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旅立ち
――その日のうちにピンポンパンは釈放され、翠玲宮に連れてこられた。
床に額を擦り付け、土下座の体勢でビクビク、オドオドしている彼らの前に、死んだはずの俺がひょっこり現れたものだから、三人とも目が点だ。
絶句の後で、俺の顔をまじまじと見つめ――トゥーランドットの住む宮の中だと言うのに、彼らは小躍りして喜び始めた。
「なんてこった! まだ生きておったのか、この馬鹿者めが!」
「お前のせいで、わしら全員、死ぬ所だったのだぞ、大馬鹿者!」
「しかもお前、その格好は、わしらと同じ宦官ではないか。首じゃなくて、宝貝をちょんぎられただけですんだのか! こりゃあーめでたい!」
囲まれてやいやい言われ、俺も思わず三人をどついた。
「切られてないっつの! めでたくもないし!」
ところがピンポンパンは聞いちゃいない。
「リュウも入れて、これから我ら、王宮の四天王と名乗ることにしよう!」
「ピンポンパンリュウ。語呂が悪いのう」
「ふっふっふ。リュウは我ら四天王の中でも最弱」
おいおい、俺が殺された時の予行演習をするんじゃない。
四人で楽しくワチャワチャとやっていたら、女装のインジェンが不機嫌な無表情で、ついたての後ろから姿を現した。
「ひぇっ!」
「公主様っ!」
再び、三人が床に這いつくばってかしこまる。
俺は声を出すことができないインジェンに代わり、彼らに告げた。
「――ここに呼んだのは訳があるんだ。これから公主様は極秘のご用事で禁城の外にお出かけになる。あなた方に、内密で協力とお支度を頼みたい」
「「「何ですと!?」」」
その日の夜明け前、宦官の姿に身をやつした俺とインジェンは、パンと共に王宮三兄弟のフリをして、まんまと禁城を勝手口から抜け出た。
残されたピンは公主様の服を着て、顔を真っ白に塗りたくり、偽公主に変装。
「公主様は病気」ということにして、翠玲宮の寝室にひきこもる。
地獄耳のポンは偽公主様ピンの世話係として、そばで人払いをしつつ、見張り役だ。
パンは、ピンポンのふりをしたインジェンと俺を連れて隠し通路を通り、使用人の使う門から城の外へ。
俺の考えた拙い作戦は、意外にもうまく行った。
後は、俺たちが帰るまでに誰かが銅鑼を鳴らすことが無ければ、何とかなる。
人気のない城壁の下、パンが俺に麻袋を手渡してくれた。
「リュウの服と、それから公主様用の男装の服が入っておる。それに、旅支度に最低限、必要なものは入れておいた。気をつけてな」
有り難く荷物を受け取りながら、本物の兄弟にでもなった気分で、俺は彼の肩を抱き締めた。
「有難う、パン。この前は『脇役』だなんて言ってごめんな。あと、危ない橋を渡らせて本当にごめん。ピンとポンも……」
「なぁに、銅鑼はこのわし一人で死守するわい。ピンポンも、しばらく姿を見せんでも、どうせわしら三兄弟を見分けられる人間はおらん。……それよりもリュウ。くれぐれも公主様をお守りするようにな。何か、大切なご用事なのだろう?」
「うん。必ず、十日ほどで戻ってくるよ」
「やれやれ……。お前と付き合ってると、我らの首はいくつあっても足りぬわい」
まるではねっかえりの息子でも見るみたいに目を細めた後、パンはそ知らぬ顔で城の中に戻っていった。
後に残ったのは、俺と、宦官の姿をしたインジェンのみ。
綺麗な顔は赤傘で覆い、その余りにも美しい長髪は、粗末な服の中に隠してある。
「……お前の悪知恵がこのようにうまくゆくとはな」
傘の下から、化粧を落としても尚、育ちと目鼻立ちの美しさを隠しきれない白い顔が覗いた。
「殿下、早く行きましょう」
俺たちは怪しまれない程度の早歩きで、紫微の街中に紛れ込んだ。
都とはいえ、この世界には街灯なんてものはない。
せいぜい店先に提灯があるくらいだ。
夜明け前はそれも消えていて、かなり暗い。
人目を避けて狭い裏通りに入ってから、朝もやの薄明かりの中でパンがくれた荷物の中を改めた。
元々俺が着ていた胡服と、インジェン用の長袍の、ふた揃いの服。
さらに地図、それに金子がいくらか入っている。
旅費としてはかなり心許ないが、あの三人が少ない給料から用意してくれたのだと思うと、凄く有難い。
どん底貧乏での放浪なんて、俺にとっては慣れたものだ。
しかし、城から出たことがないお姫様はどうしたものか。
「殿下。こちらの旅装束に着替えてください。宦官の赤傘姿は目立ちますので」
「分かった。……だが、一つ言っておく」
「何でしょうか、殿下」
「外では、私のことは殿下と呼ぶな。インジェンと名で呼べ。聞いたものに怪しまれてしまう」
俺は耳を疑うほど驚いた。
天命を受けた皇帝の一族は、ダッタンの王族とは天と地ほどに違う、神や仏にも近い雲の上の存在だ。
奴隷風情に気安く名前で話しかけられるなど、普通ならば堪えられない。
でもこの人は大願成就の為、敢えてそれを我慢すると言っている。
恐らくそれは、五年間、男としての生を奪われ、偽の公主として屈辱に耐え忍ばなければならなかったのも関係しているのだろう。
この人は、本当の意味で思慮深い、人格的にも皇帝に相応しい人なのかもしれない。……ちょっとドSだけど。
俺は改めて彼に呼びかけた。
「……ではインジェン様。お着替えをお手伝いさせて頂きます」
彼の背後に回り、身体に直接触れないよう気をつけながら、宦官の服を脱がせ、長袍を着せて花釦(はなぼたん)を留める。
けれど、インジェンの腰まである艶やかな髪は……手で触れて結うしかない。
ここにはもう、それをする人間は俺しか居ないのだ。
「髪を結わせて頂きます」
初めて絹糸のようなそれに触れる。
芳しい香りがふわっと舞い、そのあまりの手触りの良さに驚いた。
何故か心臓がドキドキするのを隠しながら、俺のバサバサの髪とは全く違うそれを、一本の三つ編みに結っていく。
最後に紐で結うと、インジェンの後ろ姿はどこからどう見ても、都によくいるお金持ちのボンボン風になった。
「出来ました。――では、市場に旅支度をしに行きましょう」
「うむ」
返事をして振り向いた彼の顔が、ちょうど差し込んできた朝日にキラキラと照らされる。
そのあまりの麗しさに、俺は息を呑んだ。
……前言撤回。この人、目立ち過ぎる。
本当にこの旅、大丈夫か……?
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