空港へ

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「大村さんは国際免許を持ってるから、向こうでも運転してくれる。と言っても、コンダクターや秘書とか、ちょっと大所帯になるけどね」 「なるほど」  正樹の説明を受け、私は頷く。  ようやく、この旅行の概要が掴めてきた。  本当に今さらなんだけど……。  車は芝公園前を通って首都高に乗り、湾岸沿いを空港に向かって走っていく。  夜なのでレインボーブリッジがくっきりと浮かび上がっている。  いつもならゆったりする時間に、これから海外に出掛けると思うとドキドキする。 「ガイドブックを買った方がいいかな?」 「優美、英語いけるだろ? それに現地ガイドもいるし、大丈夫だと思うけど」 「そっかぁ……」  もう突然の事なので、頭が興奮して落ち着いてくれない。 「あ、文香に連絡しとこっと」  日本を離れる前に、親友と家族には連絡をしておかないと。  そう思い、スマホを開いてメッセージアプリで連絡を入れる。  家族のグループトークルームに『ちょっと慎也とイギリス行ってくるねー。お土産買ってくるから!』と打つ。  文香にも『二人とイギリス行ってくる。免税店で化粧品の買い物あるなら、承ります』とメッセージを入れた。  するとすぐに文香とのメッセージには既読がつき、『いってら!』と返事がくる。 『化粧品は間に合ってるけど、紅茶とレモンカード買ってきて』  レモンカードというのは、スコーンやパンにつけるレモンクリームだ。  製法としては、レモンを果汁や皮などすべて使い、卵と砂糖、バターで作ったペーストだ。  見た目はカスタードクリームのような感じで、レモン味が好きな人なら、きっと皆好きじゃないかと思う。  ちなみに私はレモン味のスイーツに弱く、定期的にレモンパイやレモンタルトの発作に襲われる。  ダイエット時代はもんどり打って堪えていたけど、最近はたまにのお楽しみとして文香に付き合ってもらっていた。  二人と出会ってからは、ストイックな食事制限生活が大分改められ、かなり好きなように食べている。  それでも暴飲暴食はしていないし、三人で誘い合ってジムに行っているので、丸くなったなどはない……と思っている。  ただ、精神的にとても楽になったなぁ……と感じていた。  二人とセックスするようになって、自分のあられもない姿を見せる事により、人に弱さを曝けだす事を知った。  それから少しずつ、甘えて甘えられて……となり、自分でもとてもマイルドに生きられるようになった。  二人に感謝しつつ、私は文香に『了解!』と返事をしてスタンプを送った。  家族からも『気を付けてね』と連絡が来ていた。  車は三十分もせず羽田空港の国際線がある、第三ターミナルに着いた。  気が付いていなかったけれど、後ろからもう一台車がついてきていた。  後ろの車から出てきた人が、大村さんとサッと交代して運転席に座る。  空港では車寄せに車を停めてもいいけれど、運転手には常に誰かが座った状態ではないといけないんだそうだ。  スーツケースを下ろし、後ろの車からは大村さんのスーツケースと、正樹の秘書の星村(ほしむら)さんという三十代の男性が荷物を持って出てくる。  さらに二人いるのは、なんと護衛らしい。 「さて、飯食いに行くよ」  明るく言った正樹の言葉を聞き、自分が空腹なのを思いだした。 「何食べようかなぁ!」  スーツケースをゴロゴロ引き、まずチェックインする。  四階には江戸小路と呼ばれているレストラン街があるけれど、そこに向かうエスカレーター前の吹き抜け空間には、巨大な七夕飾りが下がっていた。  江戸小路にはいつも提灯や和を思わせる小物があしらわれている。  それとは別に季節に応じた飾り付けがあり、朝顔や風鈴もあちこちにあった。  ここにくるといつもワクワクするので、忘れずに記念写真を撮っておく。 「ちょっと優美、俺とも記念写真撮ろう?」 「僕も入れてよ」  二人が言い、星村さんが写真係になって撮ってくれた。 「あの……。っていうか今さらなんだけど、ここにいる四人って……」 「勿論、〝事情〟は知ってるよ? 僕の生活に欠かせない人たちだからね」 「あ、あーー…………」  急に恥ずかしくなってきて、私は彼らに深々と頭を下げる。 「道中宜しくお願い致します。折原優美と申します」  しおらしく挨拶したのがおかしかったのか、皆さんは笑い「こちらこそ宜しくお願い致します」と挨拶をしてくれた。  それからブラリとお店を見て、何を食べるか三人で話し合う。  江戸小路というだけあり、お店の外観は昔ながらの町屋のような外観だ。  お店の外にある待ち合いの椅子も、京都のお茶屋さんにあるような、赤い布が掛けられたベンチになっている。  外国人受けかな? と思うけれど、日本人の私もこの雰囲気にワクワクしている。 「ボリューム的にはどう? 機内食のタイミングってどうだっけ?」  日本を発つのが夕方なら、割とすぐに機内食が出る。  けど海外に行く場合時差があるので、日本時間の何時というより、出発してから何時間後に……という感覚らしい。  深夜便なのですぐ寝る事になるだろうな、とは思うけど、念のため聞いてみた。 「好きな物喰っていいよ。飛行機に乗ってて腹が減っても、頼めば何か出してくれる。相応のサービスをしてくれるクラスではあるから」 「相応のって……」  ちょっと嫌な予感がして尋ねると、慎也と正樹はニッコリ笑い、やけにいい発音で答えた。 「「first class」」  あっあぁあああ……!  またこいつらは、お金を湯水のように使って……。  がっくりと項垂れたが、もう変えようがない。 「そんな反応してるけどさぁ。文香ちゃんにもビジネスクラス奢られてたんでしょ? 慣れてよ」  正樹に頬をつつかれ、私は「う」と呻く。  その通りだ。  文香は「ビジネスなら出すよ。エコノミーはちょっと窮屈だし……」と言って、毎回ビジネスクラスを利用していた。  二人も文香もハイクラスの住人で、とてもありがたい思いをさせてもらっていた。  感謝して大切にしなければ。  さしあたって、頼まれたレモンカードと紅茶の他にも、彼女が気に入りそうな何かを買っていかなきゃ。  考えている間も、慎也がネチネチと責めてくる。 「俺たちに金使わせるのは駄目で、文香さんはいいわけ? 彼女に嫉妬するけど、それでもいいの?」  言いながら、彼もほっぺをつついてくる。  これって何の時間!? 「文香さんってさ、かなり優美ちゃんの事、好きだよね? 僕たちが優美ちゃんを二人占めしたら、嫉妬して怒るだろうなぁ~……」  正樹が私を抱き締め、白々しく言う。 「もぉぉ……、そういう事したら怒るからね?」  彼の手の甲を軽くつねっても、嬉しそうな顔をするだけだ。  ご飯を食べたあとは専用ラウンジに行くらしく、そこでも無料で食事の用意があるらしい。  なので軽めでも何でもいいから、好きな物を食べる事にした。  正樹が旅行中にかけたお金は、部下の分も含め経費になると言っているので、彼らに美味しい物を食べてほしいと思ってお寿司にした。  回転寿司があったからそっちで……、と思っていたけれど、慎也は「寿司ね? OK」と、同じ店名の回らないほうに入ってしまった。  そう。このレストラン街には、同じ名前のお寿司屋さんで、回転寿司と回らない寿司の二つがあるのだ。  あっ、と思った時にはもう遅く、私はタッチパネルを覗き込むハメになる。 「何でも好きな物食べていいからね」 「優美、トロ好きだったよな? ここ、マグロ得意らしいから、どんどんオーダーしてよ」  言いながら、二人はポンポンと自分が食べたい物をタップしていく。  はぁあぁ……。もう。  諦めて、私はタッチパネルに向き合った。  お腹一杯食べたあとは、フライトまでファーストクラス専用ラウンジに向かう。  ダークカラーの床に壁、間接照明に照らされた航空会社のロゴ。  まさに選ばれし者のみが入れる、セレブリティな空間!  うわぁ……、と緊張していたけれど、カウンターで搭乗券をチェックされ、あっさりと中に入れた。  まず目に入ったのは、一面のガラスの向こうに並ぶ飛行機だ。  ラウンジにはゆったりとしたソファが並び、いかにもお金が掛かっている雰囲気がある。  別の箇所にはパーティションで区切られて、プライベートが守られている。  そこではビジネスマン風の人が、薄型ノートパソコンを開いているのがチラッと見えた。  ラウンジにはさっき二人が言っていたように、料理を楽しめるスペースもある。  ホテルのビュッフェのように、色んな物が並んでいたので思わず覗いてしまった。  高級レストランの前菜に出てきそうな物があり、メインディッシュに至ってはシェフが鉄板でステーキを焼いてくれる。  そんな立派なラウンジを目の当たりにして、私が疑問に思わない訳がない。 「……これってさっき、お寿司食べなくても良くなかった?」 「え? 優美の好きなもん食べさせてあげたかったし」  心からの疑問を口にすれば、慎也がケロリと答える。 「ただ飯食べられるのは分かってたけど、こんなに立派だって思ってなかったの。これだったら、こっちを選んだのに……!」 「ただ飯」と言うのは恥ずかしいけれど、経済的に考えてどう考えてもこっちのほうがいい。  文香と行ったビジネスクラスのラウンジにも、軽食の準備はあった。
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