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 昭和の時代に建てられた家が並ぶ街の生活道路は、東西にある大通りへの抜け道になっている。小学生の通学路にもなっているその細い道には、去年ソフトポールコーンが設置されたが、逆に渋滞を引き起こしているように感じる。 「ぱぱーあるくー」  妻の葉月の両親が三歳の誕生日にプレゼントしてくれた新しい靴が嬉しいのだろう。愛娘の結愛は光汰の腕の中でもぞもぞと身体をよじり、道路に降りて自分で歩きたいと意思を示してくる。 「ゆあタン、駄目だよ。朝は車が多いから、危ないっていつも言ってるでしょ」 「あるくー、あるくー」 「だーめ」  光汰は結愛をかかえ直し、力を入れて抱きしめた。  胸の中にすっぽりとおさまる小さな柔らかい身体。すべすべでもちもちのほっぺ。生まれてから一度も切っていない細い髪。どれもがいとおしくて、抱っこをするとつい力が入る。  すうっと息を吸い込むと、綿あめのような甘い香りがした。  ────あー、俺の最推し、俺の娘、かわいすぎる。ずっとこのまま抱っこしていたい。  そう思うが、自宅から十分も歩けば保育園に到着する。結愛が通う「ひばりのおか保育園」の門扉を開ければ、いよいよ結愛の動きが大きくなった。  壊れ物を置くように地面に降ろすと、結愛は光汰を見もせずに駆け出していく。 「しおたせんせい、おはようございます!」 「おはよう、結愛ちゃん。わ、新しい靴だね。赤い色がかわいいね」 「ばあばがくれたの!」  結愛の保育園生活はまる二年になる。十一か月のときにちょうど入園の時期だったから、育休が残っている間に慣らし保育をしようと葉月が決めたのだ。  光汰は日中は仕事で育児に関われないのに、「可哀相だよ」なんて言って、葉月から睨まれた。  入園当初はやはり結愛は大泣きに泣いて、後ろ髪をひかれるとはこのことかと、光汰は結愛をもっとミニサイズにして、通勤の鞄か会社の作業着のポケットに入れて連れて行きたいと切に思ったものだ──それが今では振り返りもせず担任に駆け寄り、担任に言われてようやく光汰を見て「ぱぱばいばーい」とにこやかに手を振ってくる。  光汰から離れようとしなかった短い赤ちゃん時代を思い出し、散りゆく桜の花びらに自分を重ねながら、初恋に破れた少年のように肩を落として会社に向かった。
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