
私はドキドキする心臓に言い聞かせる。
私のことを札束だと思っている人たちなんか、怖くない。彼らなんかは私にとっていつでも付け替えのできるボタンのようなものだ。取るに足らない。
もっと心を尖らせて。非情になって。
悪役令嬢、宮藤愛姫。
その使命はただ一つ。
ここに勤めようとしている真田陽をいびっていびっていびり倒し──怒りを爆発させた彼に反撃させ、最後にひとことこう言うだけ。
「この男をクビにしてちょうだい」
まさに悪。
ここをクビにされたら真田さんにはもう高収入を得る場所がない。それを知りつつ、あえてそれをやってのけるのだ。
高慢で意地悪な仮面を被って、私はスタッフと思われる普通のタキシードを着た男性に声をかけた。
「初めてなんだけど、どこに座ったらいいの?」
「いらっしゃいませ、お客様。失礼ですが、年齢確認のため身分証をご提示いただけますでしょうか」
「あら、そんなもの持ってないわ。ないとダメなの?」
すると矢野がスタッフに近づき、自分の名刺を渡した。
「こちらは、宮藤リゾートグループの創始者、宮藤雅臣様のご息女であられる愛姫お嬢様でございます。私は執事の矢野と申します」
「えっ……あの宮藤リゾートの……⁉︎」
名刺を渡されたスタッフの男は白目を剥いて驚いた。
「お忍びですので、どうか騒がず。このことはご内密にお願いしますね。もしSNSなどに投稿なされたりした場合はこちらの店舗もその個人もただではすみませんとオーナーにお伝えください」
さすが矢野。脅迫慣れてる。
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