魅惑の密談

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魅惑の密談

 翌朝ーー。  俺は、美しい姫君の姿に変身したインジェンのお供をして、ある場所へと向かった。  目的は、インジェンの住む翠玲宮の近くにある、ロウ・リン姫が溺死したという井戸だ。  俺の格好は、擦り切れた使い古しの青い長袍に、赤い傘の帽子。  チンチンは無事だが、今の俺はどこからどう見てもピンポンパンと同じ、立派な宦官だ。  俺は皇子の機嫌を損ねないよう、ひたすら腰を低くしながら、石臼みたいな形の丸い井戸を観察した。 「……なんの変哲もない井戸ですね。強いて言えば、人間を放り込むにはいささか狭いような。こんな井戸に頭から放り込まれたら、もがくことすらできなかったでしょうね……」 「公主の苦しみは相当のものだったはずだ」  そばに立つ、憂いに染まるインジェンの横顔は、化粧のせいで完全に可憐な美女そのものだ。  こんな明るい場所で、しかも間近で見てしまうと、王族じゃない俺でもクラクラしてしまう。  旗袍(チーパオ)に焚きしめられた華やかな伽羅の香り、優雅な歩き姿にどことなく色っぽい仕草……。  ワガママな女王様っぽいところも、好みのタイプなんだよなぁ。  やばい、俺、呪いにもかかってないのに、恋に落ちてしまいそうだ!  男だと分かってても、間近で見る女装のインジェン皇子は、立ち居振る舞いも含めて絶世の美人すぎる。  これで、適度におっぱいが付いてれば。 「……貴様、何を見ている? 無礼者」  汚物を見るような目をされて、慌てて俯いた。  ……うっかりしていた。  この世界じゃ、貴人の顔を舐めるように見るなんて、タブーもいいところだ。  俺は皇子の足元にひれ伏し、額を地面に擦り付けた。 「――申し訳ございませんっ、お許しください……!」 「この呆れた身の程知らずめが……。ところで、少しでも何か手がかりは掴めたのだろうな? 卑しい妖魔め」  ハアハア、もっと罵ってくれ。いや違う、Mの性癖をさらしてる場合じゃ無い。 「……恐れながら、今は、全く……」 「何だと……? 貴様、豚の餌になりたいのか」 「申し訳ございませんっ。……ところで殿下。手がかりを得るには、予備知識が必要です……! 二、三、伺わせて頂いて宜しいでしょうか!?」 「何だ」  うう、凄く嫌そうな顔された。 「有難うございます。……一つ、疑問なのですが……何故、呪いが始まったのが、ロウ・リン公主殺害後、百年近く経過した後だったのでしょうか? 王子たちに復讐するというなら、彼女が死んだ後、すぐでも良かったはずです。五年前、何か、きっかけというか、変わったことはありませんでしたでしょうか?」 「……特に無い」  ニベもない答えにガクッとなったけど、めげずに質問を続ける。  気分は名探偵コ○ンだ。 「そっ、それから……ロウ・リン公主の死の状況についてなんですが……何か、当時のことを知る手立てはありませんでしょうか」  皇子は気怠げに首を横に振った。 「……城の蔵書庫の書物は、この五年で既に私が調べ尽くした。だが、公主に関する公的な記録は殆どなく、わずかな記録も私が生まれて間もなく起きた失火で失われていた。……ロウ・リン公主の名も、その死に様も、老いた宦官の昔語りとして伝わるのみだ」 「……そうですか……」 「そもそも公主に関する記録というのは、名前すら残らない場合が多い。まして王朝最後の混乱期の記録など」  そりゃそうだよな。皇子ならともかく、若くして亡くなった女性なんて、名前が知られていることすら珍しいくらいだ。  インジェンが鳥の羽毛のような長い睫毛を伏せる。 「だが、城の外はまだ、私にも調べられていない……」  赤い魅惑的な唇が漏らしたその言葉に、俺は飛びついた。 「外にも手がかりが!?」 「……。宮殿の北東、王家の墓の集まる場所――都から西に280里(140キロ)離れた玉清陵に、前王朝からの歴代皇帝の墓群がある。そこに、ロウ・リン公主の墓があるはずだ。その墓を開けて遺体や副葬品を調べれば、何か公主に関する事が分かるかもしれぬ」  何だ、意外と近いじゃないか。  馬で行けば、余裕で次の満月に間に合うぞ!  喜び勇んで、俺は顔の前で両手を組んだ。 「では、わたくしめをそこへ遣わして下さいませ。 必ず、何か手がかりを見つけてまいります!」 「駄目だ。お前がそのまま逃げおおせないと誰が保証できる!?」  ですよねー……。  なーんて、そう簡単に諦めるわけにはいかない。 「そっ、そんなことはいたしません。そうだ、それならば、誰か信頼のおける方を監視役として私にお付けください」 「……私は十三歳からずっとこの宮殿に幽閉されている。身の回りを世話する宦官達はいるが、彼らは私の秘密を知る為、城の外に出ることを許可されていない。他に私の秘密を知るのは、皇帝の側近たる一部の大臣と、私の武芸の師である老将軍のみ。お前の監視役を務められるようなものはおらぬ」 「そんな……」  唯一の手がかりがありそうな場所に行けないなんて、無理ゲー過ぎるだろ。  俺は座して死を待つしかないのか!? 「……だから、私が自らついてゆき、貴様を監視する」  さらりと言われた言葉に、俺は目が点になった。 「はいっ!? 公主様、自らでございますかっ!? 幽閉されてるのに、どうやって!?」 「お前が妖魔だというなら、人目に触れず、この私を城から抜け出させる方法も知っているのでは?」  イヤイヤ……俺も流石に、そこまで万能じゃねぇ!  言葉に窮していると、インジェンは悩ましくも冷たい流し目で俺を見た。 「私はロウ・リン姫の傀儡として生贄を捧げる時以外に人前に立つこともなく、この翠玲宮の周辺で、宦官と書物ばかりを相手に暮らしてきた。……お前の監視ついでに、数日、外の世界を視察するのも悪くは無い」
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