攫われた弟

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 ◇  私は矢野から借りたスマートフォンをそっと彼に返した。  これで、真田さんが私のところへやって来る。  弟をさらわれたと思い込み、憎しみに駆られて。   「本当にこれでよろしかったのですか? 姫はますます嫌われ者になりますけど」 「いずれ真実が分かれば、きっと誤解は解けるわ。それよりも今はあの店を辞めさせることが先決だもの」  彼の大事な弟はホストクラブに向かう前に慎重に運び出し、宮藤家が出資している宮藤総合病院の心臓病の専門医のもとへ預けた。今頃はそこで高濃度酸素治療というものを受けているはずだ。  治療費は私の私費で支払っていた。さすがに父には頼めない。    私がこうして外に出ていることも、父には内緒だ。父は現在出張中で、母も海外に滞在中だ。それがうちの日常茶飯事。今夜の出来事は矢野が嘘の報告をするから問題になることはない。  あとは真田さんをうまく説得するだけだ。  宮藤家の一番外側の門の前で彼が来るのを待つ。  正直、ちょっと怖い。  どうなるのか予想ができない。  怒っている彼を前に、私は演技を続けられるだろうか。 「大丈夫ですよ、姫」  矢野が余裕の笑みを見せた。 「矢野……」 「姫のことは、私が必ずお守りします」  おどけて胸に手を当てる仕草で彼は言う。クスッと笑ったその時だった。  猛烈な勢いで、真田さんがこっちに走ってくるのが見えた。   あっ! と指を差した時にはもう、彼は何も言わずに矢野の顔面を一発殴りつけていた。 「!」  矢野は殴り飛ばされて門に体を打ちつけた。派手な音がしたけど、本邸や住み込みのメイドたちが眠る別邸まで200メートル以上も離れているので誰かが起きてくる心配はない。  そんなことよりも。  私は慌てて矢野の傍らにしゃがみ込む。 「矢野! 大丈夫……っ?」  矢野は呻きながら、「しくじりましたよ、姫……」と呟く。 「……運転手だけじゃなくて、ボディーガードも雇えばよかった」 「案外大丈夫そうね」  面の皮が厚かったので助かったのだろう、と減らず口を叩く矢野を見て私は思った。
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