弐 北野の梅

2/3

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/89ページ
 御朱印をいただきに行くと言う栄斗に続いて俺達は本殿を後にする。そしてみんなから一歩後ろを歩いていた俺は、突然目の前に現れた壁に足を止めた。 「わ、梅枝(うめがえ)様」 「久しいな夜呼々(やここ)。そこの人の子、少しいいだろうか」  身長が二メートル近い中年男性だ。肩幅もかなりあり近くにいると圧迫感がある。整えられたオールバックに対して無精髭なのが少し気になった。神職の人らしき白衣に紫の袴姿だが、ひよとのやり取りからしておそらく人間ではないだろう。 「梅枝様、お会いできて嬉しいです」 「友人と来ているからあまり長話はできないんですが……あなたは? 梅枝……?」 「では手短に。儂はここで働いているしがないウシだ」 「朝日様、この方は梅枝斗牛(うめがえとぎゅう)様です。素敵なおじ様ですよね」  菅原道真が大宰府へ向かった際、庭の梅が主を追い駆けたという話は有名である。梅は学問の神様たる彼を象徴する植物であり、星影高校でも毎年受験シーズンになると職員室前の廊下に梅の盆栽が置かれている。俺達が境内で探し回っていた撫で牛もまた天神の使いである。石造りの撫で牛だけではなく、生きて動いている神使のウシに会えるとは思わなかった。下鴨神社でトビに遭遇し北野天満宮でウシに出会ったとなると、これから先他の神社でも何かに会う可能性もある。  懐手にしていた梅枝が袖に手を通す。顎鬚を撫でながら、吟味するように俺を見て「なるほど」と呟いた。 「利発そうな少年だな。晴鴉希が気に入るわけだ」 「ありがとうございます……?」  梅枝は大きな手で俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。それはまるで親戚のおじさんが久し振りに会った甥っ子や姪っ子にするようなもので、雑なのに優しかった。手を離された後、俺は思わず髪に軽く触れる。髪は思ったよりも乱れていない。そこに残っているのは大きな手が残した微かな暖かさ。  俺の肩から飛び降りたひよが男の子の姿になる。そして、腕を広げて梅枝に飛び付いた。牛とヒヨコの大きさはかなり違う。人の姿でも大柄な成人男性と小柄な男の子なのでかなり体格が違う。後ろから見ると、ひよはすっぽりと梅枝の影に入って見えなくなってしまいそうだ。 「梅枝様! ついでにぼくのことも撫でちゃってください! こう、なでなでなでっと!」 「もうそんなに甘える年でもないだろうに。仕方ないな……」 「わーい!」  大きな手が小さな頭を撫でる。微笑ましい光景だが、この景色は俺以外には見えていないのだろう。 「朝日晃一」 「はい」 「晴鴉希のこと、よろしく頼むな。京どころか熊野にも戻っていないと聞く。アイツが今いたい場所でゆっくりできているのならそれでいいと儂は思っているから、近くで見ていてやってくれ。あんなことがあったとしても、アイツの身に何かあれば気にする者はいるだろう」 「……紫苑は有名神(ゆうめいじん)なんですか?」 「そりゃもちろんぼくの憧れですからね!」 「いや、神の数は八百万。全体的に見ればアイツのことを知っている者の方が少ないだろう。アイツ自身は交流を好まない方だったが、アイツのことを気にかけている者は何柱かいたからな」  茅のような神や神使がいるのだろう。紫苑自身も「よくしてくださる方」がいると言っていた。
/89ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加