知己か、奴隷か

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知己か、奴隷か

 翌朝、カラフが、乗り捨てられて迷い馬になっていたインジェンの白馬を連れてきてくれた。  インジェンも、風呂でスッキリしたお陰か、すっかり元気を取り戻している。  どうにか旅は再開できそうだ。  いよいよ三人での出発となった時、医者や爺さん、それに世話になった村の人々が集まってきた。  村人はみんな身なりがとても貧しくて、痩せ細っている。  都に住む人々とは雲泥の差で、なんだか不穏な気持ちになった。  白い髭を生やした村長が、名残惜しそうにカラフを見送る。 「……ハリル様。ならず者どもを倒して頂き、本当に有難うございました。お役人様にいくら訴えても討伐してもらえず、奴らにたびたび食糧やお金を略奪されていたのです」  カラフは複雑な表情で頷いた。 「また何かあれば私を頼るが良い。こちらでは父上も世話になるからな。出来る限りのことはしよう。すぐに戻る」 「有難うございます」  他の村人達が、次々とカラフを取り囲み、なけなしの食糧や贈り物を渡し始めた。 「ハリル様、どうかお気をつけて!」 「これ、少ないですが、旅の食糧にしてください」 「こちらもどうぞ」  よそものの外国人とは思えない、まるでアイドルのような人気だ。  俺とインジェンは離れた所でぽつねんとしつつ、見送りの儀式が終わるのを待つ。  インジェンの横顔を見ると、明らかに浮かない顔をしていた。  村人達の贈り物攻勢が止んだ頃、やっとハリルことカラフがこちらに歩いてくる。  カラフはインジェンに向かい、完璧なトゥーラン流の拱手の挨拶をした。 「私の名は、ハリル・シャン。ダッタン王家の遠縁にあたる。同行を許可して頂き、感謝する」  インジェンは皇族の矜持溢れる態度でそれを受け、自らの名を名乗った。 「……私はインジェン……皇帝の外戚であり、トゥーランドット姫の使いでもある。旅の目的は、代々の皇帝の墓の集まる玉清陵だ。誰にも知られることなく、トゥーランドット姫と縁の深い前王朝の姫、ロウ・リン公主の墓地に行かねばならない」 「相分かった。無用な詮索はせず、貴殿に出来うる限りの協力をすると誓おう。……それにしても、お顔の泥を落としてみたら、見たこともないほどに美しい顔をされていることに驚いたが……トゥーランドット姫と同じ血を引かれているのだな」 「私の顔のことなどどうでもよい」  インジェンが不機嫌に言い放った。  一方、カラフはそんな彼の態度は微塵も気にせず、朗らかに笑っている。 「ははは。それは失礼した。では、行くとしよう!」  カラフは大股で歩き出し、故郷から連れてきた自分の黒馬にひらりと跨った。  慣れた様子で、先頭をとって道を行き始めた彼に、インジェンが憤慨する。 「……なんという不遜な男だ!」  先にイニシアチブを取られたのがよっぽど気に入らないらしい。  インジェンも急いで自分の馬に跨り、歩かせ始める。  慌てて俺も後に続いた。  前方で、インジェンがカラフの馬を蹴散らすようにして先頭に躍り出る。  うわぁ……感じが悪すぎる。  案の定、カラフが馬のスピードを緩めて俺の隣に来て、囁いてきた。 「彼はずっとあの調子なのか?」 「すみません」  身体を傾けてこそっと耳打ちする。 「……あの方はとても矜持が高いのです。私の首もかかっておりますので、どうかお気遣い願います」 「なるほど」  身を寄せ合って会話していると、これまたインジェンが前で怒り出した。 「他のものと親しく口をきくな。お前は私の奴隷なんだぞ!」  なっ。人を持ち物のように管理する気か!?  この前までそんな態度じゃなかっただろ!?  友達ごっこは飽きたってことかっ。  本当に、これだからお姫様は……っ。 「……承知しております!」  乱暴な敬語で応じ、俺は馬を早めてインジェンのそばに寄った。 「インジェン様。一体、どうなさったのです?」  隣り合ってから問いただすと、 「様は要らないと言ったろう」  吐き捨てるように言われて、さすがにムカっとした。  もう、いいや。キレられたとしても俺は知らん!  俺はわざとぞんざいに、低い声で尋ねた。 「インジェン、一体俺をどうしたいんだよ。家僕のようにへりくだって欲しいのか、それとも、知己みたいに親しくしたらいいのか? 俺だって、どういう風に接したらいいのか、流石に困る!」  すると、今度はプイと顔を背けられてしまった。  ああもう、本当に困ったお姫様だよっ。  がっくり肩を落としていると、すぐ後ろに追いついてきていたカラフが笑い出した。 「はははっ、インジェン殿は、リュウをとても気に入られているのだな。――気持ちは分かる。リュウは人の世話も上手いし、何より身も心も清く美しいからな」  えっ。何だその解釈。でも褒められたのは嬉しい!  俺のことそんなに褒めてくれるのは、この世に爺さんとカラフだけだよぉ。 「……そんなことはございません」  照れながら振り向いて頭を下げると、インジェンが隣で叫んだ。 「私のものの名を気安く呼ぶな!」  また激しくご機嫌斜めだ。  でも、さっきのカラフの謎解釈で、流石の俺も少し分かってきた。  もしかして、アレなのか?  小学校で初めて友達ができたと思ったら、実は同じクラスに、そいつの保育園からの幼馴染がいた、みたいな感じで……焦ってる?  表現方法がかなりポンコツだけど。  だとしたら、俺とカラフは今までほとんど接点なんか無いのに。誤解だぜ。  なーんだ、カワイイな〜と思いつつ、俺はこっそりインジェンに言った。 「インジェンだって、俺のこと、お前とか言わずに『リュウ』って呼べばいいだろ?」  奴隷の名前なんて、口にしたくないって感じかもしれないけど……。  思い切ってそう提案したら、インジェンは頬をサッと赤らめた。  そのままぷいと前を向いてしまったけど、その薄桃の唇がかすかに言葉を紡ぐ。 「リュウ……」  小さな小さな声で呼ばれたのだと分かって――。  涙が出るくらいに嬉しくなった。  何でだろう。インジェンは、カラフに対抗してるだけなのにな。  初めて名前を呼ばれたのが、こんなに嬉しいだなんて。 「……はい。インジェン様」  笑顔で答えると、今度はもう少しはっきりと、また名前を呼ばれた。 「リュウ」 「はい、インジェン様」 「リュウ」 「はい、インジェン様」 「リュウ……」 「はい、インジェン様、何ですか!? もう」 「……様はやめろと言った」 「じゃあ、インジェン、何?」 「何でもない」  何だよ、遊ばれたのか。 「っはは。何でもないなら呼ぶなよ……」  呆れて、吹き出してしまった。  やっぱり……面倒くさいけど、なんて可愛いんだろう、インジェンは。  はじめての友達を取られそうになって嫉妬するなんて、小さい子供みたいですごく可愛いじゃないか。 「大丈夫だ。俺は城に戻るまでちゃんと、インジェンのものだよ」  そう言ったら、相手はすっかり大人しくなって、黙って馬を操り始めた。  あーあ、もう……。  ……こんなに可愛いインジェンを、絶対に死なせたくない。  ……呪いが解けたなら、俺みたいな友達ごっこじゃなくて、身分の釣り合う、本物の友達を作って欲しいな。  そして、ちゃんと皇子に相応しい姿をして、月の下じゃなく、太陽の下で……幸せな皇帝になるんだ。  俺の当初の目的は、すっかりどっか行っちまったけど……。  今の俺の心の中を、それくらい彼が占めていた。  そしてそのことが、俺をどんな運命に導くか……その時は、知る由もなかった。
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