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2. 六歳 笠鷺 翔守
★
十年以上も前の夏。
佐賀に移り住んだ時、俺は幼稚園の年長だった。
それから母との二人暮らしが始まり、苗字も「笠鷺」に変わった。
父親に会えなくなる事はちっとも寂しくなかった。それよりも、母がもう父親に殴られない事に安心したし、何より「俺は母を守れない」という無力感に苛まれていた毎日を、この地で変えようと思っていた。
生活は厳しかった。
縁もゆかりもない土地で、母は朝から夜遅くまで働いていた。独りで過ごす時間も多かったが、寂しいなんて思う事はなかった。
今度は母を助けたい、強くなって苦しむ人を守りたい。
それだけを強く思い、正しく強く生きていく事だけを毎日考えていた。
思いは体に現れる。
小学校に上がるまでに、手足も身長も急激に伸びた。クラスで一番大きくて、新入生らしくないそれは何もかもサイズが合わなかった。たぶん父親からの遺伝だったのだろう。似はじめた骨格も筋肉も相当に忌々しかったが、俺はこの長い手足を「殴るため」ではなく「守るため」に使うと決めていた。
小学校に入学した春、道をはさんだ向かいの平屋に、牛島アタルとその母親が引っ越してきた。
アタルとは同じクラスになり、その小柄で無口な子が向かいの家に住み始めた家の子だと俺は分かっていたが、交流はほとんど無かった。入学当初からアタルはいつも俯いていた印象があり、「人と話したがらない」というよりもどこか常に何かに怯えているように見えた。家が近くだからと登下校を誘っても、ひとりで帰るからと断られた。
ひと月、ふた月と過ぎ、少しづつクラスに馴染めなくなっていたアタルは、徐々に身なりが乱れていった。しかしそれはだらしなさという感じではなく、何か薄汚れてきている?と俺は思っていた。
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