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泉の夜
真夜中に三人揃って宿を追い出された俺たちは、仕方なく、目的の玉清陵に続く緩やかな山道を馬で登り始めた。
カラフは顔に青痣があるし、インジェンは足と肩に打ち身があるせいか、馬に乗るのも一苦労だ。
元気なのは、さっきまで馬小屋でしっかり寝ていた馬達だけ。
馬って、実は一日三時間ぐらいしか寝なくても平気なんだぜ。
なんて、馬の豆知識を披露してる場合じゃないか……。
「せっかくまともな場所で休めるはずだったのに。どうしてくれるのだ、ハリル」
「先に殴ってきたのはインジェン殿だというのに、なぜ私のせいにする」
「なにを!」
「おやめ下さい、お二人とも!!」
被害者の会会長の俺が怒ると、流石に二人とも大人しくなった。
それにしても、さっきまで男三人なのに三角関係みたいなことになっていたのは一体、何だったんだ?
俺の悪い夢かな。
インジェンとは……あの場の雰囲気でキスはしたけど……。
よく考えると、今だけの友達ごっこが、恋人ごっこに変わっただけだのような気がする。
だって俺は男だし、奴隷だし。
相手は皇帝になる人で。
もちろん皇帝は皇后様とセットで、しかも世継ぎも作らなくちゃいけないから、後宮に沢山の奥さんを持つことになる。
俺のこと、生涯の伴侶とか思っている訳がない。
どう考えても今だけの刹那的な関係で、未来なんかあるはずがないんだ。
カラフの方だって、どこまで本気であんなことを言ってたのかよく分からない。
いずれにしたって、当人の俺を放って勝手に喧嘩されたことに関しては、呆れてる。
……そういえば、トゥーランドットへの求婚、止め損ねたなぁ。
また二人になれる機会があったら、次こそは止めないと……。
ちらっとカラフの方を見る。
彼は木々の枝を避けながら馬を進めつつ、前方を指さした。
「宿の者に聞いたが、この辺りは地熱が豊富で、天然の湯の沸き出している所があるらしい。せめてそこで、この傷を癒やし、旅の汚れと疲れを洗い流そう」
湯って……温泉!?
すごい! 流石、カラフの情報収集力だ。
「ハリル様、そんなことをちゃんと聞き出されていたとは。さすがですね……!」
思わずポロリと褒めてしまったら、目に見えてインジェンがむくれてしまった。
いや、だって、こんなボロボロの姿で謎解きに行くのは嫌だろ!?
それにしても、恋人ごっこにしては嫉妬とか、妙に気持ちが入ってて……ほんと困る。
俺、さっきのキスでインジェンのこと、好きになっちゃってるって、気付いちゃったじゃないか。
でも、調子に乗って「好き」だなんて口に出して言うのは絶対やめておこう。
これ以上恋人ごっこが進化したら、後で辛いのは俺だけだもん。
インジェンだって、身分が違いすぎるって分かっててやってるんだろうし。
この旅が終わって城に帰ったら……夢が覚めるみたいに、お姫様と奴隷の関係に戻るに違いないから――。
「おお。見つけたぞ、二人とも見よ」
カラフが木々の間を指差した。
川のせせらぎの音が聞こえ、行く手に岩盤の急斜面が立ちはだかっていて、そこに小さな滝があり、その足元から、白い湯気が出ているのが分かる。
近づいていくと、木々に囲まれて、湯の溜まっている泉が本当にあった。
地元の人がよく来るのか、ある程度深さを掘ったような感じになっていて、入りやすいように、周囲がきちんと石で囲まれている。
馬を降りて、それぞれを木に繋いでいると、カラフが矢筒を背負いながら言った。
「私は風呂の前に、明日の朝食になりそうな獣を仕留めてくる。リュウはインジェン殿の手伝いがあるだろうから、二人で先に入っているがいい」
広い背中が再び林の間に分け入っていく。
カラフ、インジェンと殴り合いの喧嘩してたのに、今はサッパリ接してるの、男らしいなぁ。
感心しながら、さっきまでいじけてたインジェンの方を見る。
するとちょうど目があってしまって……。
「……」
そのままつい見つめあってしまい、かーっと顔が熱くなった。
インジェンの顔も、普段は真っ白なのに、耳まで赤くなっている。
ちょっと、二人きりになった途端、お互い目が合っただけで、何故この雰囲気になる!?
カラフ、どうしてくれんだよぉ〜!? って、カラフのせいじゃないか……。
ドギマギしながら俺から彼に、なるべくいつも通りに声をかけた。
「脱ぐの、手伝う」
「……、っああ……」
インジェンはお姫様だから、毎日俺が着替えを手伝うのは当たり前のことだ。
だから……俺の態度、普通だよな!?
自問自答しながら、彼に近付いた。
長袍の花釦を外し、内衣を脱がせていると、急に――俺に向かって、インジェンの手が伸びてきた。
「私も、お前を脱がせる」
ヒェッ……!?
ていう叫びが、心の中だけでなく、外にも漏れた。
「なんでっ」
「……いつもお前は私の肌を見ているのに、その逆はないではないか」
「そりゃあ、俺が奴隷だから当たり前のことで……」
モゴモゴ言ってるうちに耳元に唇が寄る。
「……お前の裸が見たい」
低くてエロい感じの声でそう言われて、心臓がドキンと跳ね上がった。
「何言って……」
見ても何も面白くないぞ!?
オッパイは無いし、毛は生えてるし、そもそも何日も風呂入ってない。
なのに、何でこのお姫様は、こんなに甘くて熱っぽい視線で俺を見るんだろう。
顔が、熱い。
困惑している内に手が伸びてきて、結紐で作られている俺の衣服のボタンを不器用に外していく。
何だ……自分でも出来るんだ……。
感心している内に上衣を腕から乱暴に抜かれて、薄い内衣一枚と、ズボンだけにされてしまった。
「あ……」
胸の上を綺麗な手が撫でて、斜めに合わせてある衣の隙間に指が入っていく。
「ちょ、待っ……」
冷えた手が、乳首を撫で上げ、肩を掴み、衣を肩から浮かせ、緩ませる。
「あ」
誰にも触られたことがない場所に触れられて、ビクンと首をのけぞらせると、インジェンの唇が俺の喉仏に触れ、チュッと音を立てて口付けて、そのまましゃぶる。
敏感なそこから、慣れないヤラシイ性感がびりびり下半身に降りて、掠れた喘ぎ声が止まらない。
「はあっ、だめ、だ、……カラ……ハリルが帰ってくる……っ」
「まだ帰ってこない」
「……インジェン、せめて風呂に入ろう……!? 俺、絶対に臭いからっ……!」
叫んだら、ようやく相手が止まってくれた。
「……仕方ない」
不服そうに不貞腐れるインジェンの衣を、改めて脱がせてゆく。
一糸纏わぬ姿になった彼の、均整の取れた美しい身体。
服を脱ぐのを手伝うたびに実はギョッとしてたんだけど、下半身についている半勃起した立派なアレと、女の子みたいな綺麗すぎる顔との落差が凄い……。
裸になった相手は先に湯の方に行かせ、俺はもう手を出されないように、後から着替えて、そっと背後から近づいた。
もうもうと立つ湯気の中に、男なのに無駄毛が見あたらない、どこもかしこも絹のように真っ白で傷一つない肌をした、絶世の麗人が肩だけを出して浸かっている。
あんな綺麗な生き物と同じ風呂になんか、本当に入っていいのか……!?
掛け流し状態とはいえ、俺、何日も身体洗ってないから、絶対湯が汚れるのに。
躊躇していると、インジェンが振り向いて、牡丹の花が開くみたいに微笑んだ。
「おいで」
うう……そうおっしゃるなら行きますけれども。
申し訳ない気分マックスで、それでも、足の先から入っていく。
湯加減が熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうどいい……。
久しぶりの風呂に涙が出そうなほど感動しながら、おずおずと湯の中を進んでいくと、水面下でインジェンに手を掴まれ、肌が触れそうなほど引き寄せられた。
「もっとこっちに来い」
「で、でも」
及び腰なのを強引に引っ張られて、対面からインジェンの膝の上に乗っかることになり、胸と胸が密着してしまう。
「こ、この体勢はさすがに……っ」
ちんこがくっついちゃうじゃねーか!?
半端に腰を浮かせていたら、背中をギュッと抱きしめなおされて、ガッチリホールドされてしまったので……。
うう、ギリギリ触りそう。
もう、仕方がない。
諦めて膝に体重を乗せ、首筋にしがみついた。
「最初からこうすれば良かったのだ。手間をかけさせるな」
「そんなこと言ったって……」
ぼやいた唇を、舌が舐めてくる。
「ン……」
そのままなし崩しに口付けがはじまり、湯の中で、インジェンの手が俺の背中から腰にかけてを丁寧に撫で下ろしてゆく。
「ぅン……っ、はぁ……っ」
触れているのはただの、皮膚なのに。
何故、この人が触ると、こんなとてつもなくエロい気分になるんだろう。
口の中だってそうだ。
綺麗な形の唇で舌先を吸われると、イッちゃいそうなくらいにゾクゾクして、もっと、って自分から擦り付けてしまう……。
「んっ……ふぅっ……」
剥き出しのお尻を両手でぐいと掴まれて、引き寄せられ、とうとう、熱くなったお互いのペニスが触れ合った。
じわっとした淫靡な熱と、湯の中でもぬるついた感触が伝わって、キスの合間に、喉から淫らな吐息が溢れる。
ダメだ、これヤバイ、これ以上したらっ、止まれなくなる……!
堪えられなくなって、胸を押して唇を無理やりもぎ離した。
「んぶっ、待っ、……そろそろ、カ、ハリルが帰ってきたら……っ」
「そうなったら、リュウが私に夢中になっている所を見せ付けてやればいい」
こんな綺麗な人なのに、独占欲丸出しで俺に必死になってるの、本当に可愛い。
年下だし、生意気な弟みたいで、でも、ワガママな可愛い妹のようでもあって……だけど、擦り付けられてるのは、紛れもない雄の猛った欲望で、ギャップにクラクラする。
俺の下半身も、随分長いこと抜いてなくて、夜も気が抜けないから、夢精すらしなくなってて……、正直、凄い溜まってる。
「あァ……インジェン、気持ちいい、もうっ、擦ってるだけで、出ちゃいそう……っ」
お湯がチャプチャプ波打つほどお互いに腰を揺らして、出る寸前のペニスの裏筋を虐め合う。
俺が彼の形のいい額にキスすると、インジェンも俺の喉に噛み付くようなキスを落としていく。
「ああ、リュウ、私のものも、お前に触れていると灼けるようだ……っ」
耳にも口付けされて、並びの揃った前歯に耳たぶを甘噛みされた。
そのくすぐったい、甘く苛まれる感覚が予想よりも深く腹の奥にズンと来て、悲鳴みたいな喘ぎが漏れる。
「あぁ……なに、何かくる……っ」
「……私も、もう……っ、ああ、お前が欲しい、リュウ……っ」
その言葉が、悲しいほどインジェンに惹かれている俺の本心を愛撫して、ひとたまりも無い快楽に俺を突き落とす。
もう殆どイッてるのに、インジェンの長い指は俺のペニスに絡み、硬く張り詰めたインジェンのそれと諸共に密着させ、擦り上げ始めた。
「ひ……っ」
漫然と、自分の手で擦って慰めるときとは全く違う。
――抑えられない、噴き上げてしまう……凄まじい射精感。
長い睫毛に縁取られた、切長の綺麗な瞳にじっとみつめられながら、俺は、溢れるように、欲情の塊を湯に出してしまった……。
「あ……は、ぁ……」
「お前は、愛らしくて綺麗だ……好きだ、リュウ」
だらしのない顔を、六つも歳下の、高貴な血を引く相手にベタベタに褒められたら。
落ちるなっていう方が、無理だ。
「……目がおかしいんじゃ……」
「……そんなことはない」
しがみつきながら、切ない気持ちを抑えられない。
こんなの、今だけなのに。
なのに、突き離せない。溺れてしまってる。
「……城に帰ったら、最後までするからな」
快楽の余韻でフワフワしながら彼の言葉を聞いていて、ふと、疑問が浮かんだ。
「……インジェン……ちょっと、聞いてもいいか?」
「何だ?」
「その……。男と、接吻とか、こういうこと……もしかして、したことあるのか……?」
恐る恐るきくと、インジェンはなんでもない事のように、サラリと答えた。
「――精通が来た後で、見目のいいそば付きの宦官から手ほどきを受けたことならある。陽物のある男は初めてだが、さほど違いはあるまい」
その答えに動揺するとともに、さあっと血の気が引いた。
男、初めてじゃないんだ……。
俺以外にそういうことをする相手が、城の中にいたってことだよな。
見目のいい、って、どんな……。
つい最近までしてたのか……?
相手は、一人とは限らないよな……何人居たんだろう。
俺はこれから、その中の一人になるってこと……?
思わず唇を噛んでしまっていて、インジェンが首を傾げながら言った。
「だが、口付けをしたのはお前が初めてだ」
「……。本当に?」
嬉しくて聞き返してしまって、ハッとして下を向いた。
恥ずかしい。俺、何か期待してるみたいじゃないか。
ただの奴隷なのに……。
「……お前は、私が初めてか?」
微笑みながら聞かれて、答えに詰まった。
俺は……爺さんを守るために……金や、食糧を手に入れるために……何度も、男のアレをしゃぶってる。
「お、俺は……」
生きる為に、ここまで来るために……あんな恥知らずの行為をしていたと知られたら、インジェンは絶対に、俺のことを汚らわしいと思うだろう。
そうだよな、こんな俺がインジェンの過去をとやかく言ったり、嫉妬なんかできるはずがなかった。
湯の中なのに、急に体が冷えたような感覚になりながら、俺はしどろもどろで答えた。
「男とも、女とも……恋人になったことはないし、接吻も、……これが、初めてだ」
本当のことしか言ってないけど、絶妙に知られたくないことを避けて答えた。
「ああ、リュウ……。お前は、これから全て、私のものだ」
強く抱きしめ直されて、ズキンと胸が痛む。
インジェンのものになるって、どういうことなんだ。
この呪いを解いたら、それからもずっと奴隷のまま、そばに仕えるってこと?
そして、俺は彼のそばで、彼が俺に飽きるまで性のごっこ相手をして、そのうちインジェンが結婚して、お姫様を貰って、子供を作って、皇帝になるのをずっと見守って……。
――もしかして、それは……トゥーランドットの「リュウ」みたいに、愛する人のために死ぬことよりも、ずっと辛いことなんじゃないか?
……苦しい未来しか見えなくて、心が潰れそうになる。
俺にとって、きつい結末しか待っていないと分かってるのに――今の俺は、恋人みたいに抱きしめてくれるこの腕が、嬉しくて仕方がない。
「インジェン……」
ぎゅう、と肩を抱きしめて、真っ直ぐでサラサラの髪の毛を撫でた。
「必ず呪いを解こう。俺も命を賭けて頑張るから。俺、インジェンに、生きて、ちゃんと皇帝になってほしい」
「……ああ。おまえのためにそうすると誓う」
インジェンの指が、俺の髪を結んでいる粗末な布紐を解く。
俺の髪を、背中を、彼の手がぎこちなく洗いあげて、何度も撫でる。
その心地よさに酔いながら、涙が溢れた。
湯の中で良かった。誤魔化せるから……。
「……? リュウ?」
俺が黙り込んでいるのに気付いて、インジェンが首を傾げる。
「ううん、何でもない……」
俺は目を閉じて、もう一度、キスをねだった。
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