壱 出発の前に

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「まぁ、あまり思いつめるなよ。帰って来ておまえが心労で倒れていたら困る。土産を買って来てやるからそれを楽しみに待っててくれ」 「優しい人ですね、晃一さんは」 「そんなことを言って来るのはおまえくらいだ」  愛想がない。表情が変わらない。言葉がきつい。そういうことはよく言われる。楽しい時には楽しんでいるつもりだし笑っているつもりで、それなりに相手を思いやって声をかけているつもりである。しかし自分で思っているよりもそれが表に出ていないらしい。特に気にしているわけではないので別にいいのだが。  紫苑はトリケラトプスのぬいぐるみを枕の横に置いて立ち上がった。動きに合わせてあらゆる漆黒が揺れる。ジャケットに光る銀色のボタンが照明を反射した。 「では用件も済みましたし、長居して晃一さんの睡眠時間を削ってしまってはいけないのでそろそろお暇しますね」 「今日会ってないから来るかもしれないとは思っていたが、代理を立てた話は別に当日でもよかったんだぞ」 「いえ、大事な話は余裕を持って事前に伝えるべきです。それに、早く貴方に伝えたくて」 「そうか」  定位置の古新聞の上から革靴を手に取り、窓を開ける。翻ったカーテンの向こうに翼が広げられた。大きな翼だが、これでもまだ開き切っていない。この距離で翼を全開にされると俺に直撃してしまうだろう。  空を自在に飛び回る鳥達はその体の大きさに対してとても大きな翼を持っている。飛ぶことに特化した軽い体であの大きさなのだから、人と同じ形をしている体を飛ばすには相当大きく相当力強い翼が必要になる。紫苑の翼開長は四メートルを優に超えており、視界一杯に広がる様はさながら夜空のようである。  足元で何かが動いた気がしたので見てみると、羽根が一枚風に煽られていた。そういえば来た時に落としていたな。 「紫苑様、羽根が落ちているが」 「抜けてしまったようですね。……いりますか?」 「いや、いらない」  指先でつまむには大きい四十センチ以上ある羽根である。鳥の羽根を集める趣味を持つ人はいるかもしれないが、生憎俺はそうではない。 「では捨ててしまいましょう」 「捨てるのか」 「人の子は拾った髪の毛を捨てないのですか」 「捨てる」 「大きいので目立ちますが鳥の羽根も同じです。抜けたのは役目を終えたから。不要だから落ちるのです。カラスの羽根なんて至る所に落ちているでしょう? ゴミです」  ゴミなのに『いりますか?』と訊いて来たのか? 「目の前に落ちていたから少し気になって。……綺麗だしな」 「……ではこれはこのように」  紫苑は羽根を両手で包むようにして丸める。翼が少し広がり、周囲に雨粒に似た青白い光が散る。そして手を開くと一本の黒い紐が現れた。青、緑、紫の糸が織り込まれていて光沢のある紐である。カラスの羽根の色だ。
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