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元彼とふたたび付き合う方法に焦るわたしはひとり、大学ラウンジのベンチに座りながら考えこんでしまっている。一度目の人生と同じタイミング、同じシチュエーション、同じ言葉を選ぶよう慎重に行動してきたはずだ。
……なぜだろう、なにかがおかしい。
2010年の十一月十九日、決戦の金曜日。四限の中国語ⅡCのクラスを終えたあと、学部ラウンジの隣のベンチ。彼は「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。そこまでは前世と一緒。なにも変わらないはず。
一度目の人生を思いかえす。眠れない夜には何度も思い返してきた、忘れられない大切な記憶。
彼は隣に腰掛けるわたしに気づくと「もしかして、水木さん?」と声をかけてくる。「はい、そうですけど」とわたし。「僕だよ。ほら、川上第二小の花咲タケル。五年生のとき同じだった……憶えてないかな」と彼。
そう、わたしたちは幼なじみ。お互いにそれまでは気づいていなかったけど……。結局その再会がきっかけで急接近。付き合うことになって、それで!
……その流れのはずなのだけど、どうにもおかしい。一度目となにも違わないはずなのに。
──彼が、わたしに気づかない。
物凄い集中力で読みふけっている。まるでレーシングゲームに夢中になりすぎて降りるはずだった最寄り駅を乗り過ごしてしまった中年サラリーマンくらいに、読書に集中している。わたしどころか、赤橙色に暮れゆく夕日にすら気づいていない様子。
説明が遅くなったが、わたしはいま二度目の人生を生きている。なぜかは知らないし、そんなこと、わたしに聞かないでほしい。
とにかく人生をやり直す機会を得た。
一度目の人生において不慮の事故により三十五歳の若さで生涯を閉じたわたしは、なんと目覚めると十八歳のころの自分に戻っていたのだ。
当然ながら、当初はひどく混乱した。慌てふためき、うろたえて、道ばたのなんの変哲もない郵便ポストにぶつかったりもした。
しかし次第に状況を理解するに至り、なぜだか二度目の人生をやり直すことになったことを自覚した。そして失ったことで十年以上も後悔していた「あの頃、大切にしていた恋心」を取り戻せることに僥倖した。
「幸せはいつだって失ってはじめて幸せと気づく、小さな不幸」だと誰かが歌っていた気がする。
……まさにその通りだ。
わたしは隣のベンチに座る当時の元彼「花咲くん」を世界中の誰よりもきっと愛していた。
だけど「慣れ」というのは残酷で、次第に心はすれ違い、あのころのわたしたちにはまだ、それが許せなくて……それで。
もしやり直せるなら、もう一度彼と一緒に。いや、今度こそ彼とともにこの人生を歩んでいきたい。
──何度、星空に願ったことか。
結局、一度目の人生ではその願いは届かなかった。挙句の果てには仕事帰りの夜道、横断歩道を独り俯きながら渡っているところを飲酒運転のタクシーに轢かれるという、なんとも滑稽な死を迎えた。
今日という日を、どれほど待ち望んだことだろう。まさに星空に願った奇跡。これは神様からの贈り物に違いない。
……それなのに。
──なぜ、彼はわたしに気づかない?
わたしから声を掛けようか。それくらいの行動の変化は誤差の範囲か? いやいや、一度目とおなじシチュエーションを辿らないと彼とは付き合えないのでは? それとも一度目で待ち受けていた失恋というエンディングを変えるためにも、あえて行動を変えたほうがいいのか?
……ど、どうしよう。
シミュレーションしてみよう。そうだ、この日のために何度、予行練習をしてきたことか。彼との大切な日々をとりもどせたらわたしはどうするか。三十五歳になってまで、ひとりの夜に思い描いた妄想を爆発させろ。
「は……花咲くん、だよね」と私は話しかける。
「え?」と彼。
「わ、わたし。水木だよ! ほら、川上第二小の水木カナ。お……憶えてないかな」と私。
「水木さん」
「花咲くん」
「愛してる」
……ストップ。カットだ、カット。誰だこの演出を考えた監督は。会話の流れに違和感しかない。ディテールが雑すぎる。なによ、愛してるって。昭和のトレンディドラマでももっとましな台詞にするわ。
き、気をとり直してもう一度。
「は……花咲くん、だよね」と私が話しかける。
「え?」と彼。
「わ、わたし。水木だよ! ほら、川上第二小の水木カナ。お……憶えてないかな」と私。
「な、なんだって?!」
「花咲くん」
「こいつはてぇへんだ!」
……おい、誰だ時代劇の監督を連れてきたやつは。花咲くんは岡っ引きじゃないし、「てぇへんだ」なんて言葉は使わない。落ち着け、精神を集中させろ。いましかない、チャンスは二度とこないんだぞ。
「は……花咲くん、だよね」
「いかにも、それがしこそが花咲タケルであるが、そちは何者じゃ?」
……おぬしこそ何者じゃっ! って違う! そうじゃない。駄目だ、妄想が膨らまない。いままでさんざん妄想してきたというのに、こんな肝心なときに限って。
きっと中国語の授業で無理に自己紹介をさせられたせいだ。慣れない言語に触れて脳が疲弊しているんだ。あれだけ妄想ばかり膨らまして、なんなら恋愛小説でも書けるんじゃないかってくらい妄想のプロになったつもりでいたのに、情けない。
ええい! もう、こうなったらヤケだ! 当たって砕けろだ。大丈夫、彼はきっとわたしに気づいた途端に恋に落ちる。なんたって、元カノなんだから!
「あ、あの……!」
「はい?」
カラマーゾフからゆっくり顔をあげ、わたしのほうを見つめかえす彼。さらさらと夕風になびく彼の髪が艶々ときらめく。ぱっちりの二重に長いまつ毛。
ああ、愛しの花咲くん。
「は……花咲くん、だよね! わ、わたし。水木だよ! ほら、川上第二小の水木カナ。お……憶えてないかな」
「えーと……」
「ほら、こうすればわかるかな」
わたしは前髪に手をかけて、小学生のときによくしていた「ちょんまげ」のような髪型をしてみせる。わたしのトレンドマークでもある広いおでこを彼が覗きこむ。
そうよ、思いだすの。
思いだして、お願い!
──思いだせ、タケルッ!
「あの、すみません」
──やった!
「僕、武田です」
……え。
「小学校も違うし、水木さんて知り合いはいないなあ……。あ、なんだかホント、すみません」
それから彼は大変申し訳なさそうに、しかし、見ようによっては、まるでわたしから逃げるかのように……ベンチをそそくさと立ち上がり、夕日の向こうに消えていった。
そうして、わたしの二度目の恋は瞬時にして砕け散った。
何度も星空に願い、叶ったチャンスは見事に打ち砕かれた。そう、まるでふとした瞬間に床に落ちた豪華な花瓶がガシャンと華麗に割れるように。
──サヨナラ、わたしの恋心。
しかし、この日のわたしはまだ知らない。
翌日、偶然にも武田と再会。ふたりは、恋に落ちることを。そして、一度目の人生では味わえなかったくらい、甘くて酸っぱい青春の日々が待ち受けていることを。
元彼と付き合う方法なんて……。
結局、考えなくてよかったということを。
<fin.>
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