参 青海波

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 俺が警戒していることに気が付いたのか、女は手を離してにこりと微笑んだ。怪しくないよとアピールするように、何も持っていない手を広げて軽く振る。 「う、うちは怪しい人じゃないわよー。そんな目で見ないでー」  怪しい。 「ほんとにほんとに怪しくないのよ。うちは雛千代(ひなちよ)っていう……」  そう言って、女はその場でくるりと一回転した。すると、その姿がワンピースから着物へと変化した。華やかな着物を纏い、日本髪で、白粉を塗って化粧をしている。蓮と思しき真っ赤な花の飾りが付いた簪が髪に留められていた。背中に揺れていた翼はなくなっている。  舞妓。いや、芸妓だろうか。 「ふふ、神使っぽそうなうちがこういう格好して驚いたわね。お座敷には色々な人が出入りするものよ。人の子も、それ以外もね。うちはこの格好で人の子に紛れて、情報収集や神使間の連絡係を務めてる伝書鳩ってわけ。どうかしら。ちゃんと自己紹介したら怪しくなくなった?」  鳩。鳩はどの神社の神使だったろうか。後で調べておこう。  雛千代と名乗る鳩は艶っぽく笑って俺の左手を取る。 「うちね、晴鴉希様のことがずっと心配だったのよ。うちが最後に顔を合わせたのは、お見舞いに行った時で……それ以降何年も会えていないし、噂はよくないものばかりだし……。手紙も……宛先が分からないから出せなかったし……。貴方と一緒にいて、こんなものを渡せるくらい貴方を信頼しているのなら、あの(ひと)今は幸せなのね」 「紫苑とどういう関係なんだ」 「う、うちなんかがこうやって言うのは烏滸がましいかもしれないけど、うちはあの(ひと)と幼馴染というかなんというかそういうものだったのよ。うちが勝手に憧れて、たまに追い駆けてただけで、向こうは特に何も思ってなかったかもしれないけど」 「へえ」  幼馴染。あいつにもそういう知り合いがいたんだ。あいつは何も言わないが、茅も雛千代もあいつのことを友人だと思ってくれている。梅枝のように気にかけてくれる神使がいる。行く先々で遭遇するのでたくさんいるように思えてしまうが、八百万の神々とその神使がいるのだから実際にはほんの僅かな人数に過ぎないのだろう。それでも、確かにいるのだ。彼らのような者達が。  雛千代は紐を指先で撫でてから、名残惜しそうに手を離した。  綺麗な女性である。こんなに美人で慕ってくれる芸妓の幼馴染がいたなんて、あいつも隅に置けないな。顔を合わせたのは随分前らしいから、その時は今とは違っていたかもしれないが。 「あんた、紫苑と幼馴染なら茅のことも知っているか」 「えぇ、もちろん。珂彌怒鵄(かやぬし)様がどうかしたのかしら」 「御神木を探すように言われたんだが、何か知らないだろうか」 「御神木なんてたくさんあるわよ。珂彌怒鵄様詳しいことは言っていなかったの?」 「何も」 「あら、困った方ね。それならうちにも何も言えないわ。何も分からないもの」 「そうか」  そこへ、鳩が一羽飛んで来た。一声鳴いて、すぐに飛び立つ。 「もうそんな時間? 休憩はおしまいね。行かなきゃ。翡翠君、晴鴉希様のことよろしくね」  小さく手を振って、雛千代は西側へ向かって去って行った。最後までひよは眠っていたようだし、向こうもひよには気が付いていないようだった。小さな見習い神使の神力は、数多の神々が祀られる境内の中では小さすぎてぼやけてしまうのかもしれない。
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