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故郷の歌
――結論から言えば、俺はその場で殺されることは無かった。
籠の中からうっすら聞こえてたけど、インジェンが、俺を殺したら自分も死ぬと言って大暴れしたものだから、うっかり処刑できなくなってしまったらしい。
その代わり、近衛兵はインジェンを警護する老将軍の隊と、俺を連行する下っ端の隊の二手に分かれ、絶対に合流することのないように都へと動き出した。
俺の顎の傷は一応手当てしてもらえたけど、それから紫微の都までの帰路三日間の俺の扱いは、まさに家畜以下だ。
兵士達は、インジェンの正体までは分かっちゃ居なかったが、彼がワガママな皇族様で、俺はその愛人だってことは薄々気付いていた。
「あんな男のどこが」と好奇の目で見られたり、淫らな毒夫めと罵られて唾を吐き捨てられたり、囚人護送の道中は散々だった。
基本的に近衛兵は育ちがいい貴族出身の若者ばかりだったから、ケツまでは狙われなかったのが唯一の幸運ってやつだろう。
――まあでも、仕方がない話だよ……。
俺は、嘘をついて皇帝や公主を騙した罪の他に、公主を誘拐したという大罪まで負ってしまった、天下の大悪党。
しかも誘拐途上で、姫をだまくらかしてストックホルム症候群にしちまった、淫奔な魔性の男っていうレッテルまで加わって、向かうところ敵なしだ。なんの敵だかは知らんけど。
そんな俺はもちろん、都に着いても、インジェンのいる城になんか戻れるわけがなかった。
行き先は、処刑まっしぐらの、都で罪を犯した犯罪者が収監されている留置所。
まさにブタ箱と言うのに相応しい、堅牢かつ陰惨な石作りの建物――その刑吏に引き渡され、半地下牢にぶち込まれた。
かんぬきの音と共に閉じ込められた場所は、寒くて酷い臭いがする上に、光源は地上スレスレに開いている小さな窓から僅かに漏れる外光のみ。
その薄闇の空間に、おどろおどろしい影が幾つかノロノロと動いていて、流石の俺もすっかり恐怖に怖気付いた。
「ヒッ……!」
まさか、こんな場所に先客が居るとは思わない。
怯えまくって壁際に逃げていたら、謎の影から聞こえてきたのは、妙にのんびりして甲高い、懐かしい声だった。
「おお、まさか、そなたと生きて出会えるとはなぁ〜!」
「……!?」
次第に慣れてきた目で見れば、謎の人影は、見窄らしい古ぼけた囚人服を着せられた老人で――驚くほどよく似た囚人が、あともう二人、両隣にいる。
それは王宮三兄弟の、懐かしい顔だった。
「ピン! ポン! パン!」
俺は彼らの名前を叫びながら、その場に崩れた。
「ははは。やっと分かったか」
嬉しそうに言われたけれど、俺は膝を突いて、すぐさまに土下座した。
「ごめん……全部俺のせいだ! 関係ないみんなを巻き込んで、本当にごめんなさい……!」
「いいや、気にするでないよ。謝らねばならんのは、わしらの方じゃ。ピンの演技が下手過ぎて、すぐに公主じゃないと気付かれてしまってなぁ」
「元より、欲に目が眩んでお前にうっかり銅鑼を叩かせてしまったのはわしらじゃ。お前に協力したのも、覚悟の上。我ら、王宮四天王、死ぬときは一緒よ」
「いっときだけ、お姫様になった気分も味わえたしな。お前さんのおかげで、最後に楽しい夢を見られた。今生に未練はないわ」
ピンポンパン達が、カラカラと明るく笑う。
俺は三人の温かく情けの深い人柄に感動して、涙が止まらなかった。
例えちんちんが無くたって、この人達は、本当に勇敢で立派な、いい男達だ。
こんないい人達をみすみす殺してしまうなんて……本当にやり切れないし、心から情けなかった。
ピンが、俺の背中を優しく撫でる。
「泣くな、リュウ。さあ、冥土の土産に、わしらに旅の話を聞かせてくれ。トゥーランドット公主と、どんな旅をしたのだ?」
「うん、うん……有難う。話すよ……」
もう、どうせみんなこれから死刑になるのだ。
何を隠したって、意味はない……。
グスグス泣きながら、勧められるままに牢の冷たい床に座り――俺は、都の外であったことを、ピンポンパンに話した。
――そもそも、トゥーランドット姫は実は男性で、この内密の旅も、王子の処刑も、全てはロウ・リン公主の呪いが発端となっていたこと。
旅に出る前に、インジェンが、襲ってきた悪党を見事に撃退したこと。
無事に旅に出たと思ったら、皇子が川で溺れて死にかけて、俺が助けたこと。
悪党とひょんな所で再会して、前のご主人様の息子が助けてくれたこと。
助けた子供に同情して、インジェンが役人にかんざしを投げつけた話。
皇子と王子が大喧嘩して、怪我したこと。
インジェンが絶世の美女に化けて、兵士たちを騙したこと。
無事に呪いの謎を解いたと言うのに、刺客に襲われたこと……。
三人は、興奮したり、嘆いたり、笑ったりしながら、俺の話を楽しげに聞いてくれた。
「なるほど、それは大冒険だったのだなぁ。それに、そなたは、公主……いや、皇子様と、とても仲良くなったのだな。わしらの知る冷たい姫様とは、別人の話を聞いているようじゃ。お前も、まるで恋しているみたいに、皇子様のことを嬉しそうに話すし」
「そ、そうかな……!?」
キスや、エッチなことのくだりは、うまく誤魔化したつもりだったんだけどなぁ。
さすがは王宮三兄弟、いや、今は王宮四天王の洞察力……。
「うん……。殿下は、奴隷の俺のことをまるで、親友のように扱ってくれたんだ。俺の為に何度も涙を流してくれて……。だから、この旅が実って呪いが解けて、彼が無事に皇帝になれたなら、俺のことは、もう、いいと思ってる。でも、みんなには、本当に済まなくて……」
「いや。わしらも、罪もない異国の王子の首がちょんぎられなくなるかと思うと、嬉しいものよ」
ピンとポンが朗らかに笑い、パンが俺の背中を押した。
「さあ、長旅で疲れただろう。寝床で、少し休むがいい」
パンが俺を立たせ、狭い部屋の隅にある寝床に案内する。
帰りの旅は酷い扱いを受けながら過ごしたから、正直にいえば、流石の俺も、もう何も考えられないくらいクタクタだった。
牢の、家畜みたいに藁と布を敷いただけの寒々しい寝床でも、横になれるなら充分なくらいだ。
しかも、この三人がそばにいてくれるなら、凄く安心して寝られる。
俺、爺ちゃん子だったからかな……。
横になった俺の周りで、三人の老人達は、高く掠れた声で、かわるがわる、それぞれの故郷の子守唄を歌ってくれた。
霞に包まれた、青竹の密生する美しい山々。
蓮の花の咲き乱れる湖と、大きな盥に乗ってその花を摘む乙女。
重く垂れ下がった金の稲穂の畦道を駆け回る兄弟達……。
美しい記憶の中の彼らの故郷、ホーナン、ツィアン、キウの子守唄を。
三人はそれぞれ違う故郷を持ち、おのおのの家族から自ら離れ、王宮に来たのだ。
旅の途中で出会った、自らの意思で人買いに売られた、あの男の子のように。
宦官になるものの殆どは、貧しい家族の為に、立身出世を願って、相当な覚悟を持って自らの身体を傷つけ、城にやってくる。
古くからの知り合いなど誰もいない、閉ざされた城で身を寄せ合い、兄弟のように助け合って暮らすうちに、彼ら三人は、身も心もそっくりになってしまった。
故郷への想いが、歌声に溢れる。
生きて無理ならば、せめて、死んだ後に鳥に生まれ変わり、翼を広げて、飛んで帰りたいと……。
俺も、帰りたいな……。
帰る場所があるならば、そこへ……。
――子守唄を聞きながら、いつの間にか、俺は深い眠りに落ちていた。
そうして、どのくらい眠っただろうか。
真っ暗な地下室で目覚めると、俺はたった一人だった。
ピンも、ポンも、パンも、いない。
優しい笑顔を浮かべ、俺を見守ってくれた彼らは、どこにも姿が見えなくなっていた。
俺よりも一足早くに捕まっていた彼らだ。
先に処刑が決まっても、全くおかしくはない。
彼らは三人とも、俺が罪悪感に苦しんだり、別れを嫌がって泣いたりするのが嫌で、疲れて眠っている俺を起こさなかったのだ。
静かに、静かに……俺を起こさないように気をつけながら、処刑に向かうため、ここを出た――。
悲しくて辛くて、そしてありがた過ぎて……真っ暗な闇の中で、声と涙が枯れるほどにワンワン泣いた。
彼らだって、元のトゥーランドットの物語では死ぬはずではなかったのだ。
脇役のはずの彼らを俺が巻き込んだ。
俺のせいで。俺が殺したのだ。あのひたすらに善良な、優しい人達を。
「ごめん……ごめんなさい……本当にごめん……っ!」
床に額を擦り付けて、叫ぶようにうめく。
握りしめた毛布が、溢れ落ちた涙でグシャグシャになっていく。
後悔しても後悔しても、したりなかった。
まだ耳に残っている故郷の歌。三人の笑顔。
泣いて泣いて、もう何もかも分からなくなった頃。
鉄の扉が、再び開いた。
「……出ろ。命令だ」
看守に短く告げられて、俺は怠い身体に鞭を打って、どうにか起き上がった。
……腕を後ろ手に縛られ、紐のついた首輪を付けられて、売られる家畜のように引きずられてゆく。
まるきり、奴隷らしい姿だ。
このまま殺されに行くと分かっても、もう、何の気力も、感情も湧かない。
やるべきことはやった。
充分、抗った。
関係ない人達を巻き込んだ罪を背負って、俺は死んでいくのだ。
……到底、償い切れるものではないけれど。
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