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はじまりはハプニングバー
目の前に、ポールダンスのステージがある。
その前にいるのは全裸の美女……ではなく、全裸のおじさんだ。
美中年なんて優しいフィルターはかかっていない。
お腹の出た、ごくごく普通のおじさんだ。
おじさんは店内にかかっている音楽に合わせてフリフリと腰を振り、見事にエレクトした一物――しかもデカい!――を揺らしていた。
ただ音楽に合わせて腰を揺らす程度なら、ずぶの素人にもできる。
だがおじさんはポールダンスを使った動きをある程度分かっているのか、ポールを使ってそれは見事に踊っていた。
全裸で、フル勃起したまま。
巨大なスピーカーから、ズンズンとお腹の底に響く音楽がかかっている。
ピンクや紫の毒々しいネオンがフロアを照らし、スタッフであるバーテンデーや案内係のバニーガールだけは、きちんと制服を着たまま働いていた。
そう、ここは店である。
世間的にはハプニングバーと呼ばれている、法的に言えばグレーゾーンな風俗店だ。
店内にいれば、何かしら〝ハプニング〟がある。
ただし幾つかのルールはあり、カップルで来店した場合は、シングルで来店した人に声を掛けてはならない、またその逆も然りという決まりがある。
受付時には顔写真のついた身分証明書を提示し、何者であるかをきちんと明確にする。
そして更衣室で服を脱ぐ、もしくは店側が用意したコスプレ衣装に着替えたあとは、店内ではスマホの持ち歩きは禁止となる。
勿論、この店で起こっている事をネットなどに流布しないための防止策だ。
若い女性客は無料のアルコールを飲んで、店内の雰囲気を楽しんだあと二十時頃には帰ってしまう事もざらだそうだ。
また単身で訪れた男性客があぶれてしまい、もとを取れないまま帰って行くのもよくある。
うまくいけば非日常を求めている客――素人と、本番行為にも及べる。
しかしゴムは必須。
そして相手のルックスが好みではない場合、きっぱり断る事ができる。
親友から聞いた話では、ハプバーでは女性優位であるため、女性が「あなた好みじゃないの」と偉そうに断っても全然いいようだ。
それらの情報を聞いたあと、私――折原優美は単身五反田にあるハプニングバーを訪れていた。
店内はとても暗く、濃い化粧をしていなければ顔面アピールができない。
そこまで気合いを入れるのも……と気が引け、いつもより少し濃い目にアイメイクをした程度にしておいた。
急に警察の摘発が来た場合、客であっても全裸であれば公然猥褻になってしまう。
なので親友からは、いざという時のためにコスプレ衣装を着て、体を守る布を身につけていたほうがいいとアドバイスされていた。
私はセクシーナースの超ミニなワンピースを着て、頭にもナースキャップをピンで留めていた。
下着はオープンブラにガーターストッキングと、オープンクロッチのTバック。
これらは私物だ。
七センチヒールをコツコツと鳴らしてゆっくり店内を歩いていると、下着一枚の男性たちの視線が纏わり付くように感じる。
私のルックスは、友達によると「完全にS女」らしい。
背は高い方で百六十後半。ジムに行って体を鍛えるのが好きなので、バストもヒップも我ながらプリンプリンだ。
自分でもボディメイクを心がけているので、ある程度自慢したい点ではある。
というのも、子供の頃に太っていたから……というトラウマはさておき。
仕事時にはきっちり纏めているロングヘアも、今はサラリと流している。
キャットアイ気味にアイラインを引き、ルージュは濃い目。
完全に「キツそうな女」である。
自分でもよく分かっているので、今さら他人に「私ってどう見える?」なんて質問はしない。
ジムでストイックに鍛えるメンタルがある分、負けず嫌いな面はあると思う。
過去の悔しい体験があるからこそ、「ふざけんなゴラァ!」というメンタルで筋トレをしている。
だからなのか、男女構わず競争率の高い営業部で、「えっぐ……」と男性社員に引かれるほどの成績をだしている。
飲みの席でだって「お酒飲めなぁい」なんて言った事はない。
売られた酒は買う主義だ。
何なら一人でだって居酒屋に行って日本酒飲み比べをするし、一人ラーメンも焼き肉も、一人フレンチだって行く。
お一人様上等で、あらゆる場所に堂々と行けるのは当たり前なので、集団でなければ行動できない学生女子的心理とは程遠い。
「寂しくない?」と時々空気の読めないおっさんに言われるけど……。
寂しいに決まってる!
現在私は二十八歳で、最後に付き合っていたのは二十四歳の時だ。
当時の彼氏は同僚だ。
奴は当時の私の仕事ぶりと稼ぎに引け目を感じていた。
その上、いざセックスという時になってお酒を飲みすぎて勃たず、最終的にミッションコンプリートできなかった人物である。
私は「そんな事もあるよ」と慰めて、次回に……と思っていたのだけれど。
奴は人一倍プライドが高かったようで、勃起できなかった事に相当傷ついたようだ。
それなのになぜか、友人や知り合いに「あいつ、すっごいヤリマンで搾り取られたwww」と吹聴されてしまったので、私の評判はだだ下がりだ。
私は「美人でヤリマンの折原さん」として名を馳せていく。
一方で、元彼は小動物みたいな可愛い彼女を社外に作り、つい最近「できちゃったんで結婚しまーす」と報告していた。
ふざけんな。
という事で、ゴッリゴリに怒り狂った私は、親友からハプバーの話を聞いて、単身乗り込んだのだった。
そして現在。
「隣、いいですか?」
話しかけてきたのは、少しヒョロッとしているけれどイケメンだ。
「どうぞ」
よし、きたきた。
私は微笑んでカウンターにもたれ掛かる。
「どっちですか?」
ん? 「どっち」?
彼の言う事が分からずに目を瞬かせていると、彼はうっとりと目を細めて自分の喉元をキュッと軽く締めた。
「僕の予想ですと、お姉さんはSの人かな? と思うんですが。即興の奴隷をお求めなら、喜んでお供します」
っああぁああああぁあ!!!
盛大な勘違いをされ、私は内心絶叫する。
ちがう!!
私は!
普通に!
自分より強い雄にオラオラされたいの!
「ごめんなさい。あなたは私の求めているタイプじゃないみたいです」
微笑んできっぱり告げると、彼はとても残念そうな顔をして「そうですか。仕方ありませんね」と去っていった。
ふぅぅ……。
なるほど。色んな性癖の人がいるな……。
上のフロアにはSM用の吊りをやるスペースもあるみたいだし、あらゆる性癖を持つ人がここに来て、上手にマッチングしたあとの〝ハプニング〟を期待している。
店では性癖に合わせたイベントなども頻繁に開催しているようだ。
私は〝ハプニングバー初心者さん向け〟というイベントに参加したつもりだったんだけど……。
すでにあれだけ仕上がっている人も初心者なのか。
勉強になりました。
――と、ポンと肩を叩かれた。
はぁ? 突然お触りするの、マナー違反じゃない?
そう思って私はすんごい不機嫌な顔で振り向いたのだけれど――。
っっぎゃああぁああああぁ!!!
「あ、やっぱり折原さんだった」
目の前に立っているのは、会社の後輩だ!
終わった!
社会的な! 死!
私が笑顔を作ったままプルプル震え、固まっている間、後輩――岬慎也はバーテンダーに水割りを頼んだ。
「しっ……慎也、くん、いえ、さん、……どっ、どうっ……してっ」
プルプルと震えすぎてマナーモードみたいになっている私に、慎也はケロッとして答える。
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