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眠り姫と月の夜
地面を削って平らにし、集めた石を並べていると、インジェンがすぐそばにやってきて、手のひら程の大きさの石を俺に差し出した。
受け取って、その手が土で汚れているのを見て、居心地が悪くなった。
武道をやってるから、白魚のようとまではいかないが、白く滑らかな貴人の手だ。
あらゆるシチュエーションでの放浪と介護生活で甲が日焼けして、皮も分厚くなった俺の手とだいぶん違う。
呪いが無かったとしても俺、手で奴隷だってバレてたかもしれないな……。
「……ありがとう。でも、汚れるし、怪我したら大変だから、休んでいていい」
そう言ったけど、インジェンは何度も石を拾ってきて、無言で差し出してくるので、そのうちに俺の前には、賽の河原みたいな石の山が出来てしまった。
「もう大丈夫だ、ありがとう」
そう言って、今度は焚き付けの為に折れた枝や枯れ草を拾い集めていると、インジェンも同じように集めてくれる。
小学生の初めてのキャンプか。
火打石と火打金を持ち、火口を用意して火種を作る所も興味津々に覗き込まれて、思わず敬語に戻ってしまった。
「危ないから、下がっててください。お顔に火傷でもしたら大変です」
「私もやってみたいだけだ。……敬語はやめろ」
「じゃあ、明日は一緒にやるから」
やっと納得して離れて貰えたけど、内心不安だった。
夜中にこっそり一人で試して、火事でも起こすんじゃないかと。
焚き火に中華鍋を逆にしてかけ、盗人の金でちゃっかり買った羊の肉を薄く削ぎ、焼いていく。
ちょっとしたジンギスカン気分だ。
こんなワイルドな料理はインジェンの口には合わないだろうと思ったが、意外にもしっかり食べてくれた。
最後は中華鍋をひっくり返し、残った羊の丸骨は暖を取る為の火で夜通し煮て、朝飯用のスープを作ることにする。
グツグツとスープを煮る横で、俺はインジェンの為の寝床を作ることにした。
木の枝の影になる地面に落ち葉を集めて柔らかくし、更に[[rb:筵 > むしろ]]を何枚か重ね、その上にこれまた盗人の金で以下略の、分厚い毛布を出して敷く。
……宮殿の天蓋付きベッドのようにはいかないだろうが、これでかなり快適に寝られるはずだ。
「さあ、ここで横になって、今日はお休みくだ……休んでくれ」
俺がそう言うと、インジェンは首を傾げた。
「寝床が一人分しかないではないか」
「わたくしは要りません。座ったまま寝られます」
爺さんの逃亡生活を助けている最中、いつ敵や盗賊に襲われるか分からなくて。
旅の間は、いつでも物音に反応して起きられるように剣を抱いて座って寝ていた。
「ならば、私も座ったまま寝る」
とんでもないことを言い出したお姫様に、俺は驚き呆れた。
「そんなこと、慣れてない人間が出来るわけないだろ。疲れて明日落馬するぞ」
思わず、ナチュラルにタメ口が出てしまう。
だが相手は馬耳東風だった。
「お前が出来ることなら、私にも出来る」
全く、このお姫様は……。
無理矢理にお嬢様育ちにされてしまったことがかなりのコンプレックスなのか?
「わかったよ。じゃあ、隣り合って一緒に座って寝よう」
俺が折れると、インジェンはまるで子供のように笑った。
「それがいい」
――そして、結局。
木の下に敷いた寝床に、俺とお姫様は二人並んで座り、草原での二人きりの夜を迎えた。
絶え間なく聞こえる、リーリーという虫の声。
雲の間に、少し欠けた青白い月がのぼり、波のようにそよぐ草を舐めるように照らしてゆく。
まるで、この世に俺たち二人だけになってしまったかのような……。
「……。こんなに、穏やかな心で月を眺めたのは、久しぶりだ」
背中を大木に預けながら、しみじみとインジェンが言う。
満月の夜ごとに行われる処刑。
毎晩、宮殿の屋根に切り取られた空から月を見るたびに、インジェンは暗澹たる思いを抱えていたのだろう。
「……次の満月までには、必ず手掛かりを……見付けなければ、な……」
よほど疲れていたのか、意外と図太いのか。
インジェンの頭がふらりふらりとして、俺の肩にもたれ、眠ってしまうまで――そんなに、時間はかからなかった。
そうっと、眠っているインジェンの背中を片手で支えながら、木の幹から離す。
そのまま徐々に横に倒して、その身体を用意した寝床に仰向けに寝かせた。
仕上げに、毛布を上から掛ける。
「……これでよしっと」
夜中にたびたびトイレに起きたりしない分、爺さんよりも世話は楽チンだ。
俺はニコニコしながら、上からインジェンの顔を見下ろした。
氷の姫君も、眠っている顔は無防備でどこか幼い。
「おやすみ……トゥーランドット姫……」
胸のあたりをぽんぽんしながら、俺も彼の隣で剣を抱き直し、座ったまま目を閉じた。
翌朝、インジェンはうめき声を上げながら目を覚ました。
「……うう……身体中が痛い……っ、寒い……!」
……やっぱりなぁ。
蕩けるようなフワッフワの布団に包まれて、大切にされているお姫様が、急に野宿はキツいよなぁ……。
俺の方はといえば、夜明けごろにとっくに起きて、今や元気いっぱいだ。
とっくに朝支度をして、鉄鍋で煮込まれていい感じに真っ白になった羊のスープに、その湯気で蒸した、主食の饅頭(マントウ)を用意してある。
「大丈夫か? 何か食べて、身体を温めた方がいい」
「うぅ……」
顔色の青いインジェンの背中をさすり、口元に椀を持っていく。
羊の独特の臭いが胃に来たのか、彼は辛そうな顔で一瞬顔を背けたが、イヤイヤながらそれを少しずつ飲み始めた。
この前まで一緒に旅をしてた爺さんは、王族とはいえ、トゥーランの国の人から見れば北の蛮族の頭領に過ぎない。
生活レベルもたかが知れていたし、旅の苦難もそこまでではなかった。
でも、このお姫様は……。
上澄みを半分ほどすすられた椀を手元に戻した後、俺は意を決してインジェンを説得しにかかった。
「インジェン、やはり無理はしないでくれ。俺は旅に慣れてるし、一人でも手掛かりを探しにいける。信じてくれないかもしれないけど、決して裏切らないと誓うよ。……インジェンは、次の皇帝になる大事な体だ。こんな所で、泥に塗れて貧乏旅などするべきじゃない」
だが、相手は首を振るばかりだ。
「……すぐに慣れる。これくらいの事を耐えられないのなら、呪いを解くことなど不可能だ。ましてや、皇帝になることなど……。その椀を寄越せ。残りもちゃんと食べる」
悲壮な表情で言うインジェンに椀を渡しながら、俺は心の中で感服した。
何という矜持の高さだろう。
見せかけや驕りじゃなく、本当の意味でのプライドを持っている人だ。
この人は、単なるお姫様じゃない。
皇帝になるべく生まれた、我慢強い人だな……。
「分かりました。では、食べ終わられましたら、参りましょう」
思わず敬語に戻ってしまって、インジェンに額を小突かれた。
「いて」
温かいものを口にしたせいか、その顔色は徐々に良くなっていて、密かにホッとした。
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