参 青海波

3/6

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/89ページ
 日和は名残惜しそうに枯山水を見ている。こいつが別れを惜しんでいるのは枯山水ではなく鳥である。 「ちゃ、ちゃんと枯山水も見たよぅ……」  そうして俺達は龍安寺を後にして、バスに乗って次の目的地へ出発することとなった。  しばらくバスに揺られて、さらに少し歩いて扇子屋に辿り着く。店頭には美しい絵が描かれた扇子がいくつも並んでいた。俺達が気軽に出せるような金額ではない値段のものもある。 「わぁ。朝日様、綺麗な扇ですね。紫苑様へのお土産はこの辺にするんですか?」  リュックのサイドポケットに収まっているひよから疑問符が飛ばされた。優美なデザインの扇子を渡せばあいつは喜ぶかもしれないが、本神(ほんにん)は飴玉をご所望である。  お店の中を少し見ていますね、と言ってひよが地面に下りた。背中に小さなふわふわの翼を揺らす男の子は興味深そうに陳列されている扇子を見ている。ひよのことはこのままここに置いて、体験工房の方へ向かうとしよう。  楽しみだねと話をしている日和と美幸の後ろ姿を眺めながら、俺は恐る恐る小さな一歩を踏み出した。正直、気が重い。多数決で負けたのがとても悔しい。しかしこれも修学旅行の大切な自主研修の一環である。腹をくくれ、朝日晃一。  画材の用意された部屋に通され、担当の店員さんが簡単に説明をしてくれた。うきうきしている三人に対して俺は気分が沈みかけているが、ここはもう思い切ってやるしかない。  俺には、画力がない……。  デザインなんてできない俺は、店が用意していたサンプルをコラージュする形で全体の雰囲気を決めた。後は輪郭を透かせながら色を塗るだけなのだ。簡単な作業のはずなのに、手が震えて絵の具の乗りが異常なほどに悪い。こんなに細かい部分を塗るという作業を今までしたことがあるだろうか。いや、ない。失敗するのが当たり前だ。と思いながら栄斗達を見ると、三人は自分で絵を描いて綺麗に色を塗っている。  自慢ではないし自惚れているわけでもないが、俺は優等生である。周りからは何でもできると思われている。それはプレッシャーでもあり、何をするにしても失敗したらどうしよう、期待されているのに、という不安が付き纏うことになる。俺に、失態は許されない。 「晃一ぃ、オマエ相変わらず絵ぇ下手だよなあ」 「五月蝿い」 「芸術の選択、美術じゃなくて書道にしておいてよかったなホント。中学の時みたいに醜態晒さなくてさ」 「黙れ」 「でも昔よりは良くなったよな。オマエにしては上手いぜ、その子ブタ」  この絵はブタではない。  絵の具が這う紙を見ていると、ウインドウショッピングを終えたらしいひよが体験工房の方へやって来た。俺の描く絵に興味があるのか、うきうきとした様子で机に近付く。そして、俺の前に置かれている紙を見て「わぁ」と声を上げた。目を輝かせ、ものすごく良いものを見たというような顔になる。 「朝日様、イノシシの絵ですか? お上手ですね!」  子供は無邪気な笑顔で無意識に残酷なことを言う。これはイノシシでもない。
/89ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加