新しい航海と死

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新しい航海と死

新しい職場になって事務員は私だけだった。 他にももう1人くる予定だったが、連絡がなくはっきりしないままフェードアウトした。 だけど、私1人でも嫌ではなかった。 仲間と一緒に頑張る!それだけだ。 前職場が政財界が関わっている大きな組織だったからか、黒い力が働いた印象にも思える。 くる予定だった人は、元々、はっきりしない人で、いつも仕事をサポートしていた。 1人になったとて、ヤバい大変だとか一切思わなかった。 寧ろその人が来ない方がフォローすることもなく、仕事がスムーズに運びそうだとも考えてしまう。 先生は、私の仕事のやりたいようにしていいと言ってくれていたし、なるべく少しでも効率よくこなせるようにしたかった。 電子カルテの導入などに関しても業者さんと話し合いをして決めていった。 クリニックがオープンしてからは目まぐるしく時間がすぎていった。 最初は少なかった患者さんの人数も数ヶ月経つと何百人も増えていた。 請求業務も全ていい感じにスムーズに進んだ。 請求書を発行して、次の月には同時に振込みされたかどうか確認をし、患者さんの診察料金が支払い完了していれば、請求書と同時に領収書も発行される。 領収書には領収印が必要だったが毎月押すとなるとそれだけの作業で時間が取られてしまう。 開院前に業者さんと相談して、領収書印も印刷してもらえるように、領収印を事前にデーターに取り込んでもらっていた。 少しお金はかかるが、窓枠の封筒を購入してもらい、領収書、請求書に患者さんの住所を印字してみえるように設定すれば、封筒に切手を貼るだけで送付できたし、どれだけ仕事を省けるかで準備を進めたことが後に役にたった。 職員は常勤3名。 先生、看護師、事務各1人ずつだ。 一番事務の業務が多かったから先生も看護師もサポートしてくれていた。 みんな常に業務に追われていたし、私は毎月同じ流れで仕事が回ってくる。 だけれど、私自身は、とてもやりがいがあったし、書くことも楽しい時期でコンテストに提出する作品を仕上げる為に、寝ないで出勤していた時もあった。 職場の近くにハンバーガーショップがあり、そこの紅茶が美味しくて朝、昼と出勤日は1日2回行くこともあった。 毎日が楽しくて前職場にいた世界とは比べ物にならないくらいウキウキワクワクする毎日。 気がつくと1日があっとゆう間に終わっている。 書くことも好きだが、推し活にも少しずつ力が入ってきた時期でもある。 あの時期に我が推しに出会わなければ、どうなっていたのだろうと考えてしまう。 ♢♢♢♢ 毎日日々忙しく過ぎていた夏のある朝。 それは突然知らされた。 ───プルプルプルー 電話の呼びたし音が鳴る。 事務員の私は電話に出る。 電話の相手は、先生の家族からだった。 「終わりです」 「え?え?」 「終わりです」 「え?」 終わりとは、何の事を言っているのか理解出来なかった。 ───頭の中がモワンとはっきりしない感覚でスローモーションに感じるやり取り 『終わりです』と聞いてもピンとこず、何度も同じ事を繰り返し聞いていた。 「な、亡くなりました」 「え?」 「息子が死にました、亡くなりました」 全てを理解したのは『亡くなった』と『死んだ』とはっきりした言葉を聞いてからだった。 それからのことは、あまり覚えていない…… とにかく頭が真っ白になり、体の力が抜けてしまう、1人クリニックにいる時も仕事を進めないといけないのに、手につかなかった…… 前日に「いつもありがとうね〜」と声をかけてもらえて 『おつかれさまです』と2人で挨拶をしたのが最後となってしまった。 ご家族とは、その日に出勤だった臨時の先生(先生とは友達でもある)に電話をかわった。 とにかく患者さんの診察予定をキャンセルの連絡をしたり処方を出したりした。 うちのクリニックは訪問診療のクリニックだったため、その日は理由は知らせず院長体調不良とのことで診療を延ばしてもらった。 数日分の診療を変更してから今後どうするか指示を待ち近くのクリニックの力を借りて新しいクリニックに患者さんの振り分けの準備もする。 とにかく、泣かないように毅然とした態度に徹し 冷静に対応するように務める。 数日経ってから亡くなったことを話すことになり患者さんにも話したりもした。 事実を患者さんに説明するのに、息が詰まる…… 数人の患者さんに伝えた所で、 『泣きわめく人』『泣きながら残された職員へ優しい言葉をかけてくれる人』『事態を信じられず何度も電話してくる人』 患者さんは、訪問診療であり皆、高齢者だ。 とにかく、先生と患者さんとの信頼関係は厚かった。 状況をそのまま伝えてしまうと大きなダメージを与えてしまうかもしれないと、ご本人には体調が悪いと伝えた後に理由を直接伝えず家族の方へ連絡することにした。 そして、先生のご家族の哀しむ姿も目の当たりにした。 時には、一緒に哀しみを背負って涙し、時には少しでもサポートできるように業務以外の事も お手伝いした。 私よりも、家族や関わりが深かった人の方が辛いのだからと報告しないといけない連絡などは、できる限り引き受けるようにもしていた。 家族や患者さんの気持ちに寄り添って一番近かった看護師さんにも寄り添うように心がけた。 だけれど、こういう誰かが亡くなったときに 人の汚い部分がはっきりしてくるものだ。 人の憎悪、闇の感情がとぐろのように渦巻く。 生前そうだった?と疑問に思えてしまうほど、 ここぞとばかり連絡をとってくるもの、患者さんを自分のクリニックに入れようとして『私もすごく悲しい』と患者さんに話していた看護師。 その看護師は先生が生前、仕事を振らなかった人なのだ。 そして、『すぐに連絡してくれなかったから』と言ってその看護師の口車にまんまとハマってしまった患者さん。 身内でもそうだが、誰かが亡くなったときは 必ずこういった人間の汚い部分が嫌でも目に入ってしまう。 ♢♢♢♢ 先生(院長)は、若くして亡くなった。 『死因は突然死だった』 何か思い詰めていた事もあったかもしれないし、 私達の為に無理をして仕事を引き受けていたのかもしれないと深く心残りで哀しかった。 1度、相談したそうな感じで気持ちを話してくれていた事があったのだけれど、電話がかかってきてしまい、そのまま話すこともなく時間が過ぎてしまった。 前職場の時に変な夢をみたこともある。 その夢は、先生が暗い部屋に1人うずくまっている。 その時はすごく苦しくて哀しくて息が詰まる思いで目が覚めた。 話しかけてみようかとも考えたこともあったけれど、一緒に働きだしてからも思い詰めた様子もなかったからそのままになってしまった…… 先生が亡くなってから ────もっと声をかけてあげることは出来なかったのか? ────どうしたらこうなる前に防げたのか? 毎日のように、考えた。 おきてしまったことは何もかわらない。 だけど、どうしても考えてしまうのだ。 先生が亡くなってからは、このクリニックも閉院することになった。 存続は、開設者が亡くなるとそれから引き継げないという仕組みのようで、家族の方も閉院するという希望だった。 とにかく、請求業務は、数ヶ月先までは、続く。 請求業務が完全に終わるまでの数ヶ月の間、クリニックの中で1人チェックしたりした。 この場所に1人で居たくない…… お葬式での先生の顔を思い出してしまう…… 気持ちを紛らわす為に、作業中音楽を流していた。 全ての仕事が終わってから、やっと心が緊張からとかれた気がしていた。 何もしない時間もあったし、できればすぐに働かずゆっくり過ごした方がいいとも言われていたのもあり、一時期は家に引きこもっていたが、落ち着いてきてからは、推し活にも専念した。 先生が亡くなった時も辛かったけれど、推しの歌を聴いて気持ちを紛らわすことが出来た。 どうしても考えてしまう気持ちを紛らわす為 推しの供給にひたすら置いていかれないよう追いかける。 SNSもひたすらチェックし、推しのバラエティー番組を観て、オンラインライブや展示会があれば参加した。 ♢♢♢♢ 自分自身、気がつかなかったが、落ち着くと色々と見えてくるものもある。 思っているよりも、自身の心へのダメージが大きかったということ。 イメージするなら 『心というガラスの結晶がバリンと音をたてて割れてしまったこと。』 今まで、書くことが楽しかったし、私から生まれる新しいお話が度々浮かんでメモにとったり書いたりしていたのだけれど、全く浮かばないし、書くことも出来なくなってしまった…… 一時期ゆっくりした後、推し活に力を入れていたし行きたいと思ったら出かけてもいたが、お金はどんどん減っていく。お金が減ってきていたから 何もせず一日家に引きこもる毎日。 持て余す時間の中で色々な事を考えてしまう。 『人はどうして死んでしまうのか?』 『人はどうして生きているのか?』 私の人生、どうして生きているのか? 何か意味があって生きているのか? 小さい頃から『短命』と言われて ずっと……生きることを投げ出したいと思った時もあるけれど、自ら命をたつ勇気すらない。 投げだしたいと思ったときも、小さい頃一緒に 病気と戦った戦友達の顔が思い浮かぶ。 何があっても苦しくても生きていく。 ただ、また同じ業種で働く気にもなれない。 何を考えるわけでも、何かするわけでもない。 家でテレビをみているうちに一日が終わる。 こうしている間にも毎月お金は減っていくのだ…… お金がないと生きていけない世の中。 仕方なく、家の近くにあるクリニックで面接を受けてみる。 このクリニックへは募集してるよと友達が教えてくれた。 近くなら通いやすいと思って応募した。 面接は狭い部屋に私以外に4人程クリニックの方々がいて、質問をされる。 こんなに人が多いのは何故か恐怖を感じた。 「車は運転できますか?」 「免許は持ってますがペーパーです」 ペーパードライバーになってから数年もの日々が流れていた。 私に運転できるのだろうか?心配ではあるが 難しいようなら落とされるだろう。 採用の知らせを受けたのは、数日たってからだった。 人と本当に馴染めずとても心配で初日を迎えた。 クリニックは、産婦人科と小児科で小児の検診もある。 大学病院で経験はあるものの、産婦人科、小児科は業務をしたことがなく新しく覚えることになる。 職場の雰囲気は馴染めず、ずっとクリニック内に缶ずめで外に行くにも周りには何もない。 初日から息が詰まりそう……そう感じていた。 だけれど、クリニックで昼ご飯が頼めるため、暖かい食事がでる。 何より料理も美味しい。 ここでいい事といったらそれしかない。 事務員の人達は、働いてみるとあまり仲良くなれる気がしなかった。 近日中に2人辞めてしまうようで、リーダーとして働いている人達も昔の状況を思い出させる感じの雰囲気だった。 その後は、自分なりに頑張ってみたものの、 長くは続かなかった。 リーダーの次に先輩の人、私より2.3歳年下、独身。 いつもピリピリしていてある時荷物が届いて声をかけたのだが…… 「そんなのそこに置いとけばいいいんだよ!」 と結構な剣幕で言われて言葉を失った。 私、何か悪い事をしたのだろうか? ただ普通に聞いただけなんだけれど、と。 日々ちょっとしたストレスが蓄積される。 ある日仕事に行きたくなくて欠勤した。 気分が塞ぎこみ重い。 今まで、どんなに仕事で無視されようと影で嫌がらせをされようとそのくらいで休むことなどしなかったのだが、もう1人の私が危険信号を放っている。 次の日 休み明けに連日休むのは流石にまずいと 本調子ではない気がするが出勤した。 朝の診療準備をしている最中に、あの先輩に 強い口調で言われた。 あの時は、何を言われたか覚えていない。 ただ、覚えてるのは、勇気をだして 「私の何がいけないんですか?何か悪いことしましたか?今日も本調子でないけど出てきたのに、そんな態度されるなら私辞めます」 そうボロボロ泣きながら話していたのを覚えている…… その時にまだ私の心は回復してなかったんだと 理解した。 先生が亡くなったあの時からずっと心は回復していなかったのだ。 その後は、個室で先輩と少し話をした。 「リーダーにも注意を受けていたけれど、人と上手く接することができなくて……ごめんなさい」 「私もごめんなさい。いたらない所ばかりで」 もっと違うタイミングで出会えていたら歳も近いし仲良くなれたかもしれない。 そして、私の短い再就職は終わりを迎えた。
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