昇天

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昇天

 絶体絶命、もうにっちもさっちもいかないと絶望したその時だった。  俺の背後――仁天門の露台に通じる部屋の奥、幽霊登場にひたすら恐れ慄いていた大臣と宦官達の間から――急に、三つの甲高い声が上がった。 「処刑はお待ちください!」 「どうか!」 「こちらをご覧ください!」  その声は、まさかの――。  愕然としながら後ろを振り返る。 「妾に軽々しく話しかけるとは、誰じゃ、お前たちは!」  処刑を邪魔されたロウ・リン公主が、ヒステリックな声で問いかけた。  幽霊の声に一瞬戸惑うも、誰だと聞かれれば答えてしまう反射神経になっている三人の宦官が、拱手の決めポーズで名乗りを上げる。 「――我ら、無実の王子を守る最後の砦! アホな挑戦者が自ら首を切られようとする時、誰よりも速く駆けつける―― 王宮一の高速後ろ歩きを誇る我こそは、その名も高き、疾風のピン!」 「我こそは、王宮に蔓延るあらゆる噂話を収集し、用意周到に式典を準備する、でも処刑の準備はしたくない、地獄耳のポン!」 「我こそは、物陰に隠れること鼠の如し、王宮の隠し通路にも精通し、仲間が助けを呼べばいつでもどこでも現れる! 神出鬼没のパン!」 「「「リュウも入れて、我ら、王宮四天王!」」」    まさかもう一度聞けるとは思わなかった安い名乗りに、涙が止まらなくなる。 「ピンポンパン!!」  いつものように三人セットで名前を呼ぶと、老人三人は人々の間をすり抜け、急いで駆けてきた。 「我ら、老将軍様に一足先に釈放され、重要な任務をおおせつかったのじゃ!」 「今晩は、いずれの大臣も屋敷をあけていたので、わしらはその隙に、大臣たちの屋敷の家宅捜索し放題じゃったわい!」 「そしてリュウ! 見つかったぞ!! ほれ、ロウ・リン公主様の棺に入れられていた、白い馬じゃ――!!」  ピンが俺に向かって、金や朱で模様を塗られた、可愛い白い陶器の馬を差し出す。  ところがその足が、部屋と露台の間にあった敷居にひっかかり、ピンは派手にすっ転んだ。 「「「「あっ!!!」」」」  俺も含む四天王全員の叫びが合唱する。  白い馬がピンの両手を離れ、宙を飛んでゆく。  俺は咄嗟に置物の飛んでいった露台の床へとスライディングし、両手でナイスキャーーーッチ! アウトーッ、と思いきや、あまりにも年代物の陶器だったせいなのか、キャッチした時の衝撃で馬はパキッとお腹の所で割れ、真っ二つに割れてしまった。 「あ〜〜っ!?」  お、俺、婚姻の品を壊しちまった〜っ!?  今度こそ終わりかと思ったその時、割れた馬の置物から白い煙が立ち、そこから、半透明な一頭の白い馬と、それに乗った凛々しい若武者が、勢いよく飛び出した。 「……!」  呆然とする俺たち四天王とロウ・リン姫の前で、白馬が露台の外の宙空を嬉しそうに駆け回り、古めかしい鎧姿の馬上の青年が大きく手を振る。 『ロウ・リン公主様……!! ずっと探しておりました。――こんな所に、いらしたのですね。遅くなって本当に申し訳ございません。やっとお迎えに参る事ができました!』  姫君に向かって呼びかける彼の顔は、どこかインジェンに似ていて輝くように美しいが、もっと体格が良く、野生的で男らしい。  彼は露台の前の見えない地面に真っ白な馬をとめ、ロウ・リンに向かって優雅に手を差し出した。 『公主様……どうか私の手を、お取りください。もう貴方様はこれ以上、この現世で苦しまずとも良いのです。わたくしと共に、参りましょう』  手を伸ばされたロウ・リンは、涙を流し、激しく首を振った。 『今更、何を言うのです! 妾の身体は汚れ、この手は血にまみれました。もはや、何もかも遅過ぎます……!』 『そんなことはございません。あなた様は、あの頃と変わらず美しいままです。あなた様に罪があると言うなら、伴侶の私も、共に背負いましょう。……さあ、ロウ・リン様』  しばらく躊躇っていたものの、ロウ・リンはおずおずと彼に向かって手を伸ばした。 『ああ……グンド様……。貴方の心を疑った、私を……お許しください……』  その手が重なった瞬間に、眩い光があたりに満ち始める。  ――それは、東の果てから昇り始めた、太陽の眩しい朝日だった。  二人の姿は陽光の中で赤く染まり、まるでトゥーランの婚姻の衣装のようだ。  ロウ・リンは白い馬に横乗りになり、グンドは、そんな彼女を大切そうに掻き抱いて、朝日に向かって馬を駆り、眩い光の塊の中へ真っ直ぐに進んでゆく。  広場に集まった群衆の目の前で、二人の姿が完全に光に溶けた頃――インジェンがやっと、目を覚ました。 「うん……? なんだ、もう朝がきたのか……?」  起き上がった彼の姿に、俺はびっくりした。  変わらずに美しい顔をしているのだけれど、身体ががっしりと一回り大きくなっていて、しかも、口の周りに薄っすら、青髭が生えていたのだ。  多分、彼の体の中からロウ・リン姫が出ていって、呪いが解けたから……王子を狂わせる、氷の美姫である必要がなくなったから。  彼は本来そうなるはずであった、健康な皇子の姿に戻ったのだ。  俺は駆け寄って行って、彼の身体を思い切り抱き締めた。 「お早う、インジェン! そうだよ、朝が来たんだ。呪いは、インジェンが寝ている間に、ピンポンパン達が解いてしまった!」 「えっ。いつの間に、何が起こったんだ……」  首を傾げながら自分の顎を触って、彼はびっくり仰天した。 「なっ。なんだ、顔がザラザラするぞ!?」 「ははは。後で俺が、髭をあたってやるよ」  笑いながら彼の手を握って助け起こすと、また新たに、露台に二人の男がやってきた。  一人は白い髭を生やし、立派な鎧を着た老将軍、チャンリンだ。  その手には長い縄の先が握られていて、その縄の行く末には、なんと、縛られた軍機大臣、ワンズーがいた。 「この者が屋敷に馬の置物を持っておったのです。それに、書庫にあったはずのロウ・リン姫の死に際の呪いに関する記録も」  この大臣が、裏切り者だったのか――。 「チャンリン将軍……。礼を言う」  インジェンが言うと、将軍は縄を部下に渡し、皇子の前に跪いて話し始めた。 「貴方様を襲った刺客は、こやつの食客でありました。こやつは、皇帝と監察御史(役人の不正を取り締まる官僚)の目を欺き、長年皇帝の名で不審な任命を乱発していたのです。不正に役人となったものから賂を取った上で自らの子飼いとして私腹を肥やし、果ては、七王家の王子を差し置き、自らが後継の皇帝となることを狙って、緑営の要人と書簡のやり取りをしていた記録も」  インジェンは項垂れているワンズーに近づいた。 「……皇帝なき後の後継者となりうる七王家の王子達をロウ・リン姫の呪いにより殺させ、私を姫として幽閉し続け、父上なきあとは、自らの王朝を立てんとしていた――そういうことか」 「ちっ、違います!! 誤解です、トゥーランドット公主様……!! どうか話をお聞きください!!」 「後の申し開きは、監察御史に聞かせるがいい。――それから、私はもう、トゥーランドットではない」  インジェンは俺の方を振り返り、微笑んだ。 「……リュウ。私は怪我もしているし、すっかり疲れてしまった。今後のことは後で考えよう。少し眠りたいから、城に帰るぞ」  その顔は美しいけれど、凛々しい皇子のものだ。  中性的で美人なインジェンも最高だったけど、女装があんまり似合わなくなったインジェンにも、なんだかときめくぜ……!  胸の動悸を笑顔で誤魔化しつつ、手すりに掴まって広場を見ると、櫓の上で、すっかり正気に戻ったカラフが腕を組み、首を傾げていた。 「……あっ。それもいいけど、取り敢えず、カラフを助けてあげてくれ!」  俺が頼むと、 「……すっかり忘れていた!」  インジェンが手すりに身を乗り出して、クックッと肩を揺らして笑う。  ――それは多分、この国の民達が初めて目の当たりにした、氷の姫君の笑顔だった。
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