壱 下鴨に舞う翼

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 ひよは額を抑えながら訴えるように俺を見ている。ここで断ってデコピンよりも酷い事態になるのをこの子は避けたいのだ。もし断ったとして、茅は幼子に思い切り暴力を振るって来ることなどあるだろうか。いや、さすがにないと思いたい。 「どうだ、覡」 「む……」  答えあぐねていると、リュックの中で携帯電話が鳴った。 「電話」 「おう、出ていいぞ」 「……もしもし」 「晃一ぃ! 遅い! まだか!」 「……友人が早く来いと催促している」  携帯を耳から離しても栄斗の声は元気よく響いている。 「友人が呼んでいる。もう拝殿の辺りまで行っているらしい」 「じゃあ続きは参道を歩きながらにしようか。俺も本殿に用があるからさ」  そう言って茅は指を鳴らした。すると、茶色い革ジャンが白い狩衣に変わった。黄色や赤の玉や石で飾られた美しい装いである。木漏れ日と石の反射が翼に映っている。紫苑の漆黒の翼とは趣が異なり、この茶色い翼も見ていて飽きないものだ。  ……いけないいけない、こんなに鳥に見惚れていたら日和のようになってしまう。  ヒヨコの姿になったひよをリュックのサイドポケットに詰め、参道を歩き出す。半歩遅れて茅が歩き始めた。そしてすぐに俺と並ぶ。 「どうだろうか、覡」 「どうだろうかと言われても」 「朝日様、受けてしまいましょう。受けないと怖くなりますよ」 「茅様、頼みたいことというのは危険なことではないのか?」 「晴鴉希のお気に入りに危ないことはさせねえよ」  狩衣姿だとサングラスをかけていないため表情がはっきりと見える。茅の口元は相変わらずへらへら笑っているが、目元だけは真剣だった。 「何をどうすればいい? 翡翠の力は意図して使えるものではないし、どんな結果になるか分からない。あんたの望んだ通りにはならないかもしれないが」 「お、聞いてくれるのか」 「詳細を聞かずに断るのはよくないと思って」 「俺は別に困ってないんだよ。毎日ハッピーだからな。……ある神使に踏み出す勇気をあげてほしい。できる範囲でいいからさ」  毎日がハッピーだというのは羨ましい限りである。  茅を見ると、彼はひよのことを見ていた。ひよは反射的に額を抑えようとしているがヒヨコの翼は頭に届かない。 「どこの神使だ」 「それはちょっと言えないな。その方が面白そうだから」 「おい」 「御神木を探してくれ。そうすれば分かるはずだ」 「俺はこっちには修学旅行で来ているんだ。明日には奈良に行くことになっているし、あまりうろうろ歩き回れない。それでもどうにかなりそうなものなのか」 「なるかもしれないし、ならないかもしれない。俺自身のことじゃないから俺には確認しようがないし。まあ頑張ってくれ」  そんな……。なんて曖昧な……。それが人に何かを頼む姿勢なのか……。
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