お嬢様、悪役になる

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「こんなことして楽しいか。金持ちの考えてることは分かんねえ。お前らがこうしてバカ騒ぎしている間にも、金のねえ奴らは命削って働いているんだぞ。本当に死にかけてる人間だっているのによ。まったく、世の中不公平だ」  悠くんのことを思い出したのだろうか。  私たちの要求が馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しいほど、それに付き合わざるを得ない自分に彼は苛立ってしまうのだろう。 「もう意地を張るのはおやめになったらいかがですか?」  矢野が諭すように言った。 「どう考えても、あなたにこの仕事は向いていません。あなたのクソつまらない接客で喜ぶのは、心の広い私かド変態の姫くらいなものですよ」 「そうよ、もう辞めちゃいなさいよ。って、誰がド変態よ!」  私のツッコミは誰にもウケずに虚しく宙に舞った。 「……辞めねえ」 「頑固ですねえ」 「お前らなんかに、俺の気持ちが分かってたまるか」  悠くんのために、真田さんは己をどこまでも犠牲にする覚悟だ。  私たちの言葉も……彼には届かない。  ──金なんかいらねえよ。  初めて会った時、彼は私にそう言った。  あの時は意味が分からなかったけど、今なら分かる。  お金よりも大事なものを、彼は抱きしめている。  私が惹かれたのは彼のそういう心意気だったんだって。  一本芯の通った、男らしい真っ直ぐな気持ちだったんだって……。 「どうしても辞めないって言うのね」 「ああ」 「じゃあ、最後に一つだけムチャブリさせてもらうわ」  私はゆっくりと立ち上がり、真田さんの正面に立った。 「今から私の言うことをあなたがちゃんとできたら、あなたの覚悟を認めてあげる。そして、もう二度とあなたの邪魔をしないと約束するわ。その代わり、できなかったらあなたはクビよ。すぐにこの店を出ていってもらう」 「姫、何を──」  ただならぬ迫力を感じたのか、矢野が腰を浮かせた。 「上等だ」  真田さんも立ち上がり、私を正面から見下ろした。  震えそうになるのを必死で堪えながら、私は彼を真っ直ぐに見つめた。  真田さんが嫌がること。  絶対に嫌だと断られそうなこと。  それは……。  「私に……キスをして」
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