掛け合い

1/1
前へ
/1ページ
次へ
正月早々貰えた仕事。年明けとあって浮かれ立つ出演者やら慌ただしいスタッフに愛想良く挨拶をしていた相方は楽屋に入るや否やぎゅうと眉間に皺を寄せた。 「あんなん何がおもろいねんクソ。」 温かい部屋とは裏腹に雰囲気は氷点下だ。 面白くはなかったよね、と小さく相槌を打つ。キッと睨んだのは僕に対しての怒りじゃないことはわかる。荒々しくジャケットを脱ぎ捨てて、ヤタはボロボロと大粒の涙を溢した。 東軍西軍でネタ出しはいいけど〜、とは数時間前のヤタのボヤきだ。毎年正月恒例のテレビ番組に出れただけで僥倖だと思うがヤタ自身はあくまでも自分たちの実力だと言い張る。 確かに昨年はとてもよく頑張った。漫才のグランプリでも優勝は逃したものの準優勝で爪痕を残したしテレビの出演も一気に増えた。クイズ番組、旅ロケ、まあドッキリだけはちょっと危うかったけどそれでも問題なくいけた方だと思う。生放送という場は今回が初めてだったが。 ヤタが不満に思っているのは自分が東軍、東京の芸人の枠に入れられていたことだ。ヤタは大阪、僕は東京、どちらを優先させるかとなったときに件の漫才グランプリで優勝をした組が西軍だったということで僕らは東軍へと入れられる事になった。彼らだって大阪出身と東京出身の二人組だろうに。 SNSでは彼らじゃなく僕らの方が優勝すべきだった云々言われてたのもあってスタッフも彼らと僕らを対立させるような立ち位置を作りたかったのもあるのだろう。 余談だが、この業界は人の入れ替わりが激しい反面生き残れればそれなりに歳を取るもので年齢層は幅広いというのに致命的に人権が低いように思う。プライベートを笑いのネタに変えるような風潮が根強くあるからだろうか、趣味嗜好隠し事もほじくり返されてしまえばそれがどれだけ嫌な事でも笑って自虐にしなければならない。人を笑わせるのが仕事だから。ゾッとする。ヤタはどれだけ傷ついたのだろうと。 ヤタはゲイだった。男だけど、恋愛対象は男だった。 グランプリで優勝したコンビの、大阪出身というボケ担当の方はヤタの元相方で、そして元恋人だった。彼はあろうことか生放送という隠しの効かない状況でヤタがゲイであることを面白おかしく暴露したのだ。 「自分かてバイやんか。女と結婚したからって、自分は関係ないみたいに振る舞って…!」 悪質なアウティングに一瞬場が静まったのをヤタが「せやねん。これがホントの『ゲイ』人言うてな。」と無理矢理自虐に持っていくことで収める形になった。真っ白になったヤタの顔を見て僕は倒れるのではないかと心配になったぐらいだ。ヤタの事ばかり心配で、ヤタの元相方に怒りがわいてきたのも楽屋に戻ってヤタが泣くのを目の当たりにしてからだった。 「僕、マネージャーと相談してくるよ。名誉毀損とか、こんなのあまりにも酷いし、」 「やめぇや。そんなんしたらガチやと思われるやろ。」 「でも…」 「もうええて!もう…オレは腹括ったわ。」 そんなわけない。ヤタがどれだけ事実を話すのに怯えていたのかは近くにいるから知っている。両親にすらまだ打ち明けていないと言っていたのに。大学生の頃にも元恋人からのアウティングに合い逃げるように東京の芸人養成所に来たと僕は数年前に打ち明けられた。お前の事は恋愛対象として見てへんからと、震えながら打ち明けてそれでも気持ち悪いなら解散しようかと言われた日に、僕は問題ないと、一生一緒にいてやるとやたら重い気持ちで応えたのも覚えている。 愛が重すぎるわボケ床が抜けるやろ!とネタよろしくツッコミを入れてきたヤタがあからさまにホッとしたのを見て僕も覚悟を決めたのだ。 「僕も一緒に腹括るよ。」 「お前は何も括るもんあれへんやろ。オレをイジってくれたらええねん。いいネタ出来た、」 「僕もね、ゲイなんだ。」 「…ッ、はあ?」 いつもは饒舌な口がただただ開閉する。言葉に詰まったヤタが正気に帰る前に「冗談じゃなく、本当に」と続ける。涙も引っ込んだらしいヤタが真っ赤な目でじとりと見上げてきた。 「お前まで背負う事はないんや。」 「違うって、本当の本当に。」 「お前…そんな事一度も言ったことないやんけ!」 「そりゃあそうだよ。だって僕は生涯独り身でいるって決めたんだから。」 自由に恋愛することもままならない。周りにバレないようにこっそりと気持ちを押し隠していた。芸人になりたいと思ったなら当然、モテない事を言い訳に誰とも関係を持たないことを決めた。ヤタにカミングアウトされた時だって、ヤタはそれでも誰かと恋をしたい気持ちを持っていたけれど僕はそれすら諦めていたから言わなかった。 「ならやっぱりわざわざお前までカミングアウトすることはないやろ。黙っとったらええ。」 「それはフェアじゃない。」 「フェアじゃないとかあるとかそんな話ちゃう。出さんでいいことは出すべきやない。オレのは事故や、世間が忘れるなら忘れるでもええけどお前まで言い出すんは違う。これ以上火を大きくしてどうすんねん。コンビ揃って男好きです?って?そんなんオレ一人よりも更に叩かれるに決まっとる!」 「でも…」 「この話は終いや!…オレらがやることは今年のグランプリで優勝してあのアホを見返してやることや。わかったら今から願掛けついでに初詣行くぞ。今年はもう地元に顔も見せれんわ。」 ヤタの勢いに気押されて口を閉じる。なんて自分は臆病者なんだろう。一緒に腹を括ると言いながら助ける事が出来ずヤタの言う通りに黙り込んでしまった。 僕がヤタに何も言わなかった理由の一つは僕がヤタに恋をしていたからだ。ヤタは僕を恋愛対象として見ていない。だからわざわざヤタを困らせる事はないと思って黙っていた。 「僕、フルヤさんより背が高いし、筋肉あるし、優しいし、人前で秘密を曝して笑い者にするなんて事絶対にないし、筋肉あるし。」 「筋肉あるのは関係ないやん…、いや何言うてんの?」 「僕今年は頑張るよ。頑張って、優勝して、フルヤさんより面白い男にもなるよ。」 「おー…、ってお前去年は頑張ってなかったん?!アホオレは毎回本気やねんぞ!」 「うん、うん、頑張ってて偉いね、僕も頑張るね…」 ヤタは困ったようにして、また泣きそうな顔をして、それから少しだけ笑った。 「はー、もうええわ。ほら行くぞ。」 「うん…」 ヤタの元カレのフルヤさんよりも面白い男になれたら、そしたらヤタに尋ねよう。「僕じゃダメですか?」フルヤさんよりも背が高くて筋肉があって優しくて人前で秘密を曝して笑い物になんかしない筋肉があって面白い僕じゃヤタの恋人にはなれませんか?と。 「この近くで勝負運が上がる神社…」 「縁結びは?縁結びはある?」 「グランプリで優勝する話しとったよなオレ…?」 呆れたようにため息を吐いたヤタはもう泣いていない。お前といるとなんも怖ないわと拾い上げたヤタのジャケットのポケットで、低くスマホのバイブ音がした。ヤタはそれを見ようともしなかった。 近場の神社に到着したのは日を跨いでまだ薄暗い早朝だった。人目がないが、それでも住宅街に近いからと鐘も鳴らさずそっと硬貨を入れて手を合わせる。御神籤は自分でお金を入れて選ばれた番号の所からくじを引く方式だ。末吉だったが恋愛運の欄が良かったので財布に忍ばせておくことにした。仕事運どやった?とヤタに聞かれてから改めて見たらあまり良くなかったので「なんで結ばんかったん!」と怒られたけど適当な理由を付けて交わす。 正月を慌ただしくすごしたが世間でヤタがアウティングされたことに対して大きくイジられることも腫物に触る扱いをされなかったことは昨今の風潮のおかげと言ってもいい。ただヤタの両親はどうしても完全には飲み込めないようでヤタは結局グランプリが終わるまで一度も実家に帰省することはなかった。友人とは隠さなくてもよかったのにと好意的な言葉はかけられたようで嬉しそうにはしていたが。 芸に打ち込み、自分を擦り減らし、SNSの声に一喜一憂し、ファンにあなたが誰を好きだとしてもそんなあなたの事をずっと応援していますと言われて泣いて、ラジオもして、関西の番組には出たらすぐ戻ってきて、寝る間も惜しんで合わせをして、ライトを浴びて紙吹雪を浴びて手に持つトロフィーに顔を輝かせて。 そんなヤタが僕は好きだ。 「僕じゃ!ダメかな?」 上擦った声はマイクをハウリングさせて司会がうっと顔を顰めた。何がやねんと紅潮したままの顔で問いかけたヤタに「だからヤタの恋人に」と続ける。 「僕もゲイでした。でも怖くてずっと言えなくて、ヤタが打ち明けてくれた時も僕はそうだって言えなかった。言うつもりはなかった。僕は異常だって思ってたから。ヤタは正常だけど僕のはそうじゃないって思ってたから。それに僕ヤタが好きだったから。好きです!ヤタに吊り合うかわからないけど僕はヤタの事大事にするし見た目も絶対イケメンの自信あるしネタ書かせたら面白いしどうですか!」 周りの声も、誰の顔もわからない。ただヤタだけが見える。顔を赤くさせて真っ直ぐ僕を見てくれるヤタが。あの…と小さく割り込んでくる司会からマイクを奪ってヤタは大きく息を吸った。 「優勝した感想を聞かれて答える内容とちゃうやろが!!いいよ付き合ったるよボケが一生一緒におらんかったら許さへんからな!」 「あ、優勝はすごく嬉しいです。」 「このタイミングで言うもんちゃうやろオレの覚悟返せやあああ!」 ケラケラ笑って審査員の一人が円満で何よりと柔らかに手を叩いた。 二冠を狙って、決勝にも残れなかったフルヤさんが今どんな顔をしているのか知る事は出来なかったが今の僕にはもうどうでもいい事だった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加