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1 福引で当てたタイムマシン利用券
ついに、運命の日がやってきた。六角形の抽選器をガラガラと威勢よく回して、金色に塗装された玉が転がり落ちてきた瞬間から、美奈子はすでに悟っていた。
六年前の約束を、果たしに行く時が来たのだと。
「おめでとうございます! 一等です! タイムマシン利用券、一名様分を進呈します!」
係員がハンドベルを高らかに鳴らして、ショッピングモールの賑わいに拍手喝采が入り混じる。福引で一等を当てた一か月後、素行調査を始めとした事前審査をクリアした美奈子は、時間管理事務局のビルにいた。白を基調とした研究施設の廊下には、黒いスーツ姿の局員が待ち受けていた。
「それでは、あなたのパーソナル情報の照合に、ご協力をお願いします」
「はい」
「旅先にいるあなたの名前を、フルネームで教えてください」
「鳥居美奈子です」
「あなたの生年月日と、現在の年齢を教えてください」
「九月十三日。二十八歳」
「最後に、あなたの旅行先を教えてください」
「六年前の、この街です。現在の時間管理事務局がある駅前に、二時間だけ旅行します」
淀みなく答えると、初老の男性局員は、慇懃な笑みを返してきた。彼等は〝時の番人〟の異名を持ち、背後に聳える〝ゲート〟と呼ばれる扉の管理人だと聞いている。
「本人確認は以上です。ここから先は、当選者のみをお通しする規則ですので、お連れ様のお見送りは〝ゲート〟までとさせていただきます。最後のご挨拶はよろしいでしょうか?」
「ええ、結構です。三日後にはまた会えますから」
「かしこまりました。一階ラウンジでお待ちのお連れ様には、そのようにお伝えさせていただきます」
初老の局員がカードキーを壁に通すと、扉が開いた。〝ゲート〟の先は薄暗く、プラネタリウムに似た空間が拡がっている。謎の機材が雑居ビル群のように犇めく部屋の中央に、科学の英知の結晶が、鳥の巣に産み落とされた卵のように鎮座していた。
タイムマシンのフォルムは、上弦の月によく似ていて、大きさは小型トラックくらいだろうか。銀色の機体に刻印された文字は、『Noah's Ark』――旧約聖書の『創世記』に綴られた物語の一つであり、聖地を洗い流す大洪水に見舞われた主人公たちを乗せた箱舟の名前だ。聖書のノアの箱舟は三階建てだそうだが、このマシンは一階建てだ。大型船で乗りつけて旅行先を驚かせるわけにはいかないので、妥当な設計なのだろう。
じっくり眺めていると、機体の一部が剥がれてスロープとなり、美奈子の前まで下りてくる。ここがハッチのようだ。初老の局員に「どうぞ」と促された美奈子がスロープに足をかけると、若い男性局員が手を貸してくれた。
「滑りやすいので、お気をつけて」
「久坂、問題ない」
初老の局員が、機械的に口を挟んだ。美奈子が怪我をするわけがないと、事前に算出したデータで知っているからだ。〝時の番人〟たちは、時間管理事務局が精査した内容に絶対の自信を持っていて、これから美奈子が起こす行動は〝過去〟にも〝未来〟にも悪影響を及ぼさないと信じている。人間性が削げ落ちたシステムのような思考回路には思うところが多々あるが、安全性が約束されているからこそ、美奈子も旅に出られるのだ。そう思う一方で、美奈子を気遣ってくれた若い局員には、このままの彼でいてほしい。久坂と呼ばれた局員に「ありがとう」と囁いてからハッチを抜けると、暗いマシンの内部は、壁にモニターがあることを除けば、ビジネスホテルのシングルルームにそっくりだ。冷蔵庫やベッドもあり、快適な旅路になりそうだ。
「さて、いよいよ出発ですが……」
初老の局員は、マシンの外から美奈子を見上げると、慇懃な笑みを初めて引っ込めて、困惑顔で訊ねた。
「本当に、そのお召し物で行くのですね?」
「はい。審査も通っています。私の行動が歴史を改変しないことも、御社の調査で証明済みですよね?」
「ええ、まあ……」
初老の局員は歯切れ悪く答えたが、さすがはプロだ。困惑を表情から追い出すと、代わりに浮かべた優雅な笑みで、旅行者を送り出す定型文を口にする。
「それでは、よい旅を。グッドラック」
ハッチがゆっくりと閉じていき、密室の暗闇にグリーンのネオンが幾筋も走る。壁のモニターを数式の羅列がスクロールしたのちに、マシンの外の映像が表示された。手を振って美奈子を送り出す局員たちへ、美奈子もモニター越しに応じるべく、地球から月に向かう宇宙飛行士のようにサムズアップした。
しかし、これから美奈子が赴くのは月ではない。地球を脱出することもなく、同じ地球に着陸する。ただ、ほんの少しだけ、時間を越えさせてもらうだけだ。
二十八歳の美奈子は、福引で当てたタイムマシン利用券を使って、六年前の自分に会いにいく。
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