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旅行の支度
「自分の荷物だから、シャワー浴びたあとに自分でチェックするね。夕ご飯は?」
「可能な限り早めに支度できたら、空港で食べようかと思ってたけど」
「オッケ! 空港飯サイコー!」
私は二階に上がって長時間のフライトでも楽な、スウェットワンピースとシームレスの締め付けない下着を出す。
そのあとバスルームに向かって、パパッと汗を流した。
シャワーを浴び終えた時には慎也が待機していて、私の髪に洗い流さないトリートメントを揉み込み、ドライヤーをかけてくれる連携ぶりだ。
準備万端になってリビングダイニングに戻ったのは三十分後だ。
「ロンドンって、ジョン・アルクールの本場だよね?」
そう言ったのは、普段使っている香水のブランド名だ。
「そうだな。スローン地区にある店に行こうか」
「やだ……。楽しみ」
すっか文香に影響されて、香り物が大好きな私は、隠れ香水マニアでもあった。
と言っても、あれこれ買って試すよりは、好きなブランドを掘り下げていくタイプだ。
とても偶然にも、慎也と正樹もジョン・アルクールをよく使っている。
マンションにはディフューザーがあるし、アロマキャンドルを使う時もある。
理想の〝オシャレで香りのある家〟で、そこは幸せだ。
「優美の好みなら、モーリス・ハートとかも気に入るんじゃないかな。コヴェントガーデンに店があるし、他にも紅茶の店とか色々あるから、ショッピングのしがいがあるよ」
「……もぉぉ、あああ! 楽しみじゃないか~!」
「良かった!」
うなった私を見て、慎也が破顔する。
シャワーを浴びているうちに、私はすっかり気分を切り替えて前向きになっていた。
文香と一緒にフランス、イタリア、他にもちょこちょことアジアやオーストラリアに行った事があるけど、イギリスは初めてだ。
旅行の時はお嬢様である文香様に、「一人だと寂しいから付き合って。和人は忙しいらしいから」と言って、飛行機、ホテル代を払ってもらっていた。
いつも申し訳なくは思っているけれど、文香にとって私が手作りした〝バケ丸〟グッズに勝る物はないらしい。
ちなみに文香は手芸とかはからっきしなので、余計に貴重がられている。
というか、オーダーすればプロに自分の欲しい物を作ってもらえそうなんだけど、それはまた別なんだそうだ。
「ボディクリームは以前に誕生日ギフトでもらった、ミニサイズの容器を持っていくとして……」
ジョン・アルクールのヘビロテユーザーだからか、年に二回公式さんからギフトとして現品をもらえている。
その上、誕生日月になると、スタイリストさんが好きな香りでハンドトリートメントをしてくれ、9mlコロン二つに、ミニボディクリーム、現品のコロンをくれる。
この誕生日ギフトについては、かけた金額により内容が変化するらしい。
加えて買い物をする時に、サンプルサイズのコロンやボディクリーム、ボディソープなどももらっているので、旅行をするのに困らない。
なので問題は、シャンプー類だ。
「慎也、空のミニ容器持ってる?」
「ホテルのアメニティ使えばいいじゃん。うちのホテルだし、スイートルームを使うなら相応のアメニティついてるけど」
「あ、あー……。失念してた」
何となく、ヨーロッパだと水が違うので、アメニティのシャンプー類も日本で使う物と質が違うと思っていた。
なので使い慣れた物の方がいいと思って、いつも自分の物を持って行っていた。
けど考えてみれば、泊まるのは久賀城のホテルなので、アメニティも日本人向けかもしれない。
もしかしたら、現地向けになっている可能性もあるけど……。
「枕も持ってく?」
冗談半分に言われ、私は「持ってかない!」と笑った。
洗面所を出たあと、ルーズリーフに必要な物を書きだし、スーツケースの中身を確認してバツ印を付けていく。
その間、スマホは充電中だ。
なお、予備の持ち歩き充電器は、空港の保安を通れる容量のが、すでに満タンになっている用意周到さだ。
いざという時の変換プラグも準備済み。
向こうに行くとコンセントの形が違うので、こちらから持って行く電化製品は、変換プラグがないと使えない。
「そうだ! 私、正樹たちみたいにしょっちゅう海外行かないから、スマホ、海外でも使えるような契約してないんだけど。請求がバカ高くなるのはやだよ?」
スマホ、と思って顔を上げると、正樹が「テレレテッテレ~♪」とアニメキャラの声真似をして黒いナイロンケースを取りだした。
「そう言うと思って、レンタルWi-Fi借りてきたよ。ちょっと重たいけどこれで大丈夫。使い放題にしてるから、通信料も気にしなくていいよ」
「痒い所に手が届きますね、正樹さん」
思わず感心してうんうん頷くと、彼が「あはっ」と笑う。
「何せ、数か月前から念入りに準備してたからね」
「はー、もぉ……」
私がシャワーを浴びていた間、正樹はスムージーを作ってくれていたようだ。
料理はできないけど、適当に切ってミキサーに突っ込むならできるらしい。
その包丁使いもかなり怪しいんだけど……。
「スムージーありがと!」
バナナに小松菜、豆乳の入ったスムージーを、私は腰に手を当ててゴッゴッゴッ……と飲み干していく。
勿論、湯上がり時にはコップにお水を一杯飲んで、水分補給している。
「あっ、ミネラルウォーター持って行かなくて大丈夫? あっちお水高いでしょ」
「買えばいいよ。重たい荷物を持ってく必要ないでしょ」
「そ、そうか……」
旅行の支度一つにしても、慎也たちとは考え方の金銭差がある。
「向こうの気温は? 折りたたみ傘も……」
「最高気温は暑くなっても三十度前後くらいだ。湿度は東京に比べたら低いから、過ごしやすいと思うよ。反面、気温が落ちると涼しい時もあるから、薄いカーディガンとか用意したほうがいいかも。というか、いつも着てるの入れてあるよ」
「ありがと」
スーツケースの中身を確認していると、さすがに一緒に暮らしているからか、私が好んでいる、しかも動きやすいアイテムばかりが入っている。
おまけにハイブランドのロゴが刻まれた布の巾着には、必要な日数分プラス一日分の下着が綺麗に詰まっている。
バッグを買うとそれを包む巾着がついている。
デパコスでも、某ブランドのチークやアイシャドウ、ファンデーションなどを買うと、コンパクトを傷付けないためのビロードのケースがついている。
そういう感じで、中身を傷付けないための物……なんだけど、なぜかそれが下着入れに使われている。
「使わない袋に適当に入れたけど、中身が分からなさそうで混乱するなら、マジックで〝優美のパンツ〟って書いていいからね」
「書かんわ!」
突っ込みを入れたあと、荷物が揃ってるのを確認してスーツケースを閉じた。
「お金ってどうするの? 電子決済? 現金も持っておいたほうがいい?」
「カードで済むんでない? チップとかは僕らが持つからいいよ。気になるなら空港で換金したらどうかな? ATMもあるし」
「うん、分かったそうする」
その頃には、十九時半近くになっていた。
「じゃあ、家出ようか」
慎也がスーツケースの持ち手を伸ばす。
「あー、なんか実感沸かないわ……」
クロスボディバッグは、ポケットが沢山ある物を選んだ。
それでいて、ブランド物じゃなくて目立たない物。
これは文香と何度も海外に行っていて学んだ、ライフハックだ。
コートを羽織る季節なら、服の上にクロスボディバッグを掛け、その上にコートを羽織って押さえると一番いい。
ブランド物を身につけて、お金持ちっぽい格好をしていたら、スリをしてくださいと言わんばかりだ。
だから、地味なノーブランドっぽい、それでいて軽いナイロン製のバッグを持つ。
理想はファスナー式で、その上に蓋をするようなデザイン。
ドアトゥドアならいいかもしれないけど、街中を歩きたいなら、目立つ格好はしないほうがいい。
文香が言うには、日本人っていうだけでお金を持っていると思われるらしい。
バッグの内ポケットの一番奥に、パスポートとスーツケースの鍵を入れてある。
レンタルWi-Fiは確かに持ってみるとズシッとして、バッグに入れると重量がある。
二人が「向こうに着くまでは使わないし重いから、持つよ」と言ってくれたけど、自分の荷物は自分で持つと断った。
「留守中はどうするの? 放ったらかし?」
照明を落とす前に、正樹に聞く。
「実家には連絡してあるから、二、三日に一度くらい人が来てくれる事になってる。あと、管理人さんにも伝えてある」
「そっか。なら安心だね」
部屋を出たあと、エレベーターに乗るとドキドキしてきた。
「わぁ……。ロ、ロンドンか……」
「正樹は仕事があるから、ロンドン着いたら俺と観光。終わったら三人で遊んで、ついでに他の都市も行く予定だよ」
「楽しみ!」
何だか足元がフワフワしているように思える。
地下駐車場まで着くと、いつもの運転手さんがすでに控えていた。
スーツケースを載せて乗り込むと、エンジンがかかり発車する。
「向こうでの移動ってどうするの? 交通機関?」
「あ、いや。この大村さんが向こうでも同行する」
慎也が言った大村さんというのは、正樹の運転手さんだ。
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