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しかし、朧車はすぐに方向転換をして再びアクセルを思い切り踏んだ。アクセルなどはないのだが、まさにそのような急加速だった。まだ距離はあるので翻弄すれば撒けるかもしれない。そう思って走り出した俺の背後で、ひよの悲鳴が遠退いて行った。
急に方向転換をしたので肩に乗っていたひよが落ちてしまったらしい。慌てて戻って拾い上げるが、己の身の安全だけを考えれば見捨ててしまえばよかったのだ。この小さなヒヨコとは昨日知り合ったばかりで、俺が救ってやる義理などないのだから。けれど、俺は戻ってしまった。手を出せば届く場所でヒヨコが牛車に轢かれるところなんて見たくない。
「ひよ、大丈夫か」
「ぴぃ、ぴぇ」
ぴよぴよ泣いているヒヨコを両手で包む俺の目の前に、朧車が接近する。
轢かれて喰われ――。
「君っ、こっちだ!」
不意に腕を掴まれ引っ張られた。勢い余った朧車がどこかへ直進するのを尻目に、引かれるまま駆ける。
俺の腕を引いているのは畳んだ傘を持った男である。人間……? おそらく、人間。しかし朧車の姿が見えていたということは、妖力か何かを持っている人間なのだろう。祓い屋というものだろうか。
「この辺りまで来ればもう大丈夫だろう。これだけ複雑に動いて距離を取れば、また遭遇しない限りは追って来ないよ」
「あ、ありがとうございます」
土地勘のある人間なのだろう。偶然通り掛かってくれて助かった。
俺から手を離すと、謎の男は傘を開いた。京都の街にぴったりな番傘である。振り向くと同時に傘が開かれた上に傘をこちらに傾けているため、男の顔は見えない。着ているのが上質そうなコートだということは分かる。靴も高そうだ。
「君、地元の子じゃないね? 妖力を持つ人の子が夜の古都を歩く時は須らく注意すべきだ。気を付けたまえよ」
「はい、気を付けます」
「式神は無事かい?」
「式神?」
「そのヒヨコ、君の式ではないのかな」
番傘の男は俺の手の上のひよを指差す。妖怪を見ることのできる人間が人ならざる何かを連れていればそう思われることもあるか。
「あぁ、はい。そうですね。大丈夫……だと思います。たぶん」
ひよはぴよぴよ泣いている。指先で軽く撫でてやるが、泣き止まない。小学校高学年くらいかと思っていたが実際にはもっと幼いのかもしれない。もしくは、ヒヨコは俺が思っているよりも弱い生き物なのかもしれない。
「そのヒヨコは……。否、今その話をしてもややこしくなるな」
「え?」
「少年、気を付けて歩きなさい。それでは」
「あっ、待って。待ってください。あの、あなたは地元の人ですか。訊きたいことがあって」
立ち去ろうとした番傘の男を呼び止める。男は腕時計を気にする素振りを見せたが、「なんだい?」と問うて来た。
「今、俺達がいるのってどの辺りですか。スマホじゃないので地図を見られなくて」
「目的地はあるのかな」
「飴屋があると聞いたので、お土産に買おうと思っているんです。ただ、頼んで来た相手は『飴屋』としか言ってくれなくて店名も分からないんですが。……きらきらのかわいい飴があるって」
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