帰途

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帰途

 カラフが兵の大半を引きつけて逃げてくれたお陰で、俺たちは人気のない場所で壁を越え、夜の内に無事に玉清陵を脱出することができた。  馬を隠しておいた森でしばらくカラフを待っていたものの、何刻待っても、彼の姿は現れなかった。  インジェンに残された時間はもう残り少ない。  日も登り始めていて、最早この場に留まり続けることは難しかった。 「もしかして、捕まってしまっていたら……。怪我もしていたし」  遠くから陵を囲む塀を眺めながら、不安になる俺の手を、インジェンが握り締めた。 「あの男に限っては、心配ない。ここには寄らずに都へ向かったのかも知れぬ」 「そう……だよな。俺たちも、そろそろ行くしか……」  諦めて馬に乗ろうとしたけれど――インジェンが、手を離してくれなかった。  むしろ引っ張られて、腕の中に引き摺り込まれ、抱き締められる。 「な、何……?」  ニコッと微笑みながら顔を上げると、ほとんど噛みつくみたいな口付けが降ってきた。 「ン……!」  い、今キスしたら、カラフと間接キスにならないか……!?  って、心の中で思ったけど、むしろそんなものは上書きするってくらいの勢いで、歯形が付くほどガブガブ唇を噛まれる。 「フグ……っ! 待っ、痛い……ンはッ」  訴えたら、今度は腫れた唇を優しく舐められて、ゾワッとした気持ちよさで籠絡された。  まるで、鞭の後の飴みたいに、甘く甘く、舌で薄い粘膜をなぞられて……。  翻弄される快感で、下半身がジンジンする。 「はあっ、う……」  おかしいくらい、気持ちいい……。  キスがこんなに気持ちいいなんて、人生二回目にしてヤバいことを知ってしまった。  インジェンも同じくらい感じてるのかな……なんて思いながら、お返しに舌をクチュッと甘噛みして、扱くみたいに……唾液を絡めて、エロい感じで、舌をいやらしく吸って愛撫した。  男のあれを、そうする時みたいにしたのは、無意識だったのだけど……。  次の瞬間にインジェンの唇がパッと離れて、その顔が真っ赤になっていて、――しまったやり過ぎた、と気付いた。  ひとつ咳払いをした後で、インジェンの宝石細工のような瞳が俺をとらえる。 「……リュウ、お前は私のものだ。あんなふうに、他のものに身体に触れさせるな。唇などは言語道断だ」 「……うん」  頷きながら、頬が緩んだ。  カラフのキスが、よっぽど我慢できなくて、仕返ししたのか……。  その気持ちが嬉しくて、心があったかくてくすぐったくて、フワフワする。  本当は、全くそれどころじゃないのに。 「さあ、行くぞ」  ……俺の背中を押したインジェンのその手は、旅の始まりの頃よりも、何故かずっと逞しくなったような気がした。  ――馬に乗り、急いで山道を降りた。  都へ続く街道に戻る頃には、すっかり日が高くなり、どこまでも続く背の高いくさむらを夏の陽光が照らす。  まるで、旅の始まりの時のような穏やかな空気だ。  インジェンと俺は、抜けるような空の下で馬を並べながら、これから城に帰ったらどうするのかを話し合った。 「……ロウ・リン公主の魂を鎮め、呪いを終わらせるには、彼女の墓に入っていた、グンドの贈り物を取り戻さなければならない」  インジェンの言うことに俺は同意して頷いたけれど、同時に疑問が生まれた。 「でも、何が入っていたかも分からないのに、取り戻すことなんてできるのか?」 「墓を作った当時に、当時グンドが特別に命令して作らせたものがあるはずだ。軍機処に調べさせれば、恐らく記録が出てくる。……そしてリュウ、お前は私があの簪を金に変えようとした時、言っていただろう。――高価なものを市中で換金すれば、枯野に火をつけたように噂が広まる、と」 「うん」 「――ましてや盗品とあれば、売る人間も買う人間も限られる。都中の古物商を締め上げれば、盗掘品の行方を探すことも出来るはずだ」 「……そうか、その通りだ……。皇帝や大臣に事情を話して協力してもらうことができれば、見つけられるかもしれない……!」  けれど……それは、インジェンの命の期限に間に合うのだろうか。  絶対に、間に合って欲しい。  神様、代わりに俺の命を短くしてくれても構わないから……。  心中で祈る俺の隣で、インジェンの穏やかで晴々とした声が囁いた。 「リュウ、ここまで来れたのは、あの時、お前が私の前に現れて、希望を与えてくれたからだ。……旅に出てからも毎朝、私を起こしてくれるお前の笑顔を見るたび、この世に希望があるのだと教えられた……」  その言葉を聞いて、涙が出てしまいそうな……だけど満たされた、不思議な気持ちになった。  この旅に出る前は、こんな切ないほど誰かを思う気持ちになったことなんて無かった。  人を、恋愛的な意味で好きになる余裕なんて無かったし……。  会ってから少しも経たないのに、皇族の、しかも男に、こんなに心を惹かれることになるなんて、思いもしなかった。  でも今は、こんな気持ちを知ることが出来たことが嬉しい。  その上、今この時だけだとしても、好きな人に、好きになってもらえて……この先、どんな運命が待っていたとしても、もう悔いは無いや……。  この気持ちを言葉にして伝えたくなって、俺は口を開いた。  俺からは、一度も言ったことがなかったけれど……。 「……インジェン。俺はしがない奴隷だし、皇帝になる人にこんなこと言って、許されるものか分からないけれど――俺、インジェンのことを……」  言いかけたその刹那――草むらの中に潜んでいた何かに、恐ろしいほどの力で強く片脚を掴まれた。 「ひえっ……!?」  馬上でバランスを保っていた体が左側にガクンと崩れ、地面に乱暴に引き摺り下ろされる。  馬だけは先に進むものだから、当然ながら落馬――地面に身体を酷く叩きつけられ、草まみれになった。 「うぅっ……!」  受け身も取れなかったせいで、身体中が痛くて動けない。  草の中でもがく内に、身体を無理やり後ろに引き摺られ、後ろから羽交い締めにされた。 「動いたら殺す」  顔の見えない誰かが耳元で脅す。  低い殺気に満ちた声だ。 「誰だ……!?」  背後の男の顔を見ようともがいていると、冷たいものが首筋に押し当てられた。 「動くなと言っているだろう!」  まずい、刃物だ……。頸動脈に当てられてる。 「リュウ!」  インジェンの叫びと、乗り手を失った馬の激しくいななく声が入り混じり、空気を震わせる。  前方で馬を飛び降り、草原の中に立ったインジェンは、謎の男に捕まっている俺を前にそれ以上は動かず、強ばった声で告げた。 「リュウ……。その男は、先ほどハリルと戦っていた覆面の男だ……」
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