肆 祇園の夜に

1/6

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/89ページ

肆 祇園の夜に

 秋の京都に桜の花は不釣り合いである。否、京都でなくてもおかしい。しかし、季節を勘違いしたかのように満開の花を咲かせる桜の大木が眼前の景色に映り込んでいた。少し遠いが、歩いて行ける距離だろうか。思わずそちらへ歩き出してしまうような、人を惹き付けるような、そんな不思議な印象を覚える桜だった。  普通の木ではない。美しいが、異様である。もしかすると、あれが茅の言っていた御神木だろうか。 「ひよ、あれは?」 「あれとは」  夕食の為に予約した店まで歩く道中、俺は肩に乗っているひよに訊ねた。 「向こうに桜が咲いている。あれが御神木かもしれない」 「あぁ、あれですか。あれは妖ですよ」 「妖怪なのか」  前方を行く三人から少し距離を取りながら、ひよとの会話を継続する。地元の人や観光客ともすれ違うが、一瞬横切った相手が何もないところに声をかけていても気にする暇などないだろう。むしろ、気が付きすらしないかもしれない。人が多いからこそ、立ち止まらない状況だからこそひよに声をかけた。 「あっちの方に、昔貴族のお屋敷があって。まあどこもかしこも貴族のお屋敷だったとは思うんですが、そこに生えていた桜が妖になってるって話を聞きましたよ。たぶんそれですね」 「綺麗な桜だな……」 「あ、朝日様っ! 駄目ですよ惹かれたら!」  肩から下りたひよが男の子の姿になって俺の手を引いた。焦った様子のひよは両手で俺の手を掴んでいる。  特別ぼんやりとしていたわけではないが、ハッとした。遠くに見えている桜を眺めながら歩いていたが、すぐ隣にいるひよや目の前の栄斗達に視線が戻された。 「悪い妖ではないそうですが、齢千年以上の大妖です。感受性が豊かだとこの距離でも力に当てられかねませんし、そうでなくても油断していると意識を持っていかれてしまいますよ。普段はおとなしくても、朝日様を見たら『美味そうだ』と豹変する可能性もありますし……」  ひよはきょろきょろと辺りを見回す。 「日も暮れて来て、夜になったら本当に、魑魅魍魎が蔓延りますよ。気を付けてくださいね。昨日はバスでしたが、今日はこの後ずっと徒歩なんですよね?」  ぼくも頑張りますけど……。と言うひよの声は終わりにかけて弱くなっていった。  往来する人々の足元を小さな妖怪が隙間を縫うようにして通っていた。少し歩けば簡単に見付けられるくらい、ここには人ならざる者が多い。歴史のある街には古くから住んでいる者がたくさんいる。良い者も、悪い者も、どちらでもない者も。  ひよは昨日からずっと俺の周囲に目を光らせてくれている。それでもやはり見落としはあるもので、下鴨神社では茅の手を煩わせた。これから本格的に日が落ちて夜になれば人ならざる者達の動きが活発になるだろう。ひよは不安そうな顔をしてから、強引に強気そうな顔を貼り付ける。そして自分に大丈夫だと言い聞かせるように大きく頷いて、ヒヨコの姿に戻って俺の肩に乗った。  頼りにしているぞ、小さなボディーガード。
/89ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加