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命の期限
「着いた。ここだ」
カラフに案内されるがまま、俺とインジェンは村の中の一軒の家にたどり着いていた。
家と言っても、木と布で作られたテントに近い、物凄く粗末な掘建て小屋だ。
「本当に、こんな所に医者が……?」
半信半疑で入口の布を捲ると、ツンと薬草の匂いが漂ってきて、暗い中には、見たことのある風情の爺さんが簡易ベッドの上に横たわっていた。
あっ……!
ありゃあ、俺の主人の爺さんじゃないか!
「陛下!?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、爺さんは跳ね起きて声のした方を探し始めた。
「リュウ!? リュウ、無事だったのか!?」
「はい!」
俺はカラフにインジェンを任せて爺さんの元に駆け寄り、跪いた。
「陛下、どうしてここに!?」
「ここは、ダッタンを亡命したわしの元侍医の住まいなのじゃ。カラフがわしの目の為に、ここまで連れてきてくれてな」
「そうだったのですね……!」
爺さんの侍医なら、俺も面識がある。
御殿医だけあって腕はかなり確かだし、これでインジェンはきっと助かるだろう……!
安堵すると共に、カラフが俺よりもきちんと爺さんの面倒を見ていたことに舌を巻いた。
しかも、ピンチに現れて俺やインジェンのことまで助けてくれるなんて……。
さすがは主人公! と肩を叩きたいぐらいだ。
そして同時にかなり落ち込んだ。
やっぱり俺は脇役なんだよな……。
身の程知らずにも成り代わろうとして、昨日のザマだ。
複雑な胸中の俺の隣で、そんなことはつゆ知らずのカラフが、インジェンを横抱きにかかえて爺さんに声を掛ける。
「父上、申し訳ございません。新しい病人が来たので、床(しょう)を譲ってもらえませぬか」
そのお姫様抱っこがサマになっていて、胸が痛い。
……呪い云々無しで、このまま二人の間にボーイズラブが始まっても、何の違和感もないことに気付いてしまって。
いや、本人たちがどうなのかは謎だけど……。
インジェンが爺さんと交代でベッドの上に寝かされると、すぐに医者が来た。
「おお、リュウ。生きておったんかい」
禿げ上がった頭に道士のような四角い帽子を被った、中年の男性医師が入ってくる。
彼は以前着ていた胡服ではなく、豊かな腹回りを帯で縛った長袍を身につけていた。
元々この国出身の先祖を持つ鍼灸の医師だったので、馴染むのも早かったのかもしれない。
気を遣ってくれたのか、カラフと爺さんが小屋を出て、薄暗い室の中は三人だけになった。
「この人が酷い熱なんです」
「ほほお。これは顔色が酷いな」
医者がベッドの近くに立ち、苦しんでいるインジェンの顔に触れた。
「ふむふむ。舌の色はどうかな」
勝手に口を開かせてるけど、その人将来の皇帝だぞ……なんて言えない。
ハラハラしている俺をよそに、医者は脈を取ったり、インジェンの身体を色々調べた挙句、どんどん深刻な顔つきになった。
「……こりゃ、ただの病ではないぞ。気が害されておる」
「どういうことです」
「呪い……に近いもんとでも言うか。わしらには計り知れん、何か、途方もない業を負っている。その業がこの身体をのっとって、内側から暴れ、気を握りつぶしてこうなっとる」
その言葉に、ヘナヘナと足の力が抜けた。
都を出ても、ロウ・リン公主の呪いは、インジェンの内側にしっかり根付いている。
インジェンが、呪いに対抗することを決意して、都を飛び出し、真相を探り出そうとしたから、邪魔をしているんだ!
「このまんま放っておくと、衰弱して死んでしまうぞい」
「そんな……! 一体、どうすればいいんですか……!?」
「一時的に、丹(たん)に巣食っているモノの力を抑えられるよう、鍼(はり)を打つ。さすれば、ひとまずは回復するはず。しかし、長くはもたん。邪気の元を絶たねば結局ぶり返す上に、次にはもっと酷いことになるだろう」
「そんな……。長くはって、どのくらいなんです!?」
「短くて十日、運が良ければもう数日は持つかもしれんが……」
それは……目的を果たして、都に帰るのが間に合うかどうかも分からない日数だ。
今からインジェンだけ都に帰したとしても、恐らく、皇子が自分を裏切り始めていることを知ったロウ・リン公主の怒りはおさまらないだろう。
もはや、俺もインジェンも、引き返すことが出来ない所まで来てしまった。
この旅で何としても呪いを解く鍵を見つけなければ、インジェンが死んでしまう……。
「分かりました……どうか、治療をお願いします……」
声を絞り出してお願いして、俺は小屋の外に出た。
出入り口のすぐそばで腕を組んで待っていたカラフが、俺に気付いて声をかけてくる。
「あの者は大丈夫だったか?」
「ええ……大丈夫です」
心配をかけたくなくてそう言ったけれど、声が沈んでしまっていたのか、怪訝そうな顔をされてしまった。
「リュウ……一体、あの後、城で何があったのだ。私に協力できることがあるなら、何でもする。話してみるがいい」
――どうしよう。
黙っているべきか。
話すとしても、一体、どこまで、何から話したらいいんだろう……。
でも今は、インジェンの命を救うために、一人でも多く味方が欲しい。
本当のことを全部しゃべるわけにはいかないけど――。
俺は決心して、カラフに話し始めた。
「私は、城でトゥーランドット姫に対面しました。……けれど、姫はわたしが王子でないことを一目で見破り、私は処刑されることになりました……」
「何だと……!? なら、なぜお前はまだ生きてここにいるのだ」
「それは……。姫の……ある『願い』を叶えれば、処刑を待ってやると言われたからです。いま、病にかかっているのは、私と一緒にその願いを叶えるため、姫に使わされた人です」
「なるほど、それでお前はあの者とここにいたのだな。だが、姫の願いとは一体……」
「それは申し上げられません。お許しください……」
「構わない。だが、皇帝の一族が願っても叶えられない望みなのだろう? それは、無理難題に違いあるまい。リュウ、お前一人には、荷が重すぎるのではないか」
カラフの澄んだ瞳には、俺への気遣いと優しさが溢れていて、涙が出そうになった。
誰かにこうして気遣って貰うの……この人生では、初めてかもしれない、って気づいてしまって。
だからつい、弱音が出た。
「とても……とても重いです、耐え切れません、殿下。……人の命が既にもう、いくつもかかっていて、俺なんかじゃ、うまくいく気がしないんです……っ」
誰かに相談なんかしたのは、この人生で初めてだ。
カラフなら受け止めてくれるような気がして。
まだたったの2回しか会ってない相手なのにな。
気付いたら溢れてくる涙を拭いながら、俺はどうにか言葉を続けた。
「……でも、もし上手くいけば、姫に求婚する王子たちの処刑も、終わるかもしれない……みんなを、救うことが出来るかもしれないから、俺……」
「リュウ……!」
大きな声で名前を呼ばれ、次の瞬間、カラフの強い両腕に抱き締められた。
「お前は召使の身でありながら、なんという重荷を背負おうとしているのだ。……あの姫の使いを見殺しにして、ひとりで逃げおおせていたとしても、誰も文句は言わなかっただろうに」
そう、思うよな。
俺だってそう思う。でも。
「できません……。あの連れの男はもう、俺の大事な友達なんです。それに、城の中にも、協力してもらった人がいて……。俺たち二人が帰らなかったら、その人達の命も……」
「だが、お前が運良く姫の願いを叶えたとしても、その後はどうなるのだ。処刑は撤回して貰える約束なのか!?」
「……。それは、分かりません」
カラフが絶句したまま、黙り込む。
やがて彼は腕を伸ばし、俺の肩を掴んでまっすぐな眼差しでこちらを見据えた。
「リュウ、お前に何かあれば、必ず助けると私は言ったはずだ。――約束を守るぞ」
「で、殿下……!?」
「案ずるでない。お前はきっとあの時、私の身代わりになり、私の命を救ってくれたのだ。その恩を返す。私を、お前の道連れとして連れてゆけ」
「でも、陛下のことは……」
「もともと父はしばらくここに留まり、治療を続ける予定だった。その間なら、お前たちに協力できる。ただし、私と父上は、敵国の追手に常に追われている身。私の素性は、元ダッタン貴族のハリル・シャンと伝えてくれ。今使っている偽名だ。――力の限り、お前の為に尽くそう」
「殿下……っ」
胸がいっぱいになって、言葉が出ない。
だって俺は、カラフのハッピーエンドを奪おうとした人間なのに。
カラフは優しい。主人公に相応しいのは、やはりこの人だ。
……高潔で、思いやりが深くて。
「有難う、ございます。でも……っ」
インジェンに相談しなくちゃ。
そう続けようとしたのに、カラフは俺の背中を力強くバンと叩いた。
「よし! では決まりだ。私は父上に話してくる」
「えっ……」
ちょっと待って、と止める間もなく、カラフが大股でズンズン行ってしまう。
「で、殿下っ……!」
しまった、カラフは言い出したら一直線、よっぽどのことがない限り止まれない男なんだった……!
まあでも……都に入らなければ恋の呪いは大丈夫だし、今だけなら、これほど心強い味方はいない。
インジェンが元気になったら、嫌だと言われても説得しよう――。
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