壱 下鴨に舞う翼

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 俺はデジカメの電源を切り、リュックにしまう。  目の前に立っているのは長身の男である。茶色を基調にしていて、パーカーに革ジャンを羽織った装いだ。ミラーレンズのサングラスには怪訝そうな俺が映っている。そして何よりも目を引くのは、彼が背負っている大きな茶色の翼だ。背の高さも理由かもしれないが、紫苑の翼よりも少しばかり大きい。  妖、それとも神使だろうか。感じる気配が彼から発せられているものなのか場所全体から発せられているものなのかはっきりしない。  翼の男はサングラスを少し外して、興味深そうに俺を見た。瞳の色は褐色、もしくは琥珀色である。サングラスのレンズの色も同じ色だ。 「なんだ、人の子じゃないか」  指ぬきグローブに覆われた手が俺の顎を掴む。 「美しい翡翠色の瞳……。オマエ、翡翠の覡だな?」 「離せ。あんたは何者だ」  訊ねると、男は俺から手を離して口笛を吹いた。その音色は口笛とは思えないほど流暢な鳥の鳴き声だった。この鳴き声は聞いたことがある。聞き慣れているものだ。 「朝日様、この方はトビです。賀茂御祖神社の祭神でいらっしゃる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)様がトビやカラスの姿でご活躍されたらしいという逸話から、金鵄八咫烏(きんしやたがらす)が化身とされています。この方はここで仕えていらっしゃる神使かと」 「おや、ヒヨコちゃんじゃないか。伊勢のニワトリだな? 覡のお供か? ……でも」  トビは俺に顔を近付ける。後退しようとしたが、大きな翼が俺を囲うように広げられていて身動きが取れない。 「でも、カラスの臭いがするな。これは賀茂のカラスじゃない。これ……。こいつは熊野のカラスの神力だな。あぁ、これか」  顔を近付けたまま、トビは俺の左手を取った。紐と手首の隙間にトビの指が入り込む。  眼前の男が妖ならば、この紐を使ってどうにかしてやってもいいのかもしれない。しかしこの男は神使である。神使に攻撃を仕掛けるのはよろしくない。 「カラスの神力の塊だな。神通力のトリガーか。いくら翡翠の覡といっても人の子だ。こんなものを持っているなんて驚きだな。どこで手に入れたんだ? カラスを殺して奪ったか?」 「これは」 「むぅ! 朝日様から離れてください! 不審な神使に絡まれているのを放置していたらぼくは怒られてしまいます! その辺にしておいてください!」  リュックのサイドポケットに収まっていたひよが男の子の姿になって飛び出した。押しのけられる形でトビの翼が俺から離れる。トビは少し驚いた様子で俺から手を離して数歩下がった。 「朝日様はあなたが仰るように翡翠の覡です。なので、悪しき者が寄り付かないようにお目付け役が護衛を兼ねて就いているんです! あなたは神聖な神使ですが、あんまりしつこいと迷惑ですよ!」 「威勢のいいヒヨコちゃんだな。オマエがお目付け役か?」 「ぼくは鳴照日(なきてるひ)呼々鶏(やこことり)といいます。代理です。朝日様のお傍に普段いらっしゃるのは雨影夕(あまかげせき)咫々祠音(たたしおん)晴鴉希命(はるあけのみこと)様です」  紫苑の名前を聞いてトビは愉快そうに口元を歪めた。 「晴鴉希……? へぇ……」
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