落園愛歌

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「セアラ、右だ!」  水の剣を振るいながらノーマが叫べば、セアラはすっと身を低めて、自分めがけて振るわれた魔物の爪を容易くかわし、ぺろりと舌で唇を湿して宣言する。 「炎、我が敵を燃やし尽くせ」  掲げた手から紫の火花が散り、その手を、右上から左下へすうっと下ろすにつられるかのように、炎が軌跡を描いて、俊敏な獣のごとく敵へと飛びかかる。普通の赤い炎より更に高熱の揺らめきは、確実に魔物を捉えて離さず、骨まで焼き払った。  その隣でカノンは無言で次々と光の矢を生み出し、魔物に向けて射ち放っている。セアラのように着火すれば確実に命を奪うわけではなく、ノーマのように深く敵の心臓を貫けるわけでもない、短い鏃は、しかし複数の魔物の動きをその場に留めるには充分だ。  四肢や胸に幾つも矢を食らって、呻きながらよろめく魔物に向けて、「ハッハー!」とヴァンが軽快に笑いを飛ばしながら、黒い槍を振り回して地面を蹴る。そのまま横回転に薙ぐ勢いで、矢傷を負った魔物達の胴を次々と払って、青い血をしぶかせた。 「何だい、軟弱なひよっこばっかり?」  槍を肩に担ぎ、魔物の一体を踏み台に、ヴァンはからからと笑いを響かせる。が、その背後にするりと忍び寄る気配があった。 「ヴァン、迂闊!」  セアラは声を張り上げて走り出していた。少年の完全な死角から近づいた魔物が、唾液の糸を引く口をにたりと笑みの形にして、鋭い爪を振り上げていたのである。  二者の間に割って入ったセアラは、咄嗟にヴァンを突き飛ばし、「炎!」と短く宣誓した。突き出した右手から紫炎が飛び出し魔物を包み込んで、激しく燃え上がる。  しかし今回は、炎が敵を焼き尽くすより、魔物が最後の抵抗を見せる方が速かった。火に包まれた爪は振り下ろされ、セアラの腕をかすめる。途端に、熱が走った。炎のせいだけではない。一文字に切り裂かれた傷口からさっと血が流れ出す。ヴァンが、ノーマが顔色を青くするのが視界に映る。  だが、それで終わりではなかった。燃え落ちた魔物の背後に、更にもう一体がゆらりとたたずんでいる。それでもセアラは動かない。いや、動けない。傷口がじくじくと熱くうずき、視界がぼんやりしてくる。少しでも気を抜けば全身から力が失われて、その場にくずおれてしまいそうだ。魔物の爪や牙には、毒が含まれている。それに中れば、たとえ守護者候補でも耐え切れない。  相手が動けない事を確信してだろうか。魔物はゆったりと歩み寄って来る。しかし、異形がセアラにそれ以上近づく事はかなわなかった。びたりと動きが止まり、くぐもった声をあげる。その胸からは、緑色の光が突き出していた。 「迂闊なのは君だ」  魔物の背後から、呆れきった声が聞こえる。ぼうっとし始めた意識の中、声の主を見やれば、セアラの炎とはまた違う火色の髪が風になびいている。びょうと空気を切る音が耳を叩いたかと思うと、無数の刃に全身を切り刻まれた魔物は、青い血をごぶりと吐きながら崩れ落ち、動かなくなった。  ノーマとヴァンが残る魔物を斬り捨てて、辺りに静寂が戻る。風の刃をおさめたアカギは、感情の読めないはしばみ色の瞳でセアラを見下ろしていたが、不意にこちらの傍らへ膝をつくと、セアラの細い腕を大きな手で掴み、赤く腫れ上がり始めた傷口に唇をつけた。  何を、とセアラが驚きの声をあげるより早く、強く血を吸われる痛みに、セアラは顔をしかめる。カノンとノーマが目をみはり、ヴァンが口笛を吹く。アカギは仲間のそんな反応もお構い無しに、口内の血を吐き捨てると、再びセアラの傷に口をつけて、何度も血を吸っては吐き出した。 「これで大分毒は出ただろう」  やがて彼はおもむろにセアラの腕から手を離し、腰を上げて背を向ける。 「後はニーアに手当てしてもらうんだ」 「……あ」「神殿に戻ろう」  ありがとう、というセアラの感謝を、アカギは最後まで受け取らなかった。ゆるく結った背中までの赤髪を揺らして、すたすたと歩き出す。 「セアラ、大丈夫かい?」  青の瞳に不安げな様相を呈して、ノーマがセアラの傍らに腰を下ろし、「つかまって」とこちらの腕を己の肩に回した。普段なら「大丈夫」と突っぱねるところだが、毒のせいか頭がくらくらする。今は素直に彼の厚意を受け取る事にして、頭一つ分高いノーマにもたれかかってゆっくりと立ち上がる。  それから、ふっと前に視線を馳せる。アカギは振り返りもせずあっという間に先へと進んでいる。その背中を見つめながら、毒以外の理由で身体が火照っているのを、セアラは感じる。彼の唇が触れた傷口が、やけにうずいていた。
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