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ロウ・リンの墓
インジェンのプライドを捨てた作戦がその後も功を奏し、俺たち三人は盗んだ鎧兜で、見張りの兵士になりすますことができた。
行方不明者が十人近くも出た兵士たちは、森の捜索に人手を取られて、肝心の警備がままならない状態だ。
そんな彼らの監視の甘さを突いて、男に戻ったインジェンと俺、それにカラフは、行方不明者捜索中の兵士になりすまし、陵を隔てる壁の内側へと入った。
門からまっすぐ、どこまでも続く石畳の道の両側には、墓地というにはあまりにも広大な平原が広がっている。
インジェンの記憶通りなら、ここから5キロはこの死者の道が続くはずだ。
三人で走って石畳の上を駆けていると、道の両脇に、次々と不気味な石の獣の像や、老若男女の人間を象った像が通り過ぎた。
おそらく、魔除けや盗掘避けの意味を持っているんだろうけど、暗闇の中ではまるで生きているように感じられて、かなり怖い。
俺はちびりそうだったけど、カラフは全く動じず、鎧を草むらに脱ぎ捨てながらどんどんスピードを上げて走っていく。
確かに、ここまでくれば警備の兵は見当たらないし、こんな慣れないものをいつまでも着ていると時間がかかってしまう。
インジェンも隣で兜を脱ぎ捨てた。
月明かりの下で、結髪を解いた長い髪の毛が靡く。
化粧した顔はそのままで、長い睫毛が天使の羽毛のようで、格好は男のままなのに、まるで月の精のように美しい。
……改めて、不思議になった。
もう十八になる男なのに、どうしてこの人はこんなに綺麗なんだろう。
普通なら髭も生えるし、すね毛だって生える筈なんだけれど、インジェンが朝、髭が生えるのを見たことがないし、ごく薄い陰毛はあった気がするけど、手足や腋の下に無駄な毛もない。
声も低いし、筋肉はあるが、肌は女性のように透き通り、髪も艶やかだ。
もしかして、彼が奇跡のように中性的な美しさを保ったまま成長していること自体が、ロウ・リン公主の強い呪いの現れなのかもしれない……。
「……何を見ている?」
息一つ乱さずに走りながら、インジェンが俺に微笑みかける。
その紅を引いた綺麗な唇に吸い寄せられるようにキスしたくなって、目を逸らした。
「いえ……」
――俺も、呪いにかかってしまったような気がして、怖い。
唇を噛んだまま走っていると、だいぶ前の方を走っているカラフが叫んだ。
「見えてきたぞ、三叉路だ」
「――左へ進め。前王朝の最後の王の廟の裏手、一番外れにロウ・リン公主の墓がある」
インジェンが答えた。
――月が墓地の背後の山に落ち、真っ暗闇になる前に、姫の墓を見つけなければならない。
急いで進むうちに、まるで都に戻ってきたかのような龍の彫刻の施された石の階段と、見事な瓦屋根を備えた宮殿の連なりが見え始めた。
地下に眠る皇帝のためだけに建てられた、死者の家だ。
不気味に荘厳なその宮殿をスルーして、その裏手の、小さな庭のようになった場所へと向かう。
そしてついに――俺とインジェンは、この旅の目的地にたどり着いた。
石壁の下、もの寂しい草っ原の隅に建てられた、直径三メートルほどの、レンガ状に積んだ石で出来た円筒型の墓だ。
時間がずいぶん経っているせいか、あちこちの石の隙間からぼうぼうに草が生えていて、下手をしたら墓に見えない。
墓の台座の部分に埋め込まれた石に、確かにうっすらと、ロウ・リンの名が刻まれている。
「ほ、本当に……あった……」
ここに来るために旅に出たというのに――いざ、この場所に来ても、何の感激も無い。
ただただ、恐ろしい。
ここに来ても、何の手がかりも得られなかったらと思うと――。
足がすくんでいる俺とインジェンを励ますように、カラフが力強く言葉を発した。
「さあ、時間がないぞ。インジェン殿は、この中に用があるのだろう。――墓石の崩しやすい部分を早く取り除くのだ」
励まされて、俺とインジェンは同時に頷いた。
レンガ状の石の脆くなっている部分に手をかけ、一つ一つ、慎重に溝を掘って分離し、取り除いてゆく。
やがて、墓の正面にポッカリと、階段のある黒々とした穴が現れた。
――怖くない、と言えば嘘になる。
だけど、ここで逃げ帰ることの方がもっと恐ろしい。
インジェンも怖気付いているのか、なかなか中へ入ることができないでいるみたいだった。
やっぱり、俺が先に行かなければ……。
覚悟をして、折り畳んで持ってきていた提灯を出して火を灯した。
頼りない灯火を前方へ突き出して、真っ暗な闇の中へ足を踏み入れる。
中は外の乾燥した空気と比べ、多少湿気があった。
左右を明かりで照らしながら、階段を降りてゆく。
地下の玄室は、上にある円筒型の墓石と同じくらいの大きさの真四角の部屋だった。
壁には全て、吉祥物や、見たことのない不思議な文字がびっしりと彫られている。
奥にはこれまた、レリーフや解読できない文字が細かく彫られた石棺が横たえられていたのだけど――その様子が異様で、俺たちは驚いた。
石棺の蓋は開けられ、近くに無造作に落ちてる上に、真っ二つになっている。
その中に――髪の毛のついた白骨の遺体が剥き出しのまんま仰向けに寝ていて、ギャーッと大声で叫びそうになった。
インジェンが石棺を見下ろし、緊迫した表情で口を開いた。
「……盗掘されている。……それも、ここ数年のようだな……。リュウ、壁を照らせ」
言われるがまま、壁際にぐるりと光を当てる。
「……この文字は、まだ西の果ての国であった頃に使われていたトゥーランの文字だ。今は一部の皇族しか読むことができない」
インジェンはしばらく、壁に書かれた文字を読んでいたが、徐々に顔色が変わった。
膝を折ると、砂埃まみれの石棺を撫で始める。
もうもうと煙が舞った後で、石棺の横腹に刻みこまれたレリーフがはっきり見えてきた。
「この装飾は……」
提灯にぼんやりと顔を照らされたインジェンが、驚きに目を見開いた。
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