ロンドーン♪

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ロンドーン♪

「仕事を優先して、いざ子供を……ってなった時に、危険があるかもしれない……のは絶対に避けたい。そういうリスクは一パーセントでも低くしたい。大変なのは優美だから、一番いい状態で出産をできるようにしたい」 「確かに……そうだね」  どうして仕事が大切かと言われたら、お金を稼ぐためだ。  でも正樹と慎也がいる時点でほぼ問題なくなっている。  あとは私自身のやりがいとか、プライドの問題だ。  それらと安全に子供を産む事を天秤に掛けたら、どちらに傾くかは自明だ。 「なんか、……うん。心が決まってきた」 「そう? なら良かった。ついでを言うとさ、優美ちゃんが出産後に働くなら、これからが人生の夏休みになるかもよ? 思いきり遊べる時に、文香ちゃんや学生時代の友人と遊んでおいたら?」 「あー、なるほどね」  見方を変えてみると、ポジティブに考えられてきた。 「私、〝バリキャリ女〟っていうキャラクターを必死に守ろうとしてきたのかも。これからは二人がいて、甘えられる環境にいるんだって自覚しないと」 「かもね。優美は一人で頑張っちゃうところがあるから」  慎也がポンポンと私の頭を撫でてくる。 「そっかー…………。そこ、改めないと」  自分のウィークポイントが分かり、私は放心してソファの背もたれに身を預ける。 「つよつよ女になれて、もっと強く、格好良く生きていこうって頑張ってきたの。自分の理想を胸に、『もっと、もっと』って進んでいった。浜崎くんの時は、彼がちょっと不甲斐ない人っていう事もあって、『私が面倒みないと』って思ってた」 「うん」  正樹が私の話を聞き、頷いて手を握ってくる。 「友達と一緒にいると安らぐけど、やっぱり『皆に好かれる自分でいよう』って思っちゃう。まぁ、ドス黒い感情を隠している訳じゃないんだけどね。ちょっとした愚痴ならあるけど、いつまでも引きずってるのは時間の無駄。せっかく友達といるなら楽しい時間を過ごしたいって思ってあまり〝弱さ〟を出さないでいた」 「まぁ、そうだろうな」  慎也が頷き、「お茶、淹れ直そっか」と、カフェインレスティーを淹れるためにキッチンに向かった。 「そっかー……。結婚って、頼るために力を抜く事でもあるんだね……。何か、目から鱗だ」  ぼんやりと天井を見上げる私の髪を、正樹がサラサラと手で梳く。 「急に変わろうと頑張らなくていいよ。今までアクセルべた踏みで頑張ってきたんだろうし、いきなり減速したら事故が起きるかも」 「あはは! そうだね!」  正樹の表現があまりにピッタリで、思わず笑う。 「これからはソロプレイヤーじゃなくて、チーム戦だと思わないと。ヘルプを有用に使って、より良い選択をしてく。そんで、二人が『癒やしてほしい』って言ってくれた時に、どーんと受け止められるようになりたい」  自分に言い聞かせるように言い、私は頷いた。 「俺も正樹も優美の夫になる。何かあったらすぐホウ・レン・ソウして、最強家族を作ってくぞ。なにせ、俺たちは三人親になるんだから」 「だね! すっかり失念してた。三人で結婚生活を送るって普通じゃない。生まれてくる子供に『この親のもとに生まれて良かった』って思ってもらえるようにしないと」  自分が積み上げたキャリアがどうこうより、もっと大切なものがあった。  大好きな二人との子供を望むなら、人生の優先順位をまるっと変えていかなきゃ。  自分のスキルに自信を持っているからこそ、仕事なんていつからでも始められる。 「よし!」  パンッ! と両頬を叩いた私を見て、正樹が笑う。 「おっ、気合い入ったね!」 「あー! 筋トレしたくなった!」 「ちょっ、優美、お茶淹れたから今日はやめ!」  新しくポットにお茶を淹れた慎也が、ケラケラ笑う。 「宴もたけなわですが、不肖ながら私、折原優美が筋肉芸をさせて頂きたいと思います」 「だからやめって!」  リビングに明るい笑い声が響く。  あぁ、この人たちを好きになって良かったな。  十八歳の時の憧れが、まさか叶うとは思ってなかった。  人生ってどうなるか分かんないな。  その後の話し合いでは、まずは結婚式を成功させて、新婚旅行を楽しむ。  それから元気な子供を産む事に集中する。  落ち着いたら意識が変わっているかもしれないし、仕事についてはあとで考えようという事で話が落ち着いた。 ** 「ただいまー」  七月二十九日、私はいつものように仕事を終えたあと、マンションに帰宅した。 「あー、クーラー涼しい! 外あっついねぇ! 蒸す! シューマイになりそう!」  玄関からリビングダイニングに入る間、私はでっかい独り言を言いながら歩く。 「ただいまー」  そしてリビングダイニングのドアを開けて、「うっ!?」と動きを止めた。 「「おかえり!」」  広々としたリビングダイニングの床に、でっかいスーツケースが三つ並んでいる。  スーツケースを買った覚えはないけど、多分両側にあるブルーと黄緑のが二人ので、真ん中の赤いのが私……だろう。  二人がやけにいい声で「おかえり」を言って、すでに私服なのを見て、もう嫌な予感しかしない。 「どっ……どったの?」 「出張がてら、観光に行くよ!」 「あっ! ……あ、……あ、え?」  今日は金曜日で、二人から有給を使ってと言われていた。  十月下旬の結婚式を前に、私は九月末で退職する事になっている。  その前に有休消化をしておかないとな……とは思っていたんだけど。  勤続六年以上は経っているので、一年辺りの有給は二十日ほどある。  それでもって、有給の有効期限は二年。  こないだちょっと使ってしまったとはいえ、基本的に私は元気に勤務していたので、ほぼほぼ四十日近く有給が残っている。  という事で、八月の途中から有休消化を取って、九月末ラストに出勤して終わりにするつもりだった。  それを、二人に「ちょっとズラして使ってくれる?」と言われたので、「まぁいいけど……」と、一週間近く申請したのだけれど。 「待て。旅行は聞いてない」  二人に向かって掌を突き出したけれど、「まぁまぁ」とヒラヒラ手を振られる。 「っていうか、それって私の荷物?」 「「イエース!」」  なんとも軽い返事を聞き、頭が痛くなる。 「っていうか、事前に言ってよもぉ……」  ドサッとバッグを床に落としてしゃがみ込むと、正樹が「あはは!」と笑う。 「心の準備が必要なんですが?」  まとめ髪の頭頂部を撫でて顔を上げると、こちらもケラケラ笑う慎也がしゃがむ。 「まぁまぁ。二十二時ぐらいまでには準備できるでしょ?」 「正樹さん、鬼ですねぇ!?」  私は思わず敬語で突っ込む。 「私、シャワー浴びたいし、できるならゆっくり休みたいんだけど」 「十二時間ぐらい、飛行機の中でゆっくりできるから」 「は!?」  慎也に言われ、私は素っ頓狂な声を出す。 「どこに行くおつもりか!?」  驚きと動揺のあまり、言葉が迷子になっているが、どうでもいい。 「「ロンドーン♪」」  声を合わせた二人を前に、私はがっっ…………くりと項垂れる。 「楽しそうだねぇ……」 「いや、僕は本当に出張だよ? あっちにある、うちのホテルの視察」 「いや……、それは分かるけど……。ろんどん」  憧れの土地ではある。  ある。けども。 「せめてアジアとかさぁ……。いや、出張か」  いつまでも私がガッカリしてるので、さすがに二人もまともなテンションになって目の前に座る。 「急に決めてごめんって。サプライズにしたかったんだけど、会社帰りで疲れてるの無視してたよな。それはごめん」 「ごめんね? 優美ちゃん。明日誕生日だから、結婚前にプレ・ハネムーンって事でちょっと思い出作ろうかと思ってたんだけど……」 「あ!? 誕生日!?」  言われてハッと顔を上げると、二人に突っ込まれた。 「「いや、忘れてたんかい」」  そりゃあもう、関西の方も大喜びなタイミングで。 「忙しくしてたからすっかり忘れてた!」  はぁ……、と溜め息をつく。  そっか。誕生日、覚えてくれてたんだ。  喜ばせようとしてくれてたなら、いつまでも「疲れた」とか言ってたら駄目だ。  急すぎだけど、喜ぶ姿が見たいっていう気持ちはあったんだろうし。 「分かった。支度する。フライトは何時?」  私が前向きになったからか、二人の表情がパァッと明るくなった。 「二十三時半ぐらいだから、一時間前には空港に着いてたいかな?」  腕時計を見ると、時刻は十八時すぎで余裕だ。 「おっけ。まず超特急でシャワー浴びてくるね。スーツケースの中には、着替えとか入ってるの?」 「うん。下着もバッチリ。トイレの棚にあった生理用品もばっちり」 「…………アホ」  恥ずかしいところに触れられ、私は溜め息交じりに突っ込む。
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