侵入

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侵入

 モヤモヤはありつつも、温泉で色んな意味でスッキリし、いつものように野宿をした翌日の早朝。  カラフと俺とインジェンは、王家の墓の集まる土地――玉清陵までたどり着いた。  広大な墓地は盗掘防止の為に高い塀に囲まれ、唯一出入り可能な正門は、普通に人間が住めそうなほどに立派な赤い建物の門になっている。  さらにその前面には石牌坊と呼ばれる石造りの装飾的な門があり、その前に警備の兵士たちが立っていた。  一般の人間は、近づくことも出来ない様子だ。 「流石にここの兵士は居眠りなどしていないな。真正面から行ったら、即座に捕まってしまうだろう」  陵にほど近い森の中に身を隠し、俺たち三人は侵入作戦を考えていた。  カラフが即席の地図を開きながら、うーんと唸る。  地図は、昨日の晩に、インジェンが昔、蔵書庫で見たものを記憶で紙に筆で描いてくれたものだ。  所々に書かれた文字が、整っていて美しい。  この地図によれば、玉清陵の面積は、俺の元いた世界で言えば、東京ドーム50個分くらいもあって、ちょっと想像もつかない途方もない広さだ。  言わば、死人の都って感じだろうか。  最初の門を潜ると、だだっ広い平原の真ん中に道が通っていて、それを5キロほど行った先が三叉に分かれ、その先が更に各王墓に繋がっている。  そのすぐ背後には険しい高い山々があって、雰囲気的に、西から都を見守ってるって感じの土地だ。 「南側に川があるな。防壁がそのまま橋になっているようだ。夜の闇に紛れ、水に潜って泳いで侵入できるかもしれん」  俺は慌てて反対した。 「それはやめてください。インジェン様は泳げないのです」 「そうか……。やはり正攻法で行くのはどうだろう。インジェン殿は、皇帝なのだろう? 何かそれを証明するものがあれば通れるのではないか?」  インジェンが首を振る。 「私は今は忍んでいる身だし、あいにく、唯一証明になるような簪はあの木端役人に持たせてしまった。わたしの身分をあらわすものは、何もない」  うーん、とカラフがうなる。 「と、なると……警備の薄い場所を見つけて壁を登り、強行突破か。……だが、見つかってしまうと盗掘目当ての盗人扱いされてその場で打首になるだろうな」  考え込んでしまった。  何しろ、俺たちの人手はたった三人だ。  大勢に囲まれたりでもしたら、ひとたまりもない。 「……。私に考えがある」  インジェンが、強ばった顔を上げた。  昼間の光を浴びてもなお青白いその相貌に、複雑そうな表情が浮かんでいる。 「――どのような?」 「……本当は、やりたくはないが……」  俺とカラフは、インジェンの案に耳を傾けた。  ――その日の夜のこと……。  山からの冷涼な風の吹く、裏寂しい玉西陵の門前。  ザワザワと鳴る葉擦れの音と共に、静かな琴の音が微かに、警備兵達の耳に届いた。  都とは遠く離れた、しかも墓しか無いような土地だ。  こんな真夜中に、優雅な琴の音など――普通は聞こえて来るはずがない。  口に出しては言わずとも、毎夜裏寂しい場所を警備する兵士達の頭の中に浮かぶのは、「幽霊」「妖怪」の二文字だ。  震え上がった兵士たちは、音の原因を確かめに行く役を互いに押し付け合った。  結局、一番気の弱い新入りがその役目を押し付けられ、提灯を手に、恐々と門を離れる。  風雅な琴の音は、玉清陵の門前にある、真っ暗な森の中から聞こえてくる。  兵士の足は、すくんでなかなか踏み出せないほどにガタガタと震え、それでも先輩達からくらう仕置きを恐れて、森の中を進んでいく。 「うぉ……おい! だ、誰だ、誰がこんな場所で琴なぞ奏でているのだぁ……!?」  悲鳴のように裏返った声は、森の中に吸い込まれ、返事の代わりに返るのは、ただ、物悲しい旋律のみ。  いよいよ身体をガタガタと震わせながら、兵士が更に森の奥に踏み込むと、琴の音は次第に大きくなり、とうとう、その奏者にでくわした。  月の光を浴びながら地面に跪き、膝の上に置いた琴を一心に弾き続けているのは、透けた白く美しい衣を纏い、艶やかな黒髪を天女のように結いあげた嫋やかな女だった。 「おい! そこの者、何者だぁ……っ!」  剣を抜くことも忘れ、ガタガタと震える手が提灯を掲げる。  灯火の下で顔を上げたその顔は、作り物のように完璧に整っている。 「な、なんという……う、美しい……」  兵士が動揺し、へなへなと腰砕けになった。  それもそのはずだ。  彼が今まで見たこともない、絶世の美女が目の前に現れたのだから。  その人離れした美貌の前で呆然としながらも、彼は役目の為、懸命に話しかけた。 「もし、お嬢さん。琴の腕前からして、やんごとなき身分の方と、お見受けいたします。なぜ、こんな所で琴を弾いているのですか――」  すると美人は、困ったように目蓋を伏せ、衣の裾をチラリとめくって見せた。  雪のように白いその足に、痛々しい痣が出来ている。  都から遠くこの人里離れた墓地に派遣され、長いこと若い女は愚か、老婆も幼女も、女と名の付くものを見ていない兵士の目は、その艶かしい足に釘付けになった。 「あっ、足を怪我してしまわれたのか。これはいけない、私がおぶってあげましょう……!」  鼻息も荒く、兵士が美女に近づいていく――。  ……その時――木の上に登り、葉の陰から様子を見ていた俺とカラフが同時に兵士の後ろに飛び降りた。 「御免」  カラフが彼の首の後ろに手刀を入れ、一発で気絶させる。なんとも見事な技だ。  俺は倒れた兵士の着ていた鎧と兜を手早く脱がせ、身体に素早く縄を掛けて、離れた場所にある適当な木に、座った体勢で縛り付けた。 「よし。あと二、三回これをやるぞ」  カラフが俺に目配せし、再び上に登るべく、木の枝に手を掛けた。 「――それにしても、インジェン殿はさすがトゥーランドット姫の血縁というだけのことはある。琴の腕は一流だし、若い男を惑わすこと、まるで本物の姫のようではないか。ワッハッハ」  ……いや、本物の姫なんだけど。  とは突っ込めない。 「シッ、声が高い。余計なお喋りをしている暇はないぞ」  今は絶世の美女に化けたインジェンが、忌々しそうに眉を吊り上げるのを、俺は必死で宥めた。 「まあまあ……ハリル様が、女の服と琴、それに化粧道具を街で調達してくれなければ、こんなに上手くはいかなかったんだから」 「それはそれ、これはこれだ」  荒々しい声でぼやいてるが、今は姫に化けているせいか、仕草の一つ一つも優雅で細やかで、なんとも美しい。  俺の方が見惚れてしまって、作戦だったことも忘れてしまいそうだった。 「おっと。次が来た。……今度は二人だ。可哀想に、同僚が帰ってこなかったものだから、怖くて震えているぞ。リュウ、早く登れ」  ……カラフはどうやら、この作戦を完全に楽しんでいる。  ――やっぱり、トゥーランドットの主人公二人だけあって、お互いに無いものを補い合う、いいコンビだなぁ。  ……などと感心しながら木に登ると、今度はすぐに二人の兵士がやって来た。 「ややっ。女、何者だ! ここに兵士が一人来たはずだ。その者をどこへ拐かした!?」  インジェンは、困ったように口元を衣で覆って首を振る。  兵士二人は警戒しているせいか、今度はなかなかこちらに近づいてこない。  ――困ったな。  来てくれないと、俺もカラフも木から飛び降りることが出来ない。  焦ったのはインジェンも同じらしかった。  言葉を発さないまま、さっきと同じ色仕掛けの策に出始める。  衣に隠された脚を、今度は豪快に太腿までチラリ――どころか、がばりとまくった。  ちょっ……インジェン、それはやりすぎだ。  流石に太腿まで見えると、色白とはいえ、筋肉がガッツリついてるのが丸わかりじゃないか。  ハラハラしている俺の視界の下で、兵士二人はというと――興奮の雄叫びをあげていた。 「うひょお、何ていい女だ! こんなシケた場所の配属になっちまって、もうずっと我慢してたんだ。相手が幽霊でも妖怪なんでも、この際構うもんかぁ!」 「ヒッヒッヒっ、他の奴らが来る前にやっちまいましょう!」  なっ、何だってー!?  お、俺の彼氏(仮)の貞操が、ヤバい!!  慌てて木から降りようとした時には既に、男二人がインジェンに襲い掛かっていた。 「何をする、この無礼者が!」  絶世の美女の唇から男の太い声が飛び出し、あらわな太ももが最初に飛びかかった兵士の股間を蹴り上げる。 「ギャーッ!」  スケベな兵士は股間が勃ちまくってたのか、尋常じゃない苦しみようで地面をのたうちまわった。 「ひっ、ヒーッ! やっぱり化け物だーっ!」  腰を抜かしたもう一人の兵士にも、インジェンは詰め寄っていく。 「何だと……? トゥーラン一……すなわち、世界一の美貌と謳われたこの私を、化け物と言ったのはお前か……?」  うわぁ、この人自分で世界一って言っちゃったよ。  俺の彼氏(仮)、言ってることが完全に悪役だ。 「この無礼者! 首を刎ねられないのを感謝しろ!」  間違った声優が吹き替えてしまった映像みたいになってる視界の中で、ドカッ、ボクッとひどい音がして、残りの一人の兵士も地面に転がった。  シーンとなった所で、俺とカラフが地面にするする降りてくると、インジェンは拳を振り上げて怒り出した。 「全く、お前たち一体何をしていたんだ!? 私一人に、二人も相手させるとは。万一のことがあったらどうしてくれる!?」  いや、でも、実際俺たち、要らなかったし……。  と、カラフと顔を見合わせたけれど、反論すると姫の世界一高いプライドを傷つけそうだったから、素直に頭を下げたのだった……。
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