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子供の頃から私の取り巻く世界はとても生きづらく感じていた。 生きていく事がとても辛かったのだ。 小さい頃から、これも、あれも、それもダメと制限されて生きてきて 何をしたいのか?好きなことは?と自分自身に問いかけてみるけれど解らず時間だけが過ぎていく。 結局は、自分の事を一番わかっていないのかもしれない。 どうしてこんなに辛い想いをしないといけないのかと不思議だったし 何のために、私は生きているのか……? みんなと同じ、普通だとそう思っていたのかもしれない。 ♢♢♢♢ 私は、父、母、私、弟、妹の5人家族の長女として生まれた。 周りの大人達からは、お姉ちゃんだからと言われている事が多かったし、自然とそうしないといけないと思って行動してきた。 ─お姉ちゃんだからガマンしないといけない。 ─お姉ちゃんだからしっかりしないといけない。 お姉ちゃんだからと飛び交う世の中で我が家も例外ではなかった。 母がケーキを買ってきた時に一度仏壇にお供えし、食後にケーキを頂く。 ケーキは色々な種類のものを買ってきてくれていた。 いちご、チョコレートのショートケーキ、フルーツタルト、チーズケーキ。 当時甘いものが苦手で唯一チーズケーキなら食べることができたのだが…… 「お姉ちゃんのチーズケーキ貰ってもいい?」 下の子達に言われると『ダメ!』とも言えずにあげていた。 本当は食べたかったけど。 当時ブランドモノが欲しくて初めての給料でヴィトンのバックを買った。 「お姉ちゃんバックかして」 と一度だけならいいかとこれも貸してあげていたのだが…… 頑張って働いた給料で買ったバック。 買えたことがとても嬉しかった。 嬉しい気持ちと勿体なくて使えない気持ちとそうこうしているうちに妹に使われてしまったのだ。 それでも、「お姉ちゃんだから」と呪いのような呪縛にすぐ戻ってくるからとヴィトンのバックの帰りを待ったのだ。 しかし、一度ならいいかと貸したのが間違いだった。 戻ってきた時には、新品とは程遠い、姿になっていた。 新品の時の革の部分は、白かったのにシミが付いていて、皮の色も濃い色へと変化して、とても悲しい姿へと変わり果ててしまった私のバック。 今でも昔話になるとこのエピソードを言ってしまう。 こういうエピソードを話すと何もなく、健康に育ってきたのだろうと思うだろうが、実は違ったりもする。 それまでは、ずっと生死の境界線で生きていくこと、ただ、命の炎が消えてしまわないよう戦友達と戦った日々。 ある程度の大人になり、子供の頃の写真をみても 「私、顔色悪いじゃん!」 とついつい言葉が出てしまうのだけれど、私の命を脅かす存在、それは先天性の心臓病。 先天性と言うと生まれつきに何らかの原因で病気を持ってきたということ。 不思議とずっと気がつかれなくて心臓病がわかったのは、小学校に入学する時の健康診断でだった。 「よくここまで発作もなく生きてこられましたね!」 と主治医や周りの大人達には言われ小さい頃から『短命』とも言われて子供心にも『私早く死んじゃうんだな』と理解していた。 私の両親は隠すことはせず、そのまま伝えるスタンス。 病気がわかってからは、とにかく生きることに必死だったし、昔を思い出そうとしていても小学校や中学校の細かい学校生活の記憶はなく、病院での怖くて辛い出来事が鮮明に脳裏に焼きついている。 病院は地元の小児専門の病院に通い、手術もそこで行われた。 病室では、みんな私よりも小さい子達で懸命に病気と戦う戦友がたくさんいた。 今でも忘れられないのは、マー君。 男の子でとても可愛い顔をしていた。 私と同じ心臓病。唇は私と同じ青紫色。 私は小学校に入学する時に初めて入院したから 病室では、一番年上だ。 同じ病室ではみんなと絵を書いて遊んだ。 当時の記憶だと一番マー君と遊んでたんだと思う。 マー君は目がクリクリしていてかわいい顔をしていた。 大人になれば、きっとイケメンになるだろう。 一緒に病気と闘う戦友達のように、私も負けてはいられないと勇気が湧いた。 ここでは、みんな私よりも小さい子達が一生懸命に自分の命と向き合って生きたいと病気と戦っている。 一番年上なんだから泣いちゃいけない。 我慢しなくちゃ……。 『平気だ!何ともない!手術だって寝てれば終わってる』 毎日恐怖にたえながら、みんなと楽しく遊びながら過ごしていた。 みんな同じ、ひとりじゃない。 それぞれ違う病気だけれど、集まって本を読んでみたりおしゃべりをしたりしてここが病室だと忘れてしまうように遊んでいた。 ♢♢♢♢ マー君も含めほとんどの子供達は 入院中や手術の時は、点滴をしていた。 大人では腕の内側に点滴をしたり採血するけれど、子供は動いてしまうから、手を固定されて 手の甲に点滴をする。 手の甲の血管を取りやすいように、への字になった板の上(プラスチックなのか何なのか不明)へ手をおき、テープで固定される。 手の甲に刺す針の中に管が仕込まれていて、刺した針を抜くと管だけが残り点滴の接続部と連結出来る。 点滴をしなくなるまで片方の手は固定されたまま。 ずっと管が入っている状態で何度も同じ所から点滴をするので、次第に腫れてきてしまう。 腫れてきて医師が外したほうがいいと判断したら針を抜く。 そして、また違う所へ針を刺す。 ある夜、寝てる間にどこかで点滴を取ろうとされていて目が覚めた。 消灯し周りは暗いはずなのに、暖色のライトに照らされて目が覚めた。 足の辺りに医師や看護師が集まっている。 なんだろうと思った瞬間とてもガマンできない程の痛みに襲われびっくりしたのを覚えている。 足の甲へ針を刺されていた…… 足の甲は、手の甲よりもはるかに痛い。 怖かったり、辛かったりする記憶は鮮明に覚えているものだ。 大人になった私は、すぐ忘れるのに…… 痛くて泣きわめいた記憶を自分でも不思議に思うくらい今でも鮮明におぼえている。 どのくらい痛かったのか痛みは忘れてしまうけれど記憶は鮮明なのだ。 ───消灯後の自分のベッドでの灯り。 ───暖色のライトのオレンジが辺りを照らす。 辛くて我慢してひたすらたえていたのかもしれない。 逃げ出したくても、決してお父さん、お母さんに心配をかけないように。 いつも元気にしていなくちゃとメソメソしないように頑張ったし、頑張れば早く退院できるからと信じてたえた。 治療が終われば1人また1人と退院していく。 私も退院の日、マー君はまだ入院中で 「頑張ってね!元気でね〜」と挨拶して退院する。 「いっぱい遊んでくれたから」 とマー君のお母さんから退院のお祝いにうさぎのぬいぐるみをプレゼントされた。 うさぎのぬいぐるみは当時の私の体と同じ位の大きさだった。 目がまん丸で女の子の白うさぎ。 とてもかわいくて肌身離さず一緒にいた。 私の大切なお友達。 いつもつらい時は強く抱きしてた。 心臓の手術はして良くなったのに、たまに目がチカチカして見えなくなる。 目のチカチカが治まると激しい頭痛と吐き気に襲われた。 「頭が痛いよ、目が見えないよ」 どんなに周りの大人に訴えても原因は分からないし気づいてもらえない…… 痛みに耐えるたび、うさぎを強く抱きしめた…… 私の友達…… ♢♢♢♢ 大人になった今の私は、色々な人達と話す機会がある。 ある人は、「子供の頃に幸せだと小さい頃の記憶はなくなってしまうみたいだよ」 そう話してくれた。 たしかに!と私は変に納得してしまった。 うちの家庭は、一般的に考えると幸せな方だと思う。だから楽しかった日々は全く覚えていないのかもしれない。 唯一覚えているのは、昔、地元に洋食のお店があり、そこのパフェがとても美味しかった。 パフェには生クリームがソフトクリームのように いっぱいのせられて運ばれてくるのだ。 その生クリームも甘さが程よくて美味しかったのを覚えている。 入院、手術が多く痛くて怖くて…… その記憶が強く残ってしまってるのだろう、ただそれだけだといい聞かせている。どおってことない。 きっと子供ながらに、つらい気持ちは忘れてしまうように自己防衛をとっていだろう。 印象が強い記憶は残ったまま、 普通の何気ない日常の記憶はほぼないに等しい。 心に衝撃が強い記憶を消すかわりに、日常の記憶も消えてしまったのだろうか……? 小学校に入ってからの授業の内容や友達とどんな事をして遊んだのかなど全然おぼえてない。 「あの時、担任の先生がいい方で居残りして勉強教えてくれたじゃない?」 とふと思い出話になった時に、私の小学校の頃の話を母親が話してくれた。 入院ばかりしていた私に担任の先生が授業についていけるように一生懸命教えてくれたということだった。 「そうなの?私、全然おぼえてない!」 頭でもおかしくなってしまったのだろうか?ふと恐怖を感じてしまう。 だって、居残りした記憶も担任の先生の名前も全くおぼえていない。 私は、どこか違う世界へ迷い込んでしまったのだろうか? おぼえているのは、校庭で放課後同級生とバスケをしたこと。(小学6年生) 初めてメガネをかけて学校へ行ったら男子に 「おまえ、メガネ似合わないな!」 と言われたこと。 (この時はすごく傷ついたんだけどね。) 体育の授業に参加出来ず見学していたら「来る意味ある?」って言われたこと。 (まあ、その時ははげしく泣きそうになったけど……) 悪気がないからこそ、とても傷ついた。 小学校の苦い思い出…… 中学校では、仲のいい当時の親友Aと過ごしている事が多かった。 親友は人気者で他にも友達がいっぱいいた。 私はAの「一緒に行こう」って言葉にいつもついて行く腰ぎんちゃくのようだった。 Aと仲良くなりたいと思っていた同級生は、私が邪魔だったのだろう。 いつもその子達とも一緒にいたけれど、Aと私が喧嘩した時は絶対にAの味方をした。 そして、Aと喧嘩した時はいつもひとりぼっちになった。 だけど、すぐに仲直りをしたし、私と他の友達Bが喧嘩した時はAはいつもどちらの味方もしない。 私が離れていると「一緒にいこう」と仲間に入れてくれた。 AとBが喧嘩したときは、私はAの味方だ。 だって、Aと私が喧嘩した時、BはいつもAの味方だから。それに私は腰ぎんちゃくだから。仲良くする価値もないのだろう。 もちろん、自分でついていってた気持ちもなかったのだけれど、今ここで振り返りながら書いていると、何してたんだろうな〜私。と感じてしまう。 そんな中学校生活だった。 高校生になってからは、世に言う高校生デビューというものなのか? 今考えればモテたりもしてたのかな? 背も高くて大柄な性別は男の子だけれど、性格は女の子の同級生がいて本当なのかどうかわからないけれど 「みんな男子はアンタの事狙ってるよ」 そう言われた。 中学生まで好かれることなんて無縁だったし、何言ってるんだろうなぁ〜なんてフワフワした気持ちで聞いていた。 この学校は3年間クラス替えがない。 自宅からバスで40分程ゆられ、さらに電車に揺られて30分。 そして、歩いて20分程の所に学校があった。 まぁ、いずれサボりの常習犯になってしまうのは言うまでもありませんが…… (結果、何とか卒業はできた。 終わり良ければ全てよし!としよう。) 学校生活は人間関係の勉強でもあるし大人になって嫌いなら関わらなければいい話だ。 もちろん、社会の中ではそうじゃない場合もあるのだけれど。 高校生活ではだんだん人との付き合いがめんどくさくなって卒業するころには、1人で行動する事の方が楽だった。 あの時はどうしてそんな事がおきてしまうのだろうと考えてしまい疲れてしまったものだ…… 原因は私と1人の子とケンカしたこと。 理由はおぼえてないけれど、腹がたって 「私は、C子とはなさないから!」と他の子達に言ったのがきっかけ。 私は、自分が話したくないから話さないと言っただけなのだが…… 「光が怖かったから」と言われて 結果的にC子を仲間はずれしたという形になってしまった。 仲間はずれする気持ちも全くなかったし、そんなことするくらいなら直接言ってしまった方がいい。 あの時の私は、少しトゲトゲしていたのもあり、ひとりぼっちになってもいいから気持ちを貫きたかったのだ。 だが、そのトゲトゲ感が周りには怖く感じていたみたいだ。 人によって捉え方も違えば、伝わり方も色々で 伝える技術がない私は、思うように伝わらず、自分の想いとは反対方向に走っていってしまった。 そういうことがあってからは、仲良く出来るように自分なりに心がけたけれど、いつも一緒にいる友達に理由もわからず急に避けられるようになった…… 『ああ、人にひどいことをしたのだから返ってきたな』と納得してしまったし 仕方ない受け入れようとしていた。 また一緒にいられるように、理由を聞いたり誤解を解く勇気さえなかった。 もともと、小さい頃から入院ばかりで人と接する機会がなかったのもあり、コミュニケーションは下手くそ。 気がつくと1匹オオカミのようになっていた。 誰にも属さない、群れない。 それでも高校生活つまらなかった訳ではない。 他のクラスの子達や地元の親友、バイト先の先輩や後輩たちと楽しく過ごしていた。 バイト先の先輩から後輩に受け継がれていると学校は全く別なのだけれど、制服のスカートを譲ってもらったことがある。 私の通う学校の制服と色などが少し似ていたし、何より可愛かった。 次の日から着ていく。 高校生になればオシャレも敏感になるし その当時はロングにパーマをかけて制服は別の学校のもの。 こんなにも目立つのに、先生には何も注意されなかった。 むしろ、気づかれていない!ラッキーとさえ思っていた。 これだけは誤解して欲しくないのだが、 決して、当時のヤンキーとかスケバンではない。 どちらかと聞かれたら、落ち着いたギャルという感じでしょうか……? そして、完全に1匹オオカミとなったのは 全くおぼえのない噂を当時仲良くしていた友達に流されたことだ。 それがわかったのは 「光ちゃん、安心したよ〜」と当時一緒に卒業課題をしている優等生グループの1人に言われたからだった。 「え?何が?」 「うん……Dちゃんがね、光ちゃんのこと軽いみたいなこと言ってたんだよね」 と、重い口を開いてくれた。 私は、ビックリして目ん玉が飛び出してしまいそうな程驚いてしまった。 「え?何それ?違うよ」 「うん、そうだよね〜話してたらわかるよ〜」 とそんな出来事もあり、女の世界はめんどくさいなという気持ちや本人が知らない所で事実でもない陰口を言われてると思うと、とても恐ろしい。 よくことわざで『口は災いの元』と言われるが ずっと陰口を言う人ってそのうち癖になってそれしか言わなくなってしまうんだろうなと、大人になった今だから実感している。 嘗て私自身がそうだったから。 白色に黒色を混ぜたら灰色になるように、人の足の引っ張りあい、我が強く陰口しか言わない人達と一緒の環境にいれば自分が気が付かないまま染まっていってしまう。 気がついたら白から真っ黒になってしまっているのだろう。 悪口を普通に言う環境ならそれが当たり前になってしまうと言うことだ。 高校生活を振り返ってとても懐かしいような 昔は今よりももっと未熟だったと感じる。 ♢♢♢♢ 「マー君頑張ったんだけどね、うさぎのぬいぐるみをマー君だと思って大事にしてね」 マー君のお母さんから知らせが届いたのは 私がマー君の事を忘れてしまいそうになっていた頃だった。 手術をしたが、血液が足りず……とのことだった。 最後まで生きようと彼はその短い生涯を生き抜いたのだ。 そして、私はもうないと思っていた手術も大人になってからもう一度することになった。 手術は、心臓の弁を形成して部屋と部屋の間に開いている穴を塞ぐ。 子供の頃にも同じ手術をしたけれど、まだ塞ぎきれておらず、将来結婚し子供ができたときのために手術をした方がいいだろうとの判断だった。 子供の頃と違って大人になると手術説明、死亡リスク、どんなことをするのかなど現実を突きつけられる。 「うん!大丈夫!慣れてる!どうってことない」 と言ってみるものの、夜になると暗闇が私を包み込むように涙が出てとまらなかった。 手術日まで毎日夜な夜な泣いた。 手術までの間、個室に案内されて、窓からは綺麗な夜景が見えていた。 この夜景とも…… 見られなくなる日がくるかもしれない。 目に焼きつけよう…… そう思って泣きながら夜景を眺めていた。 夜になると、闇と静寂に包まれ無音だった。 泣いたって何か変わるわけでもないし、逃げることもできない。 そう考えていても涙が止まらないのだ…… 昔を思い出して、マー君のことを考えると私も戦わないといけない。と言い聞かせてみるけれど、怖くて怖くてどうしようもない。 家族の前ではどうってことない!と振る舞うように心がけたが、表情が暗かったのだろう。 「健康な体に産んであげられなくてごめんね……」 そう、母親が悲しそうに涙を流す。 「何言ってるの?私はそんなこと思ったことないよ」 今の、精神状態でこれが精一杯の返答だった。 『一緒に泣いたらいけない、心配させちゃうから。』 心の中で感情を抑えながら必死にこらえた。
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