春節

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春節

 ――春節、一年の始まり。  冬のイベントで、この国一番の祭だ。  俺の住んでいる村も、赤いぼんぼりがあちこちで飾られ、祭りの陽気に包まれている。  新年になったばかりの時は、昼夜問わず魔除けと迎神の爆竹があちこちで焚かれ、音と閃光が凄まじかった。  俺の家には年が明けて早々、爺さんが輿に乗って城から遊びにやってきて、その対応にも大わらわだ。  俺が爺さんの世話をしている間、インジェンはと言うと、ずっと寝室で寝たきりだった。  というのも――ひと月前くらいから、彼は大忙しだったのだ。  春聯(しゅんれん)ていう、正月に家の扉に貼る、おめでたーい札を書いてもらおうと、近隣の村や都からも評判を聞きつけた人たちの長蛇の列が出来てしまって。  どうも、インジェンは前の皇帝の隠し子なんじゃないかという噂がこの辺りで出ちゃってるらしく(何しろ、お姫様と顔がそっくりだからな!)、そんな縁起の良さ(?)も相まって、依頼人が殺到してしまったらしい。  一日中筆で書きっぱなしで、好きな本も読めないわ腱鞘炎っぽくなるわ、本当に大変そうだった。  でも、みんなの為に筆を取り、端正な字で春聯を量産するインジェンは微笑ましいし、カッコよくて。  皇帝になった彼も見てみたかったけど、あんな風に人々の笑顔に囲まれている彼が、やっぱり、幸せそうだなと思う。  なので――インジェンは寝正月。  俺は、トゥーランのおせち料理的なもの――魚に餃子、春巻き、お餅なんかをせっせと彼の寝室に運びつつ、食べたり食べなかったりは基本的には放置して、爺さんを始め、次々やってくる新年の来客に対応していた。  正直、目が回るほど忙しいし、むしろインジェンは大人しく寝ていてくれていた方が助かるぐらいだ。  ようやく爺さんを城に送り返し、来客も途切れ、客間の片付けをしていた夜半のこと。  すっかり日が暮れてるのに、俺の家の門を、ドンドンと乱暴に叩く人がいた。 「はい、はい!」  返事をして、凍えるような寒さの中庭を小走りし、門を開けに行く。  こんな夜更けに、いったい誰だろう。  インジェンの生徒の親が、年始の挨拶に来た?  それとも、まさか泥棒?  春節は泥棒すら里帰りするってのに。  ゾワッとしながら、そうっと隙間から様子を伺う。  そこには、男が1人立っていた。  ……猟師が着るような無骨な毛皮の外套を羽織った、明らかに鍛え方の違う身体。  被った傘の下から肩まで垂れている、赤茶けた髪と、引き結んだ厚く男らしい唇。  心当たりに結びつき、バンと扉を開けると、その人は傘を脱いで、星のような瞳と男らしい太い眉をあらわにした。 「リュウ! 新年おめでとう!」  両腕を広げたカラフにガバーッと突然抱き締められる。  その身体から、結構な酒の匂いがした。  どうやら、相当に出来上がっているらしい。 「カラフ様……いえ、陛下!! どうなされたのですかっ、こんな夜中に!? お供の方は!?」 「……城の新年の宴の後、パンに以前教えてもらった抜け道を使い、こっそり城を抜け出してきたのだ。御輿で担がれての大行列での訪問では、お前とゆっくり話をすることもできぬからな」  カラフは悪戯っ子のような笑顔を浮かべて俺の身体を離すと、縄で縛って肩に背負っていた、人の頭よりもでかい巨大な酒甕を持ち上げた。 「一緒に新年を祝おう。良い酒を持ってきたぞ」 「あ、有難うございます……さ、寒いですから、どうぞ、客間へ……!」  実は俺、相変わらずそんなに飲まない方なんだけどなぁ……。  前に飲んだ時の大喧嘩トラウマ事件もあるし。  しかも、カラフ、すでに酔っ払ってるじゃないか。  一体、城でどれだけ呑んできたんだ。  と、思ったけれど、新年だし、相手は皇帝だし、この寒空だ。  無碍(むげ)に追い返すなんてことは出来ない。  俺はカラフを赤い装飾で華やかに飾り付けした客間に案内した。  中央の円卓に急いで酒盃やら作り置きの料理やらを用意していると、カラフが首を横に振る。 「夜が明ける頃には帰るつもりだから、もてなしはいらん。そんなことよりも……インジェン殿の姿が見えないが? 一緒に暮らしているのだろう?」 「あー……今はちょっと……新年のあれこれで疲れてしまわれて、自室でお休みされているのです」  カラフは破顔して、テーブルの殆どを占拠している酒甕の蓋を開け始めた。 「そうか。相変わらず、インジェン殿はあまり体力がないのだな」 「――何を言うか。単に、お前たち二人が化け物なだけだろうが!」  不機嫌な反論が背後から聞こえてきて、俺はヒイと肩をすくめた。  何かと思ったら、観音開きの客間の扉がいつの間にか開いていて、その間に、薄紫の高貴な長袍を纏ったインジェンが立っている。  ずっと寝ていたせいか、結っていない長い髪が貞子みたいにでろーんと前に垂れていて、顔の青白さもあり、一見すると恐ろしい妖怪のようだ。 「いっ、インジェン、起きてたのか!?」  アワアワしながら俺が駆け寄ると、早速寝起きの不機嫌が爆発する。 「リュウ、この家に勝手に男を入れるとは。何を考えている!?」 「何を考えてるも何も、昨日まで爺さんとか、村の人達とか、散々入れ替わり立ち替わり、挨拶に来てただろ!? インジェンも、別に気にしてなかったじゃあないか」 「この間男(まおとこ)は別だ!」 「ちょっと、陛下を捕まえて間男なんて失礼だろ。大体、一応、インジェンの夫は陛下じゃないか。間男はむしろ俺だよ!」 「屁理屈を言うな! しかもまたこの男は、酒なぞ持ち込んで。あわよくばお前のことをてごめにするつもりに決まっている!」  待って、てごめって。  俺は可憐な村娘か何かか!?  いくらドMの俺でも、そんなことがあったら金玉の一つや二つ蹴って逃げるっつうの。  困惑している俺の後ろで、カラフがインジェンを宥め始めた。 「まあまあ。インジェン殿。私のことがそんなに心配であれば、貴殿も一緒に呑めばいい話ではないか。何、私も政務が忙しい身だ。祝いに一杯やれば満足して、すぐに帰らせてもらう」 「……。その言葉、本当だろうな!?」  インジェンは酷く不機嫌なまま長い前髪を耳にかけ、優雅な所作で歩いて円卓についた。 「リュウ、お前も座れ」  カラフがニコニコしながら俺を手招く。 「いえ。わたくしはしがない間男でございますので……ぜひ夫婦水入らずでどうぞ」 「私にこの無粋な男の相手をさせるつもりか!?」  インジェンが腕を組んで俺を睨み付ける。  やっぱり俺もこの、虎と狼の飲み会に出席しなきゃダメか〜〜。いや、むしろ犬と猿かもしれない。 「そ、それでは、失礼させていただきます……」  ちょうど三人で正三角形の配置になる場所に椅子を引いて座った。  カラフが早速とばかり皆の杯に酒を注ぎ出す。 「……いやあ、嬉しいぞ。インジェン殿とも一度、酒を呑んでみたかったのだ。もちろん、いける口なのだろう?」 「当然だ」  インジェンが憤慨する。 「では、新年を祝って。乾杯!」  杯に口を付けると、かなり濃い酒で、むせそうになった。  ちらっとインジェンを見ると、涼しい顔でつるっと飲み下している。  俺は、おやぁと首を傾げた。  前、インジェンに酒を飲ませようとした時、断られた気がするんだよな。  酒を飲んで酩酊したら、トゥーランドットの秘密を守りきれないから、飲んだことが無いし、これからも自らの出自の秘密を守る為に、飲む気はないと――。 「おお、男らしいではないか、インジェン殿。さあ、もっと注いで差し上げよう」  心配になり、俺はカラフをやんわりと制止した。 「陛下、インジェン様はお疲れです。あまり飲ませないでください」  ところが、いつもの高飛車な声が飛んでくる。 「リュウ、お前は余計な口を出すな。これしき、なんとも無い」  優雅に杯を傾けるインジェンの端麗な横顔は、ほんのり桜色に染まって、壮絶に色っぽい。  胸がザワザワするような色香とご主人様然とした態度にやられて、俺は押し黙った。 「ふ……飲んでみると案外美味いものだな」  目元を染めて不敵な微笑みを浮かべた彼に、カラフは大喜びだ。 「だろう!?」 「……ところで貴様は、政務の方はうまくやっているのか?」  酒を飲んで気を許したのか、珍しいことに、インジェンがカラフに話題を振る。  カラフは途端に難しい顔つきになった。 「課題だらけだ。役人の腐敗が一朝一夕には根絶できぬのはともかく、思ったよりもロサの侵攻が進んでいる。出兵を早めねばならぬが、正確な情報がなかなか上がって来ない上に、思うように緑営が動かぬ」  ふむ……と相槌を打ってから長いまつ毛を伏せ、インジェンは答えた。 「……チャンリン老将軍に教えを乞うといい。彼は今は屋敷に引き篭もっているが、歴戦の勇士で、七王家の要請で何度も国境での戦を経験している。また、前線の将兵との個人的な繋がりも深いので、正確な情報を持っているはずだ」 「おお、なるほど。流石はインジェン殿だ、ご助言、感謝するぞ」 「――ただし、簡単では無いぞ。あの者は未だに、私が皇帝の座につかなかったことを酷く怒っているからな。しかも、金にも名誉にも興味がない」 「ふむふむ、ひたすら礼を尽くすほかはないと言うことだな。よし、一度屋敷を訪ね、直に助けを請うてみよう。……ところで、軍機処の件なのだが、一つ相談したいことがあってな」 「なんだ。高くつくぞ」 「実はな……」  俺はあっけに取られて、杯を持ったままぼんやり二人を見つめてしまった。  え……ずうっと喋ってるぞ……?  何だ、やっぱりこの二人、仲がいいじゃあないか……。これはいよいよ、間男は俺かな? っていう気がしてきた。  喧嘩を止めるという俺の役割もなくなってしまったので、蚊帳の外の人間がやることといえば、ひたすら目の前の仲良し仮面夫婦のために酒を注ぎ足し、肴を準備し、そのついでに自分も飲む、という具合だ。 「……ところで、あの宦官というのは、どうにも制度としてよくない。ダッタン王家にはあのような者達は居なかったが、全く問題はなかったぞ。私は後宮を可能な限り縮小するつもりだし、いっそ廃止するわけにはいかんのか」 「……そうは言っても、今の彼らは宮中の始末を非常によく分かっている貴重な働き手だ。いずれは廃止するにしても、彼らの生活の保障はしてやらねばならぬ。宦官の間で将来の不安が高まれば、城の中で盗難や、盗難目的の火つけが多発することになるぞ。それに、今現在も、郷里で勝手に自宮(自らの男性器を切除すること)した挙句、同郷のものを頼って城にやってくる者が山ほどいる。そのような者が都に溢れかえる根本的な原因は、農村の貧窮だ」  インジェンの指摘に俺が感心していると、カラフが唸った。 「ううむ、根の深い問題だな。では段階的に廃止しつつ、地方の貧窮対策も同時にやるべきと言うことか」 「そういうことだが、言うは易し、行うは難し。……だがカラフ、お前のような我慢強く諦めない男が皇帝であれば、安心だ。さあ、もっと呑め。このような杯に一々注いでいるのはまどろっこしいだろう。甕(かめ)に口に付けて一気に飲め!」  カラフを素直に褒めたばかりか、酒を勧め始めたインジェンに、開いた口が塞がらない。  カラフもすっかり酔っ払っていて、陽気に席を立ち上がった。 「我が麗しの妻、トゥーランドット公主様に勧められたとあらば、断る理由はない。仰せのままにいたしましょう!」 「はっはっは。一滴でもこぼしたら、お前の首を切って酒に浸けてやろう」  ……全く洒落に聞こえない。  立ったまま、酒甕に顔をつっこむようにして酒をガブガブ飲み出したカラフを見て、インジェンが腹を抱えて笑い出す。  異常なまでの上機嫌だ。  ――そして、本当に甕の中に頭を突っ込んで溺れるみたいにして酒を飲んでいたカラフは、空になった甕を頭に被ったまま、床に倒れてぐうぐう眠りこんでしまった。  すでにだいぶ飲んでいたところを、インジェンがトドメを刺したと言うところだ。 「何だ、口ほどにもない奴め。リュウ、見よ。こやつとの勝負に私は勝ったぞ!」  子供みたいに勝利を主張されて、俺は苦笑いで頷きつつ、席を立った。  全く、なんて夜だ。こんな床の上に皇帝陛下を放置しておく訳にはいかないよ……。  客間の奥にある寝台へ運ぼうとして、カラフの身体を起こそうとした。  ぐったりしている上に重すぎ、しかも、腕を回そうとすると、ムニャムニャと訳の分からない寝言を言いながらゴロゴロ転がって床の上を逃げていく。  どうやら、不遇な時代についた防衛本能らしい。 「ちょっと、カラフをこんなにしたのはインジェンだろぉ。手伝ってくれよな」  インジェンに助けを求めると、彼は無言で椅子を立ち上がった。 「……」 「じゃあさ、俺が足の方持つから。インジェンは頭を持ってくれない?」  頼んだのに、インジェンがトコトコとやってきたのは俺の背後だ。 「ちょっと。俺の後ろにきてどうす……うぐっ」  いきなり後ろから抱きすくめられて、顎を指で思い切り上げられさせられた。 「な、何」  問う暇もなく、首が斜め後ろにのけぞった状態で肩越しにインジェンが顔を近付けてきて、柔らかな口付けが唇に重なる。 「っン……う……ん」  酒の味のするキスなんて、初めてだ。  その不思議な新鮮さと、ここ一ヶ月、疲れているインジェンにエッチなご褒美を言い出せなかった欲求不満が相俟って、あっという間に俺の欲情に火がついた。 「ンン……っ! ンジェ……ここじゃ、ダメだってば……っんむ」  顔を背けてやんわり拒んでるのに、指で顎を押さえられ、熱い舌をえづくほど深く差し込まれて……。  ご主人様に支配される快感を思い出し、涙目になりながら求めてしまう。  身体中が彼の全てに反応して、開いていく……。 「あ……ぁ……っお願い……です……今は」  俺の胸に回ったインジェンの手が服の隙間から入ってきて、火照った鎖骨を、尖った乳首を、汗ばんだ腹を……無遠慮に撫で回す。 「あっ、やあァ……っ、だめ、触らないで下さ……」  反対側の手が、股間をズボンの布越しに、前からぐっと掴んできて――優しく揉みしだかれながら、お尻に硬いのを押し付けられた。 「インジェン、……欲しくなっちゃうから……ダメだ、勘弁して……っ」  奴隷モードになってしまうのを頑張って解いて、小声で訴えているのに……インジェンは熱っぽい呼吸を耳元で繰り返しながら、俺の身体を撫で回すのをやめてくれない。 「何を言う……この所ずっと、私のことを物欲しそうな目で見ていたではないか」 「ば、バレてたのか……っ? なら、なんで……」  物欲しそうだなぁと思ったら、お情けをくれても良さそうなもんだ。  飼い犬が飢えてよだれを垂らして待ってるのに放っておくなんて……。 「……すまない。私のことを思って我慢しているお前が、堪らなく可愛かった」  蕩けるような甘い声で吹き込まれて、ひゃあ! とか悲鳴をあげそうになり、咄嗟に両手で口を押さえた。  待って、待って。今、「すまない」って言ったよな。  インジェンが謝ったのなんか、もしかしたら初めてじゃないか!?  頭脳が明晰なままだから気付いてなかったが、これは、だいぶ……相当、深刻に酔ってるぞ。  動揺しているその間も、インジェンの行動はエスカレートしていく。  俺の身体に触れていた手にぐっと力が入ったかと思ったら、いきなり持ち上げられ――。 「あわわわ!?」  気付いたらお姫様抱っこされた挙句、至近距離から真剣な瞳でじっと見つめられていた。 「……愛している。私のリュウ……」
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