処刑

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処刑

 ――カラフ王子の謎は破られた。  彼は見事に三つの謎を解いたというのに、必ず勝利できると確信した驕りによって、その命を失うことになった。  ハッピーエンドで閉じられるはずの物語は、永遠に壊れてしまったのだ。  いや……。  元々の物語でさえ、もしかしたら、本当はハッピーエンドでは無かったのかもしれない。  トゥーランドットは、リュウの犠牲が無ければ愛を知ることは無かった。  リュウがあれだけの犠牲を払ってもなお、カラフは彼女を女性として見ることはなく、最後まで恋愛感情を持つことは無かった。  リュウが死んだ時すらも、打ちひしがれていたのは爺さんのティムールだ。  どう考えてもリュウの死はカラフのためなのに、カラフは「あなたのせいで死んだ」とトゥーランドットを責める。  挙句、トゥーランドットが何度も拒んでいるのに無理矢理口付けをして、強引に「目覚め」させる。  最後は愛を知ったとされるトゥーランドットは、本当に彼を「愛」していたんだろうか?  そもそも、カラフにしてみたって、本当の愛や思いやりを知っていたのか?  その後、皇帝の座をカラフが継いで、皇后になった彼女は幸せになったのか?  ――夜明け前、紫色に染まった空の下で、答えのない問いを繰り返す。  人よりも太い赤い柱の立つ、巨大な仁天門の露台の上。  俺は旅立つ前に着せられていた青い宦官服を着て、インジェンの足元に控えていた。  目の前に広がるのは、カラフとインジェンに初めて出会った、仁天門大広場だ。  あの時はまさか、この門の上に自分が登ることになるなんて思いもしなかった。  大広場はあの時と同じ、溢れんばかりの人々で埋め尽くされている。  昨日、一晩中眠ることを許されなかった群衆は、夜明け前だというのに、全てを終わらせる残酷な死刑を苛立ちながら待ち侘びていた。 「リュウ。お前は私のそばから、離れるな。何をしでかすか分からないからな」  俺の隣には、血の気の失われた顔に美しい化粧を施して髪を結い上げ、華麗な浅葱色の旗袍を纏ったインジェンがいる。  尽き掛けている彼の命の炎は、鬼気迫るような美しさとなって青白い輝きを放っていた。  俺も彼も、一睡もしていない。  楼門の部屋の中に、ふた列に分かれて控えている大臣たちも、その背後の宦官たちも……一晩中屋敷や寝ぐらに帰ることができず、みんなひどく疲れ切った顔をしている。  俺は姿勢を低く平伏したまま、複雑に装飾の組まれた手すりの隙間から下を覗いた。  かつてペルーサの王子がそうしたように、朝靄の中で、カラフが、櫓へ続く階段を上り始めている。  ダッタンの王族の簡素で美しい胡服を纏った彼の足取りは、堂々として迷いがない。  彼もまた、進んでトゥーランドットの為に、自分の血と首を捧げようとしていた。  カラフが上半身裸の柳葉刀を持った首切り役人と共に櫓の上に立ち、広場中に響く声で、朗々と訴え始める。 「――私は、初めから夜明け前に、公主に我が名前と命を贈ろうと思っていた。彼女の甘い唇が我が名を呼んだという事実だけで、私は満足だ。彼女の為に、私はここに血を流す。――さあ、首を切るがいい。私は肉体を失った魂となった後も、トゥーランドットの類稀なる美しさを讃えるだろう。とこしえに!」  狂気の儀式が始まる。  俺はもはや全てに失敗した、その確信だけが心を破り裂いていく。  処刑の合図を出そうとインジェンが、旗袍の袖に包まれた腕をゆっくりとあげ始めた。  ――だが、その時俺は、目を覚ましたように素早く立ち上がって動き、不安定な手すりの前に立った。 「――リュウ!?」  インジェンの叫びを無視して、風が一度でも吹けば落ちるような、グラグラする手すりの上に足の裏を置き、その上によじ登る。 「!? リュウ!? 何をしている!?」  広場を見下ろしながら、手を離してすっくと立つのと、インジェンが駆け寄ってくるのとが同時だったが、俺は鋭い声でそれを制止した。 「……少しでも近付いたら、すぐに飛び降りる!」  その言葉で、インジェンの足が、赤く塗られた露台の床に縫いとめられる。  俺は振り返らず、淡々と訴えた。 「……インジェン、カラフを殺したらだめだ。彼は、この物語の結末を変えられるかもしれない、唯一の望みだ」 「何を言っている!? 早くそこから降りるんだ、リュウ!!」 「インジェンは、俺がいるから、人の首を切ってでも生きたくなるんだと言っていただろ。……俺が理由だと言うなら、まず俺が死ぬ。だから、処刑をやめてくれ」 「意味がわからない!! 早くそこを降りろ!!」 「俺は本当は、夜明けまでに死ななければならなかった筈なんだ。頼む、カラフを殺さないって、誓ってくれ!」  インジェンの声が、涙にうるみ、鼻声になった。 「お前は……そんなにも、あの男を愛しているのか……っ。あの男のために、自分の命をも投げ出すほど……」  俺は前を向いたまま、首を振った。 「ちがう!! 俺が好きなのは……!! インジェンだ!! インジェンだけだ!! インジェンを愛している……!」  群衆の騒めきにも負けないほどに、俺は声を張り、空に向かって高々と叫んだ。  そして、泣きながら彼の方を振り向いた。 「呪いは必ず解ける。カラフを切らなくてもまだ時間はある……! 呪いを解く太祖の贈り物を、最後まで諦めずに探すんだ。きっと、見つかる。……インジェン……一度でも俺を好きになってくれて、本当に有難う。誰よりも愛してる」  もう一度前を向き直し、何もない場所へ、一歩足を踏み出す。  目を閉じて、真っ逆さまに石畳にむかって落ちてゆく――。  ……はずが、気付けば、インジェンにお腹の辺りをしっかりと掴まれて、露台の方へ引っ張り込まれていた。  赤い床の上で呆然とするオレの視界に、涙でぐしゃぐしゃになったインジェンの顔が映る。 「ああもう、私はまだ手が死ぬほど痛いんだぞ!? お前は、一体、何度命を捨てようとするんだっ!?」  ――俺を救ったのは、またしても、怒り狂って吠えるインジェンだった。  こう何度も阻止されると、全く格好がつかないったら無い。  情けなさに泣き笑いしながら弁解した。 「だって! 俺が知ってる未来じゃ、俺が死なないと、インジェンが幸せになれないんだよぉ……!」  泣き喚いて縋り付いて、インジェンの胸を叩く。  それでも、ギュッと抱きしめられる腕は強いままだ。 「未来など、もうどうでもいい。――今気付いた。私は、お前の気持ち……ただそれだけが、ずっと聞きたかったのだ……」  華やかに微笑み、でも真珠のような清らかな涙をこぼしながら、彼は俺の耳元に囁いた。 「私が私として生きていくのに、必要なものを、お前は与えてくれる。お前が奴隷でも、妖魔でも嘘つきでも、……もう、何でもいいのだ……お前が、ただ、私を愛してくれて、そばにいてさえくれれば……」  俺はただ涙を流しながら、頷いた。  憑き物が取れたみたいに、慈愛に満ちた表情をしたインジェンが目蓋を伏せ、真珠のような涙が溢れる。 「リュウ。私はもう満足した。お前の言う通り、誰も殺さずに最後まで呪いを解くことをあがく。……それで許された時間が尽きたのなら、――私は、お前の腕の中で……安らかに死ぬことにする……」  その瞳は澄んでいて、一緒に旅した時のインジェンと同じだった。  ロウ・リン公主の強い呪いの力を、彼は自ら跳ね返したのだ。  嬉しくて嬉しくて、大臣も宦官も見ていると言うのに、我慢できなくてインジェンの首に抱き付いた。 「……ああ、ありがとう……! インジェン。ごめんな……! もしもインジェンが死んじゃったらっ、俺も、すぐに、一緒に逝くよ。一緒に死ぬから……っ」 「何を言う。安心して死ねないから、そんなことは止めろ!」  またいつもみたいに怒り出したインジェンが堪らなく可愛くて、その滑らかな頬を両手で包み、彼の唇に、俺はそっと口付けした。  その瞬間――触れた部分に稲妻のような眩しい光がほとばしり、俺とインジェンとの間で、何かが弾けた。 「わっ……!?」  美しい衣装が、激しい風に翻り、彼の身体を包んだ――かと思うと、花びらのような美しい唇から黒いモヤモヤとしたものが出てきて、露台の上に人の形を作る。  慄きながら見ていると、まるで白黒写真みたいに色のない、ひとりの姫の姿がそこにはっきりとし始めて、鬼のような形相で俺を睨んだ。 「奴隷風情が、妾の邪魔ばかりするとは。……妾が欲しいのは、王子の首じゃ……! 愛など、要らぬ――血を、もっと首をよこせ……!!」  インジェンに憑いていた、ロウ・リン公主だ……!!  確信して、俺は彼女にとびかかった。  ところが、彼女の体はまるで霞のように実体がなく、掴むことも触ることもできない。  ロウ・リンは黒い煙のような邪気を撒き散らしながら、露台の群衆からよく見える場所に立った。  わあっと人々が声を上げる。 「トゥーランドット公主!」 「トゥーランドット万歳!」  遠目からは、幽霊の姿がトゥーランドットに見えているらしい。  ロウ・リンの霊が徐々に右手を挙げてゆく。  ――まずい、彼女は斬首の合図をするつもりだ!  だけど、触れないのに、どうやって止めればいいんだよ!?  インジェンは何でか、床で気絶しちゃってるし!
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