3章 BL解題(下)

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3章 BL解題(下)

6 誰がために推しは鳴る  1章で少し触れましたが、腐女子たちがさかんに喧伝している〈推し〉という概念、いったいなぜ彼女らはそれほど気が狂ったように入れ込むのでしょうか。男女にわけて掘り下げてみましょう。 ① 男性の推し  これは簡単です。。それだけのことであります。  自信をもって断言できますが、男が男を推すことは100パーセントありません。そりゃ「あの俳優カッコいい」くらいは感じますけど、それは職業的なプロ意識や同じオスとしての憧れであって、熱烈なファンになることはまずありえません。  その証拠に男性族が評価する俳優は阿部寛や竹野内豊であり、ジャニーズ系の色白優男なんか眼中にすらない。なぜそうなのかというと、中性的な男は女々しく見えるのですね。われわれにとってはあんなモン、〈男〉ではないのです。男の出来損ない――すなわちホモ野郎なんですね。ストレイトの男性がホモ扱いされるのを毛嫌いする理由はすでに述べました。同族に思われるのは(生殖から遠ざかるので)致命的である、という話でしたね。  男性アーティストを好きな人は大勢いるけれど、あれはメンバーに入れ込んでいるのではなく、純粋に音楽そのものに共感しているのであります。そうした意味で、男性アーティストが好きな男性というのは真の意味でのファンなのかもしれません。  以上縷々述べてきた通り、男性は男性を推さないことがわかりました。そうなると残るは女性しかいません。そして現実に、美少女アイドルグループや二次元の美少女キャラにうつつを抜かしている輩がごまんとおります。もうおわかりかと思いますが、男性の推しというのは結局のところ、通常の恋愛となんら変わらないのですね。  。この格言にしたがっているだけです。そうなると〈ガチ恋勢〉という定義は男性に限り、特段の意味はなさそうです。なにせ推しを持つ男性すべてがガチ恋勢なのですから。  よく女性畑から呆れた様子でなされる指摘に、アイドルと付き合えると本気で思ってるの? というものがありますね。なかにはそう錯覚しているご仁もいらっしゃるでしょうが、大半の男性はわきまえています。ではなぜガチ恋気味に推し活へ走ってしまうのか?  これはほとんど男性向けポルノが活況を呈しているのと同じ理屈でしょう。男性は裸の女性を見ると――体調や精神状態にもよりますが――勃起します(溜まっていると裸でなくても勃起します)。リアルだろうとモニタ越しだろうと無関係にです。それが進化の繁殖戦略なのでした。だからといってわれわれは、モニタ越しのセクシー女優を妊娠させられるとは露ほども思っていません。物理的に不可能なことくらいはさすがに判断できますからね。  同様にアイドルたちは推し活している男性の周りにはいないし、ライヴ会場へいかない限り彼女らを目にする機会はモニタ越しに限られますね。それでも恋をしてしまう。「若い女を見かけたら追い回せ」という遺伝子からの抗いがたい指令には有無を言わせぬ強制力があるのです。  結論:男性の推し=恋愛感情 この等式でまちがいはなかろうかと思います。 ② 女性の推し  問題はこちらです。女性も原則は男性の推しと同様の考えかたで処理できそうではある。女が男を好きになってなにが悪い、というわけですね。  しかしそれだけではないがあるように、わたしには思われる! それは女性一般が〈かわいいもの〉に示す異常な愛情と無関係ではないと考えられます。  人気を博している女性向けコンテンツにおいて、かわいくないものが主流であるケースは事実上ゼロです。ディズニー、サンリオ、ちいかわ、エトセトラ。女性はこうした代物に飛びつき、しばしば考えられないほどの消費をつぎ込みます。なぜなんでしょうか?  わたしの持論はこうです。先天的に女性はかわいいものを無条件で受け入れるよう刷り込まれていると思われる。いっぽう赤ちゃんは目が大きくてみんなかわいいですよね。おそらく両者の特質は相乗的に進化したのでしょう。  赤ちゃんは母親から生きるための投資を受ける必要があるので、なんとしても気を惹かねばならない。母親は自分の遺伝子を半分受け継いだ子どもを生き延びさせることが遺伝子の拡散に資するので、とにかくかわいいものに反応するよう条件づけられたほうが有利だったでしょう。  そんなことまでしないと赤ちゃんの世話すらできないの、と思われるでしょうが、動物のなかには育児放棄をやらかす種がそれはもうわんさかおります。パンダなんて赤ちゃんが小さすぎて踏みつぶしてしまうなんてザラですし、サルの一種は栄養条件が悪いと、赤ちゃんをそのまま食べてしまうことすらある。むしろヒトが例外的に過剰な世話をしているといえるでしょう。  まとめますと、。ここまではよろしいでしょうか。  ここまでくればあとはもう、進化心理学が解決してくれます。女性は(赤ちゃんのようにデフォルメされた)かわいいものに対する選好がある。そうした遺伝的性向は厳密ではないので、かわいいもの一般へ敷衍されているであろう。  かくして女性たちの異常な愛情が説明できました。彼女たちはエラーを起こしているのであります。本来であれば赤ちゃんだけをかわいく思えばよいのですが、進化は所詮ありあわせでベターなものを造るのがせいぜいですので、そんな都合のよい遺伝子は鋳造できない。  さてという言葉をよく吟味してみてください。腐女子たちはしきりに推しをかわいいと褒めちぎっていませんか? はい、そういうことです。女性の推しは男性とは異なり、 1、恋愛感情のエラー 2、母性のエラー の2点から成り立っている。これがわたしの結論であります。 コラム 男性はなぜかわいいものに興味がないのか  ②項の論法を適用すると、男性も赤ちゃんを大切にするためかわいいものへの選好を普遍的に持っていてもおかしくはないはずです。なぜそうなっていないのでしょうか?  これも私見ですが、完璧に説明できる英語のことわざがあるのですよ。 ママのBaby、パパのMay be  アメリカ人天才じゃね? 母親は自分のお腹を痛めて産んだのだから絶対にわが子であると確信できますが、父性は常に不鮮明です。ヒトには明確な発情期がない――というか男性が女性の生理周期を把握するのは困難ですので、排卵日に陰茎をジャスト・インさせるのは至難の業です。  女性の発情期隠蔽工作はなにを意味するのでしょうか? 男性の育児参加を積極的に促す意図がある、という説があります。発情期がわからない→自分の子かどうかわからない→一緒に育てざるをえない、という論法ですね。男性は育児放棄することもできるけれど、もし自分の子どもだったらという可能性を捨てきれないので、托卵のリスクを背負ってでもそうするというわけです。  以上のような理由から、男性は(100パーセント自分の子どもだとわかっている女性ほど)赤ちゃんにコミットしないと予想されます。だって自分の遺伝子を受け継いでいるかどうかはっきりしないガキなんて、かわいいはずないじゃないですか。  男性があまり赤ちゃんに興味を示さない――ひいてはかわいいものにさほど惹かれないのは、進化的な理由ではないか。わたしはそう推論しております。 7 腐女子の想定人口  これにていよいよBLの根源性に迫る準備が整いました。読者は娯楽作品の選好ですら遺伝的な素因があること、人間は元来遺伝子の産物であることに納得できたものと信じます。  そうなるとおのずから、BLはどちらなのかという疑問が出来します。それは遺伝的な選好なのか、はたまた環境要因なのか? いささかダメ押しの感はあるけれど、腐女子の人口を求めてみましょう。もしそれが統計誤差を超える有意水準に達しているのなら、われわれはBL解題にまた一歩近づけるでしょう。  なんとなくSNS等で悪目立ちしているので、ほぼすべての女性が腐女子であると錯覚してしまう今日このごろであります。実数はどのくらいなのでしょうか。  実妹によれば彼女が高校生だったころ、同業者はおおむねクラスに2~3人程度だった由。実妹は音楽関係の高校に通っていたため、クラスのほぼ全数が女子だった点に注意。1クラス40人とすると、 3/40=0.075 が腐女子率となります。しかし本当にたったの8パーセント程度でしょうか? 妹が高校生のころですから、もうかれこれ16年ほど前の話になります。果たしてその当時、腐女子である旨を公言してよい時代だったのかを考慮しなければなるまい。隠れ腐女子を炙り出す必要がある。  まずそもそもの大前提として、わたしは〈腐女子はスクールカーストの上位者である陽キャには原則、存在しない〉を提案します。異論はなかろうかと思います。したがって腐女子の潜伏先は主に、普通~陰キャ界隈であろうと消去法で確定できます。  一般的な分布率でいえば、 陽キャ 30パーセント 普通・キョロ充 40パーセント 陰キャ 30パーセント が妥当なところでしょう。潜伏先は70パーセントの範囲となります。問題はどの程度の女子が隠れ腐女子なのかですが、残念ながら信頼に値するデータがありません。なにせ文字通り隠れているのですから、(BTSやら韓国コスメやらにうつつを抜かす)世を忍ぶ仮の姿しか拝めないのですね。  そこで間接的なデータを提出してみましょう。わたしはかれこれマッチングアプリを始めて1年近く経ちます。総勢20人くらいには会ったのですが、そのなかで確定的な腐女子との遭遇数は3人でした。これだけでもすでに15パーセントです。妹が高校生だったころよりもカミングアウトが容易になり、腐女子であることはもはや単なる趣味の範疇だという意識変化が起こったのでしょう。実際わたしも腐女子にはなんらの偏見もありません。  とはいえ今後恋人になるかもしれない初対面の男性に向かって「ホモ漫画楽しんでます、ゲヘヘヘ」などと放言できる女性は少ないでしょう。やはり20人のなかにも隠れていた忍者がいたはずです。わたしの感触では、最低でも4人はいたという確信があります。  申し開きをしておきますと、それは趣味(刀剣乱舞、2.5次元舞台、ツイステ、エトセトラ)からの類推だったり、携帯画面がたまたま見えた際、肌のなまっちろいイケメンが待ち受けになっていたりしたという確固たる根拠があります。決して適当な数字ではありません。  上記の数字を援用しますと、 7/20=0.35 という驚異的な値が弾き出されてしまいました。多すぎる! という男性初学者からの指摘はごもっともですし(女性読者はあまり驚いていないような気もしますが……)、上記の数字が実妹とわたし2名のみの出典という、客観性の乏しさも自覚はしています。  しかし昨今のソーシャルゲーム界隈の勃興には目を見張るものがありますね。つい10年くらい前までソシャゲなんてパズドラくらいしか知名度がなかったのに、昨今はどうですか! ツイステ、おそ松、幽☆遊☆白書のリバイバル、挙句にロマンシング・サ・ガ3などなど、無限に近い供給量であります。  経済学的に考えるまでもなく、売れないものは作られません。需要があるから供給されるのですね。商機が少しでもなければソシャゲサービスなんて企画されるはずがない。これだけ膨大なリリースが相次いでいる昨今、それらを吸収しうる消費のあてがあるのだと目算できます。  ああだこうだ言ってきましたが、どのみち以上の2例ではわれわれ兄妹の主観的意見にすぎぬ、という批判は免れません。では客観的な数字を出しましょう。まず前提として、 コミケにきている女性=腐女子 という等式が無条件で成り立つでしょう。来場者のなかにはそうでない者もいる可能性は捨てきれませんが、統計的な誤差として捨象して問題なかろうかと思います。では実際の来場者数はというと、年平均100万人以上という統計データがあります(出典:「日本と世界の統計データ」より)。算出根拠は下記の通りです。  コミケの聖地とされる東京ビッグサイトでは夏冬2回、コミケが開催されます。それぞれ3日間開催され、1日あたりおよそ17~20万人が来場している由。この数値は東京ビッグサイトの収用限界人数である20万人にほぼ拮抗しており、例年満員御礼状態であることがわかります。  最近のデータでは夏、冬1回あたり55万人程度がきているようです(2016年度実績)。これを2倍すると100万人超えとなり、上述した数値になるというカラクリですね。  次に女性参加者ですが、同人誌サークル関係は女性7割というデータがあります(出典:「BOOKSTAND」より)。2008年データなのでいささか古いですが、この手の分布は10年程度でがらりと変わったりはしないと仮定し、このまま援用しましょう。  総来場者数をざっくり110万人とし、7割が腐女子だと仮定すれば、 1,100,000*0.7=770,000 となりますね。夏冬2回とも出撃する猛者もいることを勘案し、そうしたガチ勢をざっくり2割程度いるものと仮定しましょう。 770,000*0.8=616,000  この数値が実質腐女子の実数と思われます。次は女性人口に腐女子が占めるパーセンテージを計算してみましょう。年齢別女性人口は次の通りです。 表1 年齢別女性人口 歳     人数 15~19 2,959,000 20~24 3,334,000 25~29 3,612,000 30~34 4,321,000 35~39 4,644,000 40~44 4,080,000 45~49 3,807,000 50~54 3,869,000 55~59 4,936,000 60~64 4,557,000 合計    40,119,000 出典:厚生労働省平成20年度データより  年齢は腐女子が分布していそうなもののみ抜粋しています。捨象作業は実妹の証言を全面的に信用しています。彼女が腐に目覚めた年ごろ、および友人の母親が腐女子であったという事実を勘案し、上記年齢からの抜粋としました。この年齢層は妥当かと思われます。未満児や80歳超えの老婆がホモ漫画をたしなんでいるとは考えにくい。  それでは先ほど出したコミケ参加者数を使ってパーセンテージを算出してみましょう。 616,000/40,119,000=0.0153... およそ1.5%という結果となりました。少なすぎへんか? しかり、少なすぎますね。この数値はコミケに参加するほどの熱量を持たない腐女子、コミケには参加したいけれどもあまりに遠方に住んでいるため、泣く泣く不参加を選択せざるをえない腐女子、通信販売専門の腐女子、その他無数の隠れ腐女子を除外した値ですからね。  一般的に不在証明は不可能とされています。コミケになんらかの理由で参加していない忍者たちの総数は、いままでも明らかではなかったし、これからも明らかになることはないでしょう。こうなるともう、大胆な仮定で類推するしかありません。  下限が1.5パーセントなのは(客観的な統計データを用いているので)かなり確かな情報です。率直に申しまして、腐女子の信頼性ある実数を算出したのは本邦初の偉業かもしれません。問題は上限値です。手前みそになりますが、こちらはわれわれ兄妹の主観データを使わざるをえません。何度もくり返しになるけれど、不在者の客観的なデータを得ることは原理的に不可能です。  さて実妹の40人クラスでは2~3人公言している腐女子がおり、隠れはその3倍はいるとのことでした。わたしのマッチングアプリ遍歴から導き出した数は、20人中3人が確定、隠れは4人はいたという感触です。再度計算しておきましょう。 実妹の証言 9/40=0.225 著者の証言 7/20=0.35  ここまでくればもう、あとはあいだをとって妥協するより仕方ありません。上記2数値の中央値は0.2875ですね。あとは厚生労働省の女性人口と左記の数値の積を求めればよい。とはいえこれはあくまで最高値ですので、本エッセイでは腐女子の総数を次の通り幅を持たせて定義します。 腐女子の総人口(下限):616,000人(端数は四捨五入) 腐女子の総人口(上限):11,534,213人(端数は四捨五入) 女性人口における割合(下限):1.5パーセント 女性人口における割合(上限):28.75パーセント  まさかの1千万人超えという結果になりました(最低値でも50万人超えとは……いやはや)。3割には届かなかったものの、ひとつの趣味勢力としては異例の数値であるといえるでしょう。考えてもみてください。登山、ダイビング、テニス、鉄道、その他いろいろの趣味が乱立する昨今、3割近くもの競技人口を誇る代物がほかにありますか? BLの潜在人口がいかに巨大かわかろうというものです。  統計的な誤差は一般的に>0.05とされています。5パーセント未満の数値は偶然そうなっているだけの可能性が高く、データに意味はないという解釈ですね。BL人口は下限が1.5パーセントですが、これは顕在腐女子数であって実数ではない。確実に5パーセント以上は存在すると仮定して差し支えあるまい。これにて統計的な有意水準はクリアしたことになります。  そうなりますと、これを各人の単なる趣味嗜好ですますわけにはいきません。十分遺伝的な素因を疑うに足る数字であります。そして遺伝的な素因とくればみなさまお馴染み、進化心理学の出番と相成りますね。 8 BLは氏か育ちか  7節ではBL人口の異常な多さから、遺伝的な素因があるにちがいないという仮説を立てました。しかし先入観による決めつけは科学的な態度とは言いがたいですよね。冗長になるのを覚悟で、以下両者について考察していきましょう。 ① BL:環境要因  まずはありそうもないほうから検討してみましょう。女性がBLを好いていく環境要因とはいったいなんでしょうか。われわれの生活のそこかしこに、ホモを助長するような刺激があふれているのでしょうか?  探せばどこかにはあるでしょうけど、これだけ大多数の女性が推しをつがわせるようにさせる性的に強烈な広告を無思慮に打つほど、日本は退廃していないと思われます。  そりゃ下品な街はいくらでもありますよ。東京の歌舞伎町とか、大阪の飛田新地とか、わが故郷である岐阜の金津園とかね。でもいわゆる三大遊郭と呼ばれる地域はどれも男性向けの性風俗がほとんどですし、女性向けがあったとしてもせいぜいホストクラブでしょ。BLをプッシュするような施設はそうそうないんですよね。  ネットに溢れ返っているではないか、という指摘には簡単に反駁できます。なにもBLに限った話ではないのですが、ネットはお手軽に求めている情報が入手できる反面、検索しなければなにも始まらないですよね。ここにネットリテラシーが必要になってくる原因があります。  読者はこんな話を聞いたことはないでしょうか。あらかじめコップを2つ用意し、コップAには「死ね」、「バカ」、「インポ」などの汚い言葉をかけて凍らせる。コップBには「ありがとう」、「お疲れさま」、「ギンギン」などの美しい言葉をかけて凍らせる。  さて注目の結果はというと、驚くべきことにコップAの結晶がぼろぼろに崩れていて、コップBは美しい結晶になったというのです! まるでかけられた言葉を理解したかのようにね。このまことしやかな実験は「水からの伝言」という本にまとめられ、感動した教師が道徳の教材にしたとかいう信じがたい事例もあったようです。 「水からの伝言」を読んだ読者は興奮して書評を調べます。書評は基本的に評価の高いものが先頭にくるようになっているし、確証バイアスがかかっているのでそもそもマイナスの評価なんか目に入りません。かくして世紀のトンデモ本に騙されたまま、読者はスピリチュアルにどっぷりとはまっていくのであります。  この実験――と呼べるほどの水準に達してはいませんが――がおかしいことに、なぜ気づかない人がいるのかわたしは不思議でならない(書評は称賛の嵐でした)。だってあなた、水に死ねと言って結晶が崩れたり、ありがとうと言って結晶が綺麗になったりしたのが本当なら、水は日本語を理解できることになりますよね。  犬や猫ならば訓練さえすればある程度、人間の言っていることを(オペラント条件付け的な意味合いで)理解できるようになります。でも魚類や爬虫類くらいになるとさすがに名前を呼んでも振り返ったりはしなくなります。彼らは言語をまったく理解できないのですね。  水分子はH2Oという単純な構造をしていますが、これが魚類や爬虫類の脳より複雑でないことは明らかです。水分子の集まりに神経があるとは思えませんが、水はどうやって言語を理解しているのでしょうか? ありふれた存在であるはずの水が実はイルカレベルの超天才ばかりなのだとしたら、おちおち水も飲めやしません。  低レベルな話を続けて申しわけないけれども、たとえば英語で「Die !」と言ったらどうなるんでしょうか。それも理解できてしまうのでしょうか? 水はバイリンガルなんですかね。この時点でわたしの知能を上回っているのですが……。  水は(さすがにバイリンガルではないでしょうから)母国語しか理解できないとしても、では国境を越えて流れるライン川とかドナウ川とかの水はどうなるんですか。国境を越えた瞬間、ドイツ語からオーストリア語へヒアリング能力が切り替わるんですか? 海の水はどうなるんですか? 排他的経済水域は自国領だとしても、公海の海水は(どこにも属していないので)万国の言語を自在に操るのでしょうか? 戦争状態に陥っている国家群は? ロシアとウクライナの国境線は日々移り変わっているので、あのあたりに流れる川の水たちはめまぐるしい国際情勢に辟易しているかもしれませんね。  なぜわたしがこんなバカバカしい例を出したかというと、こんな与太を信じている人が――それも立派な成人が――多数いらっしゃるからです。  よろしいですか、ネットでしか知識を得ていないとこうなるのです。科学とはなにか、実験とはなにか、水とはなにか――。こういうことをいちから勉強していないので、もっともらしく聞こえる主張はなんであれ、みんな信じてしまう。教師ですら感動して教材にしている世の中なのですよ。頭がパーの子どもが子どもにものを教えているのだから、世話はない。  以上見てきたように、ネットは自発的に調べなければ情報を得られません。検索者の見たいと思う情報しかインプットできないのであります。確証バイアスを振り切って水からの伝言が誤謬であることを検索しない限り、いつまでもおめでたい頭のままです。  ここでようやくBLに戻るけれども、もしネットに溢れるホモ漫画・小説のせいで腐女子が拡大再生産されているのなら、因果関係に疑問が生じますよね。鶏が先か、卵が先かの循環論法に陥ってしまう。  腐っていない普通の女子が、なんの前触れもなくいきなりBLを検索するでしょうか? 検索しなければ情報は得られませんので、最初に踏み出す第一歩が絶対に必要になるわけです。しかし検索するまでBLなんて知りもしないはずなんですから、第一歩を踏み出す理由が見当たらない。普通に生活していれば、BLに染まらないはずなのです。  上記の理由から、BLは環境がそうさせているという主張は成り立たないと結論できます。とはいえ全面的に無関係とは言い切れません。なんらかの理由で偉大なる第一歩を踏み出した女子がBLの深淵をのぞき見た挙句、その後の人生が決定的に変わってしまうという事例はいくらでもあったでしょう。  わたしはその偉大なる第一歩を遺伝要因に求めたいのであります。 ② BL:遺伝要因  ついにここまできました。この項と次節を書くためだけに、長々と進化論の説明に費やしたといっても過言ではありません。わたしは執拗にBLが単なるいっときのムーヴメントではなく、なんらかの根源性があるのだという点を強調してきました。倦まずたゆまずお付き合いいただいた読者なら、同様の共通理解に達したものと信じます。  しかしBLを遺伝的に捉えるとなると、ひとつの困難が待ち構えています。進化論的に見て、「遺伝的な表現型」という言葉は常に「自然淘汰に優遇された形質」に読み替えられます。なぜか?  人間に限らずどんな生きものも、ほとんど無駄な器官を持っていません。盲腸などの痕跡器官はあるけれど、エネルギーのタダ飯喰らいをやらかしているパーツは原則、存在しません。手足や陰茎や目や内臓のどれをとっても、必ず生存と生殖に結びついています。  進化のボディプランは常にトレードオフであります。進化がもし垂直的により完璧な方向へ進むのなら、いずれは手足を失ってもトカゲみたいに再生する人間が生まれてくるはずです。あらゆる病原体に対する抗体を最初から持っていて、もしかしたら真空でも活動できるかもしれません(宇宙空間の水素を取り込んで体内の燃焼に使用する、人間版ラムジェット・エンジンみたいな)。  なぜそうならないのかというと、自然淘汰は所詮ありあわせでベターな製品を造ることしかできないからです。あくまで環境に適応した形質が優遇されるのであって、必ず機能が洗練されるとは限りません。  でも人間だって手足が再生したら他個体より有利になるはずでしょ、という疑問はもっともです。地球環境が不安定で、大気圏にいきなり穴が空くようなケースを考えてみましょう。あちこちで真空が生じ、これに引き寄せられる形で猛烈な真空波が日々、飛び交っている。人間はしょっちゅう手足を失ってしまうことでしょう。  こうした環境ならば、もしかしたら手足の再生が有利な形質として進化したかもしれません。幸いなことに地球大気は安定していたので、原始人類はあまり手足を失わなかったでしょう。なにより資源は限られています。手足を再生させるコストが高すぎて、脳がおろそかになったり生殖細胞の産生が鈍ったりすれば、本末転倒であります。  個体は遺伝子にとって重要でないのを思い出してください。それは所詮容れものであって本体ではない。大切なのは遺伝子が次世代に受け継がれるかどうかですからね。自然淘汰はエネルギーと資源をバランスよく配分して生きものを造形しているのですね。包装紙は多少豪華なほうがよいけれど、あくまで中身を守るのが役目なのと同じことです。  したがって自然淘汰は無駄を許しません。人間も二足歩行をやりだしたせいであちこち無理が生じてはいるけれど(椎間板ヘルニアなど)、これでも精いっぱいの努力がなされた結果なのであります。  もうわたしのいいたいことはおわかりでしょう。そうなりますと当然、BLも進化的に有利であったことになります。そうでなければ自然淘汰に優遇されず、泡沫遺伝子として排除されているはずだからです。  そうはいっても「男性の同性愛を好ましく思う」ことのどこに、生存や生殖に有利な点があるのでしょうか。これは難問ですよ。しかしわたしはあえてその難問に挑戦するつもりです。 9 BL進化心理学(前哨)  では論証していきましょう。読者に疑問の余地なく納得していただくため、例によっていろいろと遠回りをすることになります。まずは宗教に触れなければなりません。 ① 宗教のエラー仮説  宗教は世界的な現象であり、どの文明圏でもほぼ必ず人びとのあいだに根づいています。宗教間の相違で戦争が何度も起きていることから、これが人類にとって非常に大切なコンテンツであることがわかります。  また同時に、これほどまでに人口に膾炙している点からも、ほぼまちがいなく遺伝的な素因を持つはずだと結論できますね。そうでなければいったい誰が神だの仏だのいう戯言を信じるでしょうか。  動物行動学者のリチャード・ドーキンスはこの問題を次のように解き明かしています。 宗教とは一種の誤認(エラー)である  幼い子どもは右も左もわからず、庇護者がいなければろくすっぽ自分で排泄することすらできません。猫や馬などの哺乳類が生まれてすぐに自活し始めるのとは対照的に、人類の幼児はホンマになんもできひん。飯もよう食わん、うんこの仕方もわからへん。  これは脳の大型化の代償だというのが通説ですね。人類は進化の過程で脳が大きくなりすぎたせいで、乳児を完成品の状態で産み落とせなくなってしまったのです。頭の体積に比して産道が狭すぎるのですね(産道の広さに比して頭が大きすぎるといったほうが正しいかも)。  そうなりますと脳が小さいうちに産むしか手はありません。そのため人類の乳児は首も座っておらず、自力ではなにもできない状態なんですね。9か月を経ずに生まれてくる胎児を未熟児と呼んでいるけれど、自然界の常識に照らし合わせればそもそも、人類すべての赤ん坊が未熟児だといえるでしょう。  そうした事情もあり、乳児はとにかく親だけが頼りです。親の言うことを素直に吸収した者だけが生き残ったと思われます。。これは生存戦略としての鉄則であります。  ありていにいえば、信じる者は救われたのですね。おや、このフレーズはなにやら宗教っぽくないですか? しかり、宗教とは幼少期――知識の刷り込みが容易な時期――の精神的基盤がそのまま敷衍されている現象なのでは? 宗教教育はたいてい幼少期に徹底して行われますし、長じてから信心深くなる人はあまりいません。  もちろん長じてから信仰に目覚める人はいます。彼らはおそらく、生来的に幼少期のなんでも信じてしまう状態が(遺伝子の変異で)無期限に延長されている、一種のエラー状態なのではあるまいか? この状態は病気ではなく、いわばグラデーションのようにファンダメンタリストから無神論者までの〈信じやすさ指数〉とも呼ぶべき値の幅があって、前者の側にいる人びとが日曜日に教会へ通っているのでは?  この仮説を提示したリチャード・ドーキンスは、幼少期に親の宗教的信念を一方的に植えつける行為は、子どもの信仰を強制的に固定する虐待行為だ、と口を極めて罵倒しています。さすが〈世界三大無神論者〉という肩書きを持つだけあります(ちなみにあとの二人は心理学者のスティーヴン・ピンカーと哲学者のダニエル・デネットです。非公式ですが無神論者四天王というのもありまして、上記三人にわたしを加えたカルテットをそう呼びます)。  以上見てきたように、宗教は進化の生存戦略が意図しない形で作用した副産物である可能性があります。そんなことあるかいな、とお思いでしょうが、本事例のようにある特徴が思わぬ事態を引き起こすケースはしばしば見受けられます。  糖尿病や肥満は最たる例でしょう。原始人類は狩猟採集で生計を立てていました。甘い果実が見つかれば超ラッキー、次にいつありつけるかわからないので、できるだけ食べておかねばならない。こうして砂糖への選好が普遍的になっているのですが、現代は望めばいつでも甘いお菓子がいくらでも食べられる。自然淘汰が優遇した〈甘味への選好〉という形質が、現代ではむしろ適応度を下げる結果になってしまったのですね。  (可能性がある)。取り急ぎこれだけ覚えておいてください。 ② チンパンジーの群れについて  またがらりと話題が変わって恐縮ですが、お次はチンパンジーの生態についてです(信じがたいでしょうが、ちゃんとあとでつながりますのでどうかご辛抱をば)。  先述した通り、チンパンジーは人類ともっとも近縁な霊長類であります。彼らとは共通祖先を通じてつながっており、塩基配列的にはほとんど相違がありません。相似率は99パーセント以上ともいわれており、ほとんど人類みたいなものです(換言すれば、たったの1パーセントの相違でこうも変わるのですから、塩基配列の妙に感じ入らずにはおれません)。環境や変異によっては立場が逆転していたとしてもおかしくはありませんでした。  チンパンジーは鏡によって自己を認識できる数少ない動物です。道具を使ってアリ塚からアリを釣って食べたり、葉を水の受け皿にして飲んだり、(実験室で根気よく訓練すれば)ある程度の手話さえ可能であります。知能は非常に高く、群れ内でも意図的な嘘やごまかしを使い、要領よく立ち回る個体もいる。ここまで書けばさしもの人間絶対主義者である創造論者陣営からも、チンパンジーを人類のモデル動物として扱っても異論は出ないでしょう。  チンパンジーは群れで生活をしています。パターンは決まっており、必ず男系の――つまりオス社会になっているのですね。ちゃんと群れのなかではトップランクのアルファオスがいて、以下明確な階層秩序が定められています。傷ついて倒せそうでない限り、下位者は上位者に逆らいません。このあたりは人類のオスも似たようなものでしょう。  さて男系といっても当然、メスがいなければ子孫を残して群れを維持していくことはできません。同じグループのメスは自分たちの血縁者ですから、これは避けられます。驚くべきことにインセスト・タブー(近親交配忌避)は人類の専売特許ではなく、ほかの動物でもしばしば見受けられます。  通説は異常変異のある遺伝子がホモになってしまうから、というもの。われわれは母方と父方双方から染色体をもらっているけれど、それらが結合した際に両方に不備があると、表現型への異常が発現しやすいのですね。遺伝子は片方が異常でももう片方が正常なら持ちこたえることが多い(劣性遺伝の法則)。兄弟間は遺伝子の相似率が高いですから、両方ともダメになる可能性が高くなる。したがってインセスト・タブーが刷り込まれてきた、という論拠です(詳細を知りたい読者は補論を参照)。  そうした事情があるからなのかはわかりませんが、チンパンジーは奥さんを別の群れから迎え入れます。メスは成熟期になると生まれ育った群れを離れて受け入れ先を探し、そこを終の棲家としていますね。ときには群れ同士の縄張りを巡る戦争の戦利品として略奪されることもあるようです。  動物は同種同士殺し合わないという神話を信じている読者は愕然とするでしょうが、チンパンジーはムチャクチャ凶暴でして、相手の群れを一匹残らず殲滅するまで執拗にぶち殺したりします。チンパンジー研究者で、暴力団構成員でもないのに指がない人がいるのはそのためです。噛み千切られてしまったのです。  話が脱線して恐縮だけれども、。これだけ覚えておいてください。 補論 優性遺伝、劣性遺伝、キブツ  興味のある向きのために優性遺伝と劣性遺伝について補足しておきます(興味のない読者は読み飛ばしてかまいません)。優性遺伝とは染色体対のうち、優先して顕在化する遺伝のことです。劣性遺伝とは染色体対のうち、優性遺伝に隠れて発現しない遺伝のことです。  わかりにくいでしょうから式にしてみましょう。遺伝子Aと遺伝子aがあったとして、大文字のAが優性、小文字のaが劣性であるとします。そして劣性遺伝の発現が遺伝病の要因だと仮定しておきます。それらの第二世代までの組み合わせは次の通りです。 第一世代 AA×aa=Aa 第二世代 Aa×Aa=AA, Aa, aA, aa  第一世代はみんな必ずAaになりますので、遺伝病は表現型に現れてきません。優性遺伝のAが劣性遺伝のaを覆い隠してしまうからです。しかし第二世代はばらつきが生じます。ここで遺伝病を発症するのはaaですね。したがって第二世代が遺伝病を患って生まれてくる確率は1/4となります。  さて近親者は遺伝的に相似率が高いです。兄弟間は50パーセントの遺伝率なので、非血縁者と比べていろいろ似通っているわけです。たとえば染色体がAa, aaだとしたらどうなるでしょうか。 第一世代 Aa×aa=Aa, aA, aa, aa  なんと第一世代の時点で、1/2の確率で遺伝病が発症してしまうのですね。これがおそらくインセスト・タブーが強く働く理由ではないか、というのが通説であります(いろいろと異論もありますが)。  インセスト・タブーを図らずも証明してしまったのがイスラエルの共同体思想、キブツですね。キブツは幼いころから親元を離れた男女の子どもたちが一緒に暮らす組織でして、絆を深めて将来的に円満な結婚を、という趣旨のもとに立ち上げられました。  結果は惨憺たるものでした。キブツの男女間での結婚は一例もなく、みんなよそで恋人をこさえてしまったのですね。この失敗から人間は「幼いころ長期間一緒に暮らした異性には魅力を感じなくなる」という予測が成り立ちます。幼少期からずっと一緒に暮らしている異性は一般的に兄弟以外にありえませんから、この戦略はインセスト・タブーと合致していますね。  幼なじみとは結局ほとんど結婚しないし、幼いころ生き別れになった姉や妹に長じてから会うと普通に性的な興味を抱くことなどが、キブツの観察結果を裏づけております。「源氏物語」の光源氏の超ロリコン戦略は悪手だったわけですね。悲しき哉……。 10 BL進化心理学(本編)  長いBL解題の旅もそろそろ終盤です。グランドフィナーレに向かって一気呵成に走り抜けていきましょう。 ① 平和の使者:女性  チンパンジーの群れ理論から類推できる通り、人類も同様の繁殖戦略を用いています。世界には様々な婚姻システムがあって、夫婦別姓、同姓、はたまた姓の合成なんてのもある。けれどもほぼどの国でも嫁入りがデフォルトですね。これは男系の群れにメスが取り込まれるチンパンジーとまったく同じです。婿養子はかなり珍しいですし、男性は心理的に婿養子になりたいとは全然考えていません。  原始時代は男系の氏族(クラン)が支配する縄張りには、その氏族が管理する財産があったでしょう。それは獲物が集まる水場だったり、おいしい果実のなる疎林だったりしたのでしょう。  ですから基本的に男は外へ出ていきたがらなかったはずです。祖先から連綿と引き継がれてきた帝国があるのですから、出ていく理由がないのですね。どっしり構えて「よう姉ちゃん、俺ンとこへこねえかい?」と誘いをかける。メスはそれらのなかから好きな帝国を選んで嫁いでいく。現代では土地持ちの豪農みたいな典型的お金持ちは少数派でしょうが、進化は何万、何十万年のオーダーで起こるので昔の癖が抜けきらず、いまでも女性が嫁ぐスタイルなのだと推測できます。  これはわたしの持論ですが、上述の群れ理論は女性が狂ったように海外旅行へ出かけていく不可思議な現象と無関係ではない気がします。男は海外になんか全然興味がありません。「なんで高いお金を払ってよそへ出ていかにゃならんのか?」。これが男性族の総意であります。自分たちの日本(ナワバリ)から出ようと思わないのですね。  マッチングアプリで婚活女性たちはしきりに、行ったことのある外国を並べ立てて「諸外国に精通したアタシ」をアピールしているけれど、あんなモンあなた、マイナスにしかなっていませんからね。「なんや知らん、えらい金かかりそうな女がいてはりますわ(笑)」。男性族は醒めた目で海外旅行アピールを眺めております。まあ海外旅行に付き合ってくれないケチンボなんかお断りよ! と女性側も思っているのでしょうが。そら未婚率も増えますわな……。  話を戻しまして、女性は男系の群れへ飛び込んでいかねばならなかったし、いまでもそうです。  いっぽう男というのは基本的に協調性に欠ける生きものであります。われわれは同性と長く一緒にいることに耐えられない。本質的に同性はメスを巡って争う競争相手ですから、おのれ以外すべて敵だという意識が根底にあるのでしょう。「男子家を出ずれば七人の敵あり」ということわざがすべてを物語っています。の部分がミソですね。家のなかは血縁者なので味方ですが、外には実質敵しかいない。昔の人は直感的に進化論を理解していたのですなあ。  女性が嫁いでいく先は基本的に氏族の集まりですから、血縁者同士は比較的平和だったでしょう。ただそこは男性、血縁の遠い者、利害のかみ合わない者、なんとなく気に入らない者など、多数の対立要因が潜在していたはずです。それらが顕在化すれば氏族内で内乱が起きてしまい、収拾がつかなくなってしまう。  そこで女性たちはどうしたか? みずからが裁定、調停役として男性間の仲を取り持ったはずです。そうしなければ自身の将来が危うくなるからです。女性はとにかく争いごとが苦手ですね。男同士がいがみ合っていると金切声で「とにかくケンカはやめてッ!」と絶叫したりする。まあ、たいていケンカの原因は当の女性自身なんですけどね……。  また平和運動家や護憲論者もほぼすべて女性ですね。彼女たちはたいへん熱心に平和への希求を懇願してやみません。それがただ念仏的に「みんな戦争はやめようね!」と唱え続けるだけであったとしてもね。「憲法9条を敷衍すれば戦争が世界からなくなる」などという珍説を大まじめに主張するだけであったとしてもね。  なんにせよ女性が男性より平和を望む傾向にある点に異論はなかろうかと思います。それをわたしは原始群れ時代の裁定、調停役のころに培われた特質だといいたいわけです。ここまではよろしいでしょうか。 コラム 血は水よりも濃い  そもそもなぜ、血縁者は無条件で味方なのでしょうか。それは遺伝子の相似率が関係しています。遺伝率は1等親がもっとも高く、あとは漸次低くなっていきます。1等親離れるごとに半減していきますので、これはちょうど放射能の半減期とまったく同じです。言葉ではわかりづらいでしょうから、表にしてみましょう。 表1 遺伝率早見表 自分自身 100% 曾祖父母 12.5% 祖父母  25% 父母   50% 子ども  50% 兄弟   50% 孫    25% 甥、姪  25% いとこ  12.5%  読者は家族のなかで誰をもっとも大切に思うでしょうか。おそらく父母か兄弟ではないですか? じいちゃんばあちゃんよりも母ちゃん父ちゃんが大切だし、いとこたちより兄ちゃんや妹と仲がよいはずです。これはそのまま上掲の遺伝率にそのまま符合しているのですね。  生きものが存在する理由は、次世代へ遺伝子を伝えることなのでした。そのためには子孫を残さねばならないのですが、それはなにも自分の子どもをこさえるばかりが能ではありません。近親者の誰かがそうすることで、間接的に目的は達成されます。だって彼らにも自身と(まったくイコールではないけれど)同じ遺伝子があるわけですから。  友だちのガキは鼻水垂らした不細工ばかりですが、甥や姪はまあかわいい。もちろん自分の子どもが世界一なのはいうまでもありません。序列でいえば 自分の子ども>甥、姪>他人のガキ となりますね。これはそのまま遺伝率の高さと比例しています。動物でも働き蜂の遺伝率などから一生をワーカーですごすほうが結果的に、遺伝子を後世へ残せるという計算が成り立っています。これを血縁淘汰と呼びますね。提唱者のJ・B・S・ホールデンは次のように主張したと伝えられています。「もし自分の命と引き換えに川で溺れている親族を助けるとしたら、いとこを8人助けないことには割に合わないだろう」。  以上見てきたように、「血は水よりも濃し」のことわざの正当性が確認できました。昔の人ってすげえなあ……。 ② 暴走する調停役  女性は平和愛好家。この点はまちがいなかろうかと思われます。原始時代、女性たちはいつも頭に湯気を立ち昇らせている短気な野郎どもの仲をせっせと取り持っていた。それを怠った女性は嫁ぎ先が内紛で崩壊し、子孫を残せなかったと考えられます。  自然淘汰が働いてものぐさな女性は淘汰されていき、現代では争いごとを好まない、人類みな兄弟的な思想を持った女性たちばかりになった。話はこれだけで終わりません。調停役たちはいつしか、氏族間の争いを憎むあまりケンカそのものを憎むようになった。それは前述したように世界平和、護憲思想などの(進化的な有利さからは)いっさい無関係な方面へと発露した可能性があります。  さらに展開を進めますよ。「ケンカが嫌い」であるということの対偶は「仲よしが好き」ですね。これは同じ意味を換言しているだけにすぎない。したがって女性たちがそうした思想を持っていると仮定するのは自然な流れであります。  古来から氏族間の調停役を担ってきた女性たちは、男性が仲よくしているのを見ると安堵を覚えたことでしょう。これであたしたちの将来も安泰だわ、というわけです。ん? 男性が仲よくしている、ですって? そうです、ついにBLと進化論がつながるときがきたのであります!  これは率直にいってエラーに近い。男性が仲よくしているのを好むのと、ケンカの仲裁はまったく無関係ですからね。でも前述したように、遺伝子は環境に適応して選ばれた以外の使われかたをするケースがしばしばあります。それは幼少期の生存戦略が宗教の基盤になったり、果実を貪り食うというカロリー貯蔵戦略が糖尿病につながったりといった事例でした。  もうわたしのいいたいことはおわかりでしょう。そうです、BL調!  いかがだったでしょうか。個人的にはかなり説得力のある仮説をご提示できたものと確信しております。あとは読者諸兄姉のご指摘、ご叱正を待つばかりです。  本エッセイは可能な限り緻密に論証することを目的としたため、議論があちこちに飛んでおり、かつ要所に著者の趣味としか思えない無関係な話題がちりばめられておりました。それらを統合する意味でも、最後に論証過程と結論をまとめておきます。 ①BLについての従来仮説は誤りである ②原則、腐男子は存在しない ③BL文化は縄文時代まで遡り、明確な開祖は特定できていない ④BL文化はおそらく日本がミトコンドリア・イヴだが、世界もすんなりそれを受容している ⑤趣味嗜好の選好も進化心理学で説明できる ⑥推しとは恋愛感情と母性のエラー的な発露である ⑦腐女子の人口は1千万人を超えており、単なる一時的なムーヴメントとは考えにくい ⑧BLは環境要因ではありえない(≒遺伝要因である) ⑨宗教や甘味への選好は本来の適応環境から逸脱した挙句の副産物 ⑩チンパンジーの群れ理論  以上の証拠からBLとは、 女性の平和志向が形を変えて現れた遺伝子発現のエラーである と結論したのでした。お付き合いありがとうございました。
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