第1話 【バースト・シティ、東京】前編

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第1話 【バースト・シティ、東京】前編

 それは差ほど遠くない未来の東京の姿……。  曇天の空から細かい雨がシトシトと降り落ちる高層ビル屋上の一角。ビニールシートで覆われた中にレインコートに身を包み、冷たいコンクリートに腹這いになった状態で二脚に固定されたM14自動小銃ライフルの照準器を覗き見る先に全神経を集中させる狙撃手の姿があった。照準器を介して男の眼には細かい数字の羅列やデータベースがホログラム表示で映し出されている。  標的は数台の車を護衛に付けた政治家の一人。検察庁から中東への兵器用部品輸出に関連した企業との癒着疑惑の検疑がかけられている国会議員、民生党の村田副代表。数台の護衛車に囲まれて首都高速道路をゆっくりと都心中央方面に向かって来る。狙撃手の目は国会議員が乗車している車を既に標的としてしっかり捉えていた。後部座席でどっしりと構えたその姿を照準器越しに覗いた狙撃手は「……豚め!」と一言呟いた。黒い薄皮の手袋で覆われた人差し指の力をゆっくりとトリガーに委ねて行く。  相変わらず雨は滴り落ちてフードの先から雨粒がポタリポタリと規則正しく滴り落ちる。狙撃手はそれさえも意識から消し去り、今、全神経はトリガーに掛けられた指先に集められた。が、一瞬、予想外の殺気を背後から感じ取った。  狙撃手のトリガーを弾くタイミングが計算していた数字のコンマ数ミリずれる。直後に頭上からあきらかにタイミングを伺っていたかの様に襲いかかる黒い物体。犬種の中でも獰猛といわれるドーベルマン。しかし、それがただのドーベルマン犬でないことは狙撃手の目にはあきらかだった。  スナイパーとしての感は照準器で結果を確認するまでもなく自分が仕事をしくじったことも感じた。狙撃手は舌打ちをした。ライフルから放たれた弾丸は車窓を突き破りはしたものの標的の左肩を貫くに留まった。緊急事態に護衛車を含めた一団の車列が高速道路上に停車し、たちまち渋滞を導き出した。一般車輌からけたたましく抗議のクラクションが鳴り響く。  次の動作を行うまでもなく、狙撃手はドーベルマンに襲いかかられ、組付される様に濡れたコンクリートの床に押さえつけられた。が、俊敏な動作で直ぐにその怪物を跳ね除けると立ち上がって身構えた。その手には鋭利なサバイバルナイフが握られていた。 「おっと残念だったな。コンマ数秒遅れたか?」  その怪物、黒いドーベルマン犬は不敵に笑い、皮肉をおびた言葉を狙撃手に投げかけた。 「おいおい、まさかそんなオモチャで俺とやりあうつもりか? 生きたまま確保するのが俺の任務だが、喉元を掻ききるくらいの理由はいくらでも作れるんだぜ。手間をとらせるな、おとなしく投降しておけ」  言葉を発したその犬に、狙撃手は耳にしていた公安局テロ特殊捜査課のアンドロイド犬だと改めて認識した。 「噂で聞いていた公安特捜の番犬ってのはオマエか?……なるほど」  狙撃手の男は思う。最初に押さえつけられたその力は純情ではなかった。まるで数人の人間に押さえ込まれてる感じだった。ドーベルマン犬の黒い体の表面から覗く金属製のボディーがその重厚さに拍車をかけている。兵器……そう言っても過言ではないだろう。雨が滴り落ちる中、狙撃手の男とドーベルマン犬は相対した。  先に仕掛けたのは狙撃手の男だった。サバイバルナイフを素早い動きで操り、的確に急所を狙って突き出して来る。それは普通の人間とは思えない動作だった。しかも、独特の格闘技を身につけている。恐らく、戦闘用に特化した相手を殺傷する事を前提の格闘技だろう。 「ほぉ、どうやら戦闘用の訓練でも受けてたか。いいぜ、俺の体にちょっとでも傷をつけられたらお前の勝ちだ。見逃してやるよ」  余裕のドーベルマンは男の繰り出す格闘術をなんなくかわして行き、攻撃の合間を突く様に男の身体に鋼の牙で斬りつける。まるでボクシングのヒットアンドアウェイの様相を呈している。男の技は全てが空を切る。次の瞬間、男の突き出したナイフをかわすと、カウンターのごとくその腕に牙を食い込ませた。生身の人間でないことは歯ごたえで感じ取れた。瞬時にして男の腕を咥えたまま濡れた床に叩きつけ、今度はガッチリと男を押さえ込んだ。身動きが取れない狙撃手の男は観念したとばかりに無抵抗のままだったが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。不審に思ったドーベルマン犬は男の全身を目に備えられた高性スキャニング機能を使いくまなく調べた。 「生身の人間じゃないことは予想出来たが、やはりな、同類か……」  男はアンドロイドだった。そして問題の物体は体内の中央、鳩尾付近に埋め込まれていた。 「ん、こりゃなんだ、起爆装置か?」  男はドーベルマンの反応を見ながらニヤリと笑う。 「どうする、特捜のワン公。生きたまま確保がおまえの任務だろ? それとも公務執行妨害とでも適当な理由をつけて俺を殺るか?」  彼方上空からテロ特殊捜査課のヘリコプターがビルに近づいて来ると同じくして頭部のパトランプをぐるぐると点灯させた警察庁の機動隊ロボットがぞろぞろと屋上に集合して来た。ドーベルマンはちらりと視界の隅にそれを捉えた。 「コルト、状況は?」  接近して来るヘリコプターから通信が入る。研究所から脱出した当時とは見違う程に凛とした大人の女性になった25歳の川本美咲だ。コルトとビショップが幼い川本美咲と共に白井エレクトロニクス社の研究施設を抜け出してから既に十数年の歳月が流れていた。
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