二人の秘密

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二人の秘密

 元御殿医の治療のお陰で意識を取り戻したインジェンの答えは――やっぱりノーだった。 「――絶対に嫌だ! なぜあんなどこの馬の骨か分からぬ男まで一緒についてくることになるのだ」  彼が裸で浸かっている木桶風呂のそばで、俺はガクリと肩を落とした。  ……髪も身体も泥まみれだったインジェンは、意識を取り戻した瞬間からすこぶる不機嫌だったんだ。  布でふくぐらいじゃダメで、仕方なく村人にいくばくかのお金を渡し、人が入れるくらいの大きな木桶の湯船に湯を沸かして貰ったのだった……。  一応、誰にも見られないよう、湯を用意したのは医者の先生のほったて小屋の中。  お姫様の玉の肌を誰かに見られるわけにはいかないので、中は今、世話係の俺と、俺に背中を向けて風呂に入ってるインジェンの二人きりだ。 「いや……あの彼……ハリル様は、七王家の遠縁の、ダッタンの貴族の方でっ」 「なおさら悪い! 私を襲ってきたらどうする!?」 「いや、実は、新しいことが分かったんだよ。都の外ならば、七王家の人間でも、恋に落ちるようなことはないみたいなんだ。ロウ・リン公主の呪いにも限界はある。ハリル様がその証拠――」 「……。どうせ、高貴な血を引いているなどというのはハッタリに決まっている。そもそもあの男、お前とは一体どういう関係だ」 「前のご主人様の息子なんだよ。優しくて、男らしくて、剣も、ものすごく強い。本当に頼りになるんだ」  必死に説明していると、パシャリと水音をたててインジェンが俺の方を振り向いた。  何故かは分からないけれど、ものすごい顔で睨まれている。 「あの男と、お前は、どういう関係だ……?」  ――はい?  何で、同じ質問を2回もした?  インジェン、やっぱりまだ熱が下がっていないんだなあ。 「だから、前のご主人様の息子だって。そもそも、インジェンを医者の所に案内してくれたのも、ならず者たちから守ってくれたのも、ハリルなんだってば……」  ため息混じりに髪にこびりついた泥を洗い落とす。  手に取った髪の毛はツヤツヤであまりにも綺麗で、シャンプーとリンスが無いことが残念だ。  今俺の手にあるのは、サイカチっていうマメ科の植物の、サヤから揉み出した天然石鹸。  地球には優しそうだけどなぁ。  それにしても、普段からいいものを食べ、更に鍛えてるだけあって、細身の割には筋肉がしっかり付いてる。  この身体をお姫様抱っこできちゃうんだもんなぁ、カラフは。  ――インジェンはまたいつどこで倒れるかわからないし、カラフの助けは絶対必要だ。 「……。あの男も、お前が妖魔の国からきたことを知ってるのか」  インジェンはまだ機嫌が治らない様子でぶっきらぼうに聞いてきた。 「いや、それはインジェンにしか明かしたことがないよ。……だから、秘密にしておいてくれ」  俺が頼むと、相手は何故か、見たことがないような満面の笑みを浮かべた。 「そうか。……それは私とお前だけの秘密なのだな」  不機嫌からのその笑顔が、余りにも艶やかで可愛くて美しくて、ボーっと見惚れていたら、肩に垂らしていた髪の毛の先をギュッと引っ張られ、俺は顔ごと湯の中に突っ込んでしまった。 「ガボッ! ボボボ、ぷはあっ! インジェンっ、何すんだ!!」 「ははは。お前の顔も薄汚れていたから、洗ってやったのだ。感謝しろ!」 「もうっ、そんなの頼んでないし! まだ汚れてるんだから、ちゃんと大人しくしろ!」  何なんだもう。元気になった途端に俺への子供っぽいイジメが再開しちまったじゃねぇか!  でも、倒れる前の彼に戻ったみたいで凄く安心した。 「……元気になって、良かったな、インジェン。でもな、医者から聞いたと思うけど……」  白い顔から美しい笑顔が消えていく。 「ああ。分かってる……。昨日までの私の状態は……ロウ・リン公主が初めて現れた時と同じだ」  びしょびしょに濡れた顔を手でぬぐいながら、俺は頷いた。  彼女の言うことに従わねば、皇子を殺すと言った、ロウ・リン公主の最初の呪いは――まだ生きている。  俺は、湯で濡れた両手を握りしめ、湯船のそばに跪いた。  敢えて、立場をわきまえた言葉で嘆願する。 「お願いでございます。私はあなた様に命を長らえて頂きたいのです。その為ハリル様の助力を得ることを、どうか拒まないでください」  顔を上げると、湯にのぼせたのか、インジェンがほんのりと頬を赤くしながら、首を捻った。 「……お前がそこまで言うのなら、仕方ない……好きにしろ」 「有難うございます……!」 「――だが、言っておく。今のお前の主人は、あくまでもこの私だからな」  ハッキリと言われて、ズキリと胸が痛んだ。  主人、か。  そうだよな。友達ごっこしてたけど……所詮、俺はインジェンの奴隷なんだよな。  改めて言われると、キツいな……。 「わきまえております……」  何故だか涙が出そうになったのを、無理矢理飲み込んで、深く頭を下げた。
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