落園愛歌

8/17

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
 守護者の任務が、楽園を守る為に魔物を倒すだけにとどまらないと知ったのは、『それ』がセアラの目に入ってきてからだった。  ある晩、蝋燭の炎だけが等間隔に揺れる神殿内の廊下を歩いていると、向こうから見慣れた赤髪がやってくるのが見えた。だが彼はよろよろと力無くふらつきながら歩き、白いローブが赤黒い何かで汚れている。はしばみ色の瞳には、とてつもない疲労がにじんでいた。 「アカギ?」  夜も更けて静まり返った廊下に響き通らないくらいの抑えた声量で呼びかけ、セアラは彼に駆け寄った。反射で両腕を伸ばすと、背の高い彼の身体は素直にそこに身を委ねてきたので、また拒絶されるかと思っていたセアラ自身が吃驚(びっくり)してしまう。長い髪が乱れて、もたれかかられたセアラの肩にするりと流れる。荒い呼吸が鼓膜に届き、全身が細かく震えているのがわかる。楽園は常春だ。寒さで震えているとは思えない。  これは一体何なのか。アカギの背に腕を回した状態で、セアラの頭は混乱に陥る。しばらく二人はその体勢のまま、ちろちろと蝋燭が燃えて縮んでゆく音以外は静寂に包まれた廊下に立ち尽くしていたのだが。 「……手当てを」  ようようセアラが紡ぎ出した言葉に、肩にかかった髪が揺れた。首を横に振ったのだと気づいたのは、「必要無い」と、アカギが、絞り出すように声を発したからだった。 「返り血だ。自分の傷は無い」  その声も、いつもの毅然とした態度が嘘のように、か細く、わななきを伴っている。返り血とはどういう事だ。水の魔物の血なら、海のように青いからすぐにわかる。だが今、アカギの服を染めているのは、赤だ。そう、まるで人間の血のような。 「……すまなかった。もう大丈夫だ」  耳朶を舐めそうな距離で囁かれ、のしかかっていた重みが引いてゆく。セアラの手を振りほどいてアカギが身を離し、脇を通り抜けて歩み去る。その足取りはもう、いつもの平静さを取り戻していた。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加