死花外伝-涙の理由-〜島谷美知子〜

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「来てくれたんだ。嬉しいよ…」 夕方の6時。 またも藤次に、家の用事があると嘘を吐き、自宅には何度も父に懇願して、門限を無くしてもらった美知子は、高鳴る胸を抱いて、浩市の車に乗る。 扉を閉めた瞬間、キツく抱きしめられ囁かれ、頬が紅潮していくのが分かる。 -ワシに嘘つかんといて- 脳内で、藤次が警鐘を鳴らす。 けど、もうこの気持ちに、嘘はつけない。 「私も…会えて嬉しい…」 そう言うと、2人は唇を重ね合い、舌を絡めて濃密に抱き合う。 「好きだ。今すぐ、君が欲しい…」 その言葉に美知子は瞳を潤ませ頷く。 「私も、好き。もう、なにもかも、忘れさせて…」 そうしてキツく抱いて抱かれた後、2人はホテルに向かい、美知子は藤次の事など欠片も思い出すことなく、ただひたすら、浩市を求め睦み合い、朝日がまだ出ぬ暗がりの中、こっそり帰宅して、ベッドに突っ伏す。 「私…浩市さんじゃなきゃ嫌。」 そう言って、枕元に大切に飾っていた、初デートで行った太宰府天満宮で、藤次に買ってもらった揃いのお守りを、ゴミ箱に捨てると、化粧を落として、僅かな睡眠を取った。   * それからと言うもの、美知子は藤次の事などお構いなしになり、何度も彼と両親に嘘を重ねては、浩市との逢瀬を繰り返し、若く逞しい彼の身体に抱かれて、女になって行った。 すると、それまでなんでどうしてと詰め寄ってきた藤次も、何やら神妙な面持ちをするようになり、いつしか2人の間には、深い亀裂ができていた。 * 「なあ、虐待受けた子が親になって子供に同じことする言う話、信じるか?」 「あ?なんだよ急に。美知子ちゃん妊娠したのか?」 別の夜、福岡市内の個室居酒屋。 奢るから飲もうと、司法修習生の時に同期だった男が素っ頓狂なことを言い出したので、山里隆(やまさとたけし)は怪訝な顔をして問い返す。 「いや…結婚するまでは子作りはせえへん言う約束しとるから、いっつも外出しかゴム付けとる。美知子も、そないな話してへん…」 「ならなんだよ。一丁前にマリッジブルーか?修習生時代散々浮名を流してきたやつが。」 意外にウブだなぁと笑う隆に、藤次は重い口を開く。 「ワシ、親父にモラハラ受けてたんや。お前みたいな出来損ない、生まれてこなければよかったて。ワシだけやない、お袋にもキツう当たってて…せやから、あんな鬼になって、美知子を泣かせてしまうんやないか言う思い、あんねん。」 「棗…」 「それに最近、美知子妙によそよそしんや。知らんまに縛り付けてなんか傷つけるようなこと、したんか思うと、なんか結婚、怖なってん。」 「まあ、なあ…男と女は全く違う生き物って言うし、それに案外美知子ちゃんもお前と同じで新生活に悩んでるのかも知れねーぞ?だから、あんま深く考えんなよ!」 「そやし…」 目の前のジョッキのビールに映る自分の顔を見つめながら、藤次は一つの決意をした。 * 「指輪?」 「せや。婚約指輪、まだやったやろ?せやから、買いに行こ?」 日曜日の冬の早朝。 藤次がいきなり訪ねてきたので瞬いていたら、やおら彼の口から出た言葉に、美知子は顔を曇らせる。 「どないした?嬉しないんか?」 「あ…その…」 婚約指輪。 藤次の口から出たその物は、既に浩市から受け取っており、美知子は藤次との婚約解消をどう切り出そうか考えていた矢先の話だけに狼狽していると、藤次は寂しく笑う。 「ワシの事、好きか?」 「す、好き…よ。」 「ほんなら、早よ支度してき。とびきり上等な指輪、買うたるさかい。」 「う、うん…」 そうして戸惑いながら、美知子は身支度をして藤次の車に乗って、彼と共に市街地へと向かった。 しかし、車は市街地とは逆の寂しげな海沿いを走っていて、美知子はどんどん不安になってきた。 婚約指輪と言うのは口実で、本当は、浮気を咎められるのではないか。 どうして、何故と詰め寄りなじられるのではないか。 そんな不安を覚えながら助手席に座っていると、粉雪のちらつく中、小さな喫茶店に藤次は車を止め、戸惑う美知子を連れて中に入る。 注文はと聞いてきた店員にコーヒーと告げ、香ばしい香り漂う店内で黙って座っていたら、やおら藤次が、懐から分厚い封筒を取り出し、自分の前に置く。 「な、なに?指輪の代金?別に今出さなくても…」 「ちゃう。」 「えっ?!」 瞬いていると、藤次は深く頭を下げ口を開く。 「なんも聞かんと、それ収めて別れてくれんか?ワシと…」 「なっ…!!」 唐突に出た別れ話に美知子の頭は真っ白になる。 「どうして…」 「せやから、理由は言えへんねや。頼む。後生やから、それ懐に入れて、別れてくれ。」 頼むと、何度も頭を下げる彼を見ている内に、美知子の瞳から涙が溢れる。 「美知子…」 切なげに顔を歪める藤次。 しかし美知子は、藤次に別れを切り出されて悲しいのでは無く、これで浩市と堂々と結婚できると言う思いで胸がいっぱいになり、喜びの涙を、流していたのだった。
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