5 ミーナに話したいこと

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5 ミーナに話したいこと

「それでは、あなたのパーソナル情報の照合に、ご協力をお願いします」 「はい」 「帰還したあなたの名前を、フルネームで教えてください」 「神白(かじろ)美奈子です」 「あなたの生年月日と、現在の年齢を教えてください」 「九月十三日。二十八歳」 「最後に、あなたが帰る場所を教えてください……いえ、愚問ですね」  時間管理事務局の若い男性職員は、質問を取り下げてはにかんだ。 「現在のあなたと六年前のあなたが、万が一にも入れ替わっていたら大変なので、規則で確認させていただきましたが、鳥居さん……いえ、神白(かじろ)さんに関しては、その心配はありませんから」 「そりゃそうよ。六年前の肌に戻れるなら、私だって戻りたいわ」  美奈子が冗談めかして答えると、純朴(じゅんぼく)な局員は「ええと、そういう意味じゃ……体調は問題ありませんか?」と口ごもりながら気遣ってくれた。若者を困らせてしまった美奈子は、反省しながら「大丈夫よ。ありがとう、久坂(くさか)さん」と礼を言った。〝過去〟へ出発した際にも思ったが、清らかな心を持つ彼には、このままの彼でいてほしいと思う。  久坂がカードキーで〝ゲート〟を開くと、プラネタリウムのような暗がりに明るい光が差し込んだ。白を基調とした研究施設の廊下には、初老の局員が待ち受けていた。 「神白さん、お疲れ様でした」 「お世話になりました」  美奈子は、頭を下げた。タイムマシンが時間管理事務局に帰還してから三日間、美奈子はさまざまな検査を受けていた。タイムトラベル前と体調に変化がないか、美奈子の行動が時間管理事務局の想定通りに〝未来〟へ悪影響を及ぼしていないか、マシンが計測したデータを用いて裏付けを取る目的もあったようだ。 「時間管理事務局の検査は以上です。貴重なデータの提供に感謝いたします」  初老の局員は、出会った頃と同じ慇懃な笑みで美奈子に言った。  今回の福引は、やはりタイムトラベラーを使ったデータ収集も兼ねていたらしい。民間人が気軽に時間旅行を楽しむには、やはりまだまだ時間がかかりそうだ。モルモット扱いを隠しもしない態度には思うところが多々あるが、美奈子は何も言わなかった。福引を当てて、時を駆けて、六年前の自分と幸せを分かち合えたことは、美奈子の人生から切り離せない運命であり、必然だ。感謝の気持ちを真摯に捧げて、秘密に覆われた時間管理事務局を去るだけだ。  外に出ると、秋風がふわりと茶髪を靡かせた。建物の窓ガラスに薄く映った美奈子は、ピンクのノーカラーコートに灰色のニットワンピース姿だ。三日前までに大急ぎで用意した変装セットは、今はスーツケースに押し込んでいる。ミーナと焼肉を食べた駅前は高層ビルがずいぶん増えたが、図書館に続く銀杏(いちょう)並木は変わらない。改築された図書館の入り口を自動ドア越しに眺めた美奈子は、目を細めた。  受付カウンターに座った若手の女性スタッフは、笑顔で利用者に接している。人員が刷新された図書館の雰囲気は穏やかで、かつての美奈子が憧れた居場所そのものだ。和気藹々(わきあいあい)とした空間作りに加われなかったことを惜しむ気持ちは、六年の歳月が溶かしてくれた。それに、ここではない別の場所で、美奈子は理想を現実のものにできている。  弾む足取りで家路を辿り、ステンドグラス風の窓ガラスを嵌めた喫茶店『みやび』の扉を押し開けると、カランと涼やかにベルが鳴り、帰ってきた美奈子を迎えてくれた。 「ただいま。一雅(かずまさ)さん」 「おかえり。美奈子」  カウンター席に座っていた男は、心底ほっとした顔で立ち上がった。六年前よりもがっしりした身体に、ゆったりとした白シャツと紺色のセーターが似合っている。 「身体は大丈夫? 連絡をくれたら、迎えに行ったのに」 「いいよお、徒歩五分の距離だもん。ありがとうね」 「でも、三日間も検査を受けて疲れただろう」  大好きなテノールの声は、初めて喫茶店でも図書館でもない場所で話しかけてくれた六年前より、落ち着きと深みが宿っている。毎日聞いていたら気づかない変化に、タイムトラベルを通して触れられたことも嬉しかった。 「大丈夫だよ、検査の一環で病院にも行かせてもらえた。順調だって」  美奈子は、膨らみが目立ち始めた腹部をひと撫でした。六年前の離職がきっかけで結ばれた一雅は、愁眉(しゅうび)を開いて囁いた。 「本当に、君が無事でよかった」 「私は無事に帰れるって信じてたよ。大切な夫と、この子のために」  美奈子は、穏やかに回想する。図書館から美奈子を連れ出してくれた未来人のヒーローが、まさか新しい命を授かっていたなんて、あの頃は思いもしなかった。 「お腹すいちゃったな。一雅さん、出かける準備はできてる? そろそろ由実ちゃんもこっちに来る頃だと思うから、昼食は約束通り焼肉ね。タイムマシンの話を(さかな)に、三人で焼肉を食べるのを楽しみにしてるみたい」 「おいおい、焼肉を食べてきたんじゃなかったっけ?」 「焼肉から摂取できる幸せは、いくら取り入れても過剰摂取にはならないからね。移転先で頑張ってる店主のおばあちゃんも喜ぶと思うよ。今日は『みやび』も休みだし、のんびり食べられるのも嬉しいな」 「時間旅行を居酒屋の二時間制みたいに使うのは、僕のお嫁さんくらいだと思うよ」 「似たようなことを、六年前の私も言ってたよ」  本当は、ミーナに話したいことがたくさんあった。一雅がいる『みやび』で働き始めたこと。友達はかなり減ったが、幼馴染の由実とは頻繁に会えるようになったこと。最初の職場では作れなかった温かさを、新しい居場所で作れたこと。福引でタイムマシン利用券を当てたこと。それから、もう一つ。 「ねえ、一雅さん」  美奈子は一雅に寄り添うと、六年前のミーナの質問に返事をした。 「私、幸せだよ」 <了>
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