1 新人捜査官

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 ノックをする前に、中に居た黒髪の青年がアーサーに気がつく。ひょろりと背の高い彼は、あまり年の変わらないアーサーを指で招いた。 「おはようございます、ええと……」 「ミセス。本名はセス。まあ、別にどっちでもいいよ。適当に座って。珈琲は角の棚。今日キミはたぶん瞬きする時間も惜しいほど忙しくなる。今のうちに一息ついとけ。説明は耳だけで聞けるし反応は口だけでできる」  滔々と続けるミセスの言葉に甘えることにして、室内のあちこちに乱雑に置かれているスツールに腰を下ろした。  足を止め、身体を休めると急に疲労が襲う。  ニューヨーク市警察に五年勤めていたと言っても、アーサーの肩書きは巡査だった。主な仕事はNYPDのロゴ入りのパトカーに乗り、制服を着用して街を巡回することだ。殺人事件等は階級が上の刑事の管轄で、制服警官はせいぜい立ち入り禁止のテープの前で立つくらいしか関わりはない。  それが急に殺人事件の捜査に関わる立場になった。分署の刑事と話すことも、化学分析班の研究室に立ち入ることにも、未だに慣れない。 「さて、君の時間と同じく僕の時間ももったいない。この後ワイズマンの解剖室から大量のサンプルが届く。久しぶりに一日が二十四時間って嘘だろ全然足りないんだけどって気分だよ。事件の概要は頭の中で整理済み?」 「一応は。本日十二月十日午前三時頃、新聞配達中の少年がダドリー・クーパーの自宅の庭に埋まっている人骨を発見。すぐに通報。駆けつけた九分署の巡査二名がダドリーに確認をとろうとするも、不在。その後駆けつけた鑑識により人骨であることが確定、直ちにダドリーの所在を確認するため職場に連絡し、彼が一週間前から行方がわからなくなっていることが発覚」 「いいね、簡潔で分かりやすい。ニューヨーク市警察はこの件に関して、魔法使いへの協力を要請した。当FBI管轄部署キャメロットはこれを承諾。そして僕たちがたたき起こされて現在に至る。ちなみに分署の刑事たちの見解は?」 「とにかく、出てきた骨がダドリー・クーパーかどうかの確認が必要だという雰囲気を感じました。彼の足取りを追うとともに、職場等周辺の人物に聞き込みを行い、また鑑識も家を中心に入っているそうです」 「その資料の何パーセントがウチに回ってくるかは、今後の魔法使いとキミの手腕にかかっているわけだ。じゃ、キャメロットの科学捜査分析官の僕から、九分署の取り調べに同行していた新米君に初耳の新情報だ」  ミセスは流れるように言葉を紡ぎながら、机の上の冷めた珈琲を一口含み、淡々と抑揚のない声で告げた。 「朝の時点で発掘された骨は数点だった。しかしその周辺を掘り起こしたところ次々と骨が出た。正午過ぎの現在、ダドリー・クーパー邸の庭から掘り出された骨は、二百五十個程に及んでいる」  その言葉にアーサーが違和感を覚えたのは、この一カ月鑑識から解剖学まで、ありとあらゆる知識を詰め込むことに時間を費やしていたからだ。  そうでなければ、ミセスの言葉にただ間抜けな相槌を打っていたかもしれない。アーサーの勤勉さが、この言葉をひどく不気味なものとして捉えるだけの知識を彼に与えていた。 「……待って、ください、その……多くないですか?」 「多い。大人一人の骨の総計が約二百六個だ。一人分全部揃っていたとしても、四分の一程別の人間が混ざっている。ちなみに切断されている骨もあるが、それにしても多い。解剖学は専門外だから、詳しくはワイズマンに解説してほしいところだけど、彼も今息をしているのが精いっぱいレベルの忙しさだから、僕の適当な説明で我慢して。ついでにその二百五十の骨の中に、犬歯が九本あった。人の歯は上下各十六本、計三十二本。その内犬歯は四本」 「――少なくとも、三人、被害者がいる?」 「正解。たまたま抜けた歯を、たまたま庭に埋まっていた人骨と一緒に捨てた、というのでなければの話だ。後は血液型鑑定とDNA待ち。遺留品はどうなるかわからないけど、人骨の大半はレディがキャメロットに持ち込むことに成功したらしいね。まあ、市内のどんな医者や学者より、キャメロットの変態賢者の方が五倍は仕事が早いだろうから、市警察もやむを得ずの判断かな。あと一点だけ、今の少ないサンプルから分かったことがあるから、キミの捜査の参考と、あと魔法使いの助言の参考にでもして」  DNAの抽出も血液型鑑定も、それなりの時間がかかる。その間ただ珈琲を飲んで待っているわけではない。ミセスはそう言うと、見つかった骨の状態を説明した。 「ほとんどの骨が奇麗すぎるんだよ。奇麗に肉と筋をそぎ落として、まるで磨いたかのように表面がつるりとしている。付着している脂肪もない。ただ埋めて腐敗して骨だけ残ったからじゃない。そんなに古い骨じゃない」 「それは、洗った、ということですか?」 「近いね。洗ったのは洗ったみたいだけど、証拠隠滅の為じゃない筈だ。土まみれの人骨の表面からは、微量のパントテン酸とナイアシンと塩分が検出された。どれも食用の物質に含まれるものだ」  その事実から導かれる答えは少ない。 「洗ったんじゃない。出汁をとったんだ。スープの中で、肉と筋が溶けるまで煮てね」  人の骨で出汁を取る。  思わずその光景を想像してしまい、アーサーは口元を押さえた。朝食を抜いていて良かった。もし朝、ベーコンやハムを口にしていたら、その匂いと食感を思い出して胃の中のものを意識してしまいそうだった。 「…………加害者は、シェフの……ダドリー・クーパーなんでしょうか」  こみ上げる何かを飲みこみつつ、アーサーがどうにか吐きだした言葉に、ミセスはどうだろうねと感情の無い声を返す。 「食人シェフだなんて映画かミステリ小説の題材みたいで笑えないから嫌だね。詳しくは鑑識が拾ってくるダドリーのDNAと照合してみないとわからない。まだ被害者が何人かもわからない。僕達がやるのは被害者が何人で、そしてどうやって殺されたのか。その解明と分析だ。そしてキミがしなくちゃいけないのは魔法使いの言葉を聞くことだろ?」  これから魔法使いのところに行くのだろうと問われ、素直にアーサーは頷く。  午前中にまた分署に戻り、ダドリーの働いていたレストランの従業員の事情聴取に立ち会い、その後アーサーは件の『魔法使い』のところに行かなくてはいけなかった。  NYの地下には魔法使いが住んでいる。そしてその魔法使いは、自分を保護してもらう代わりに、警察に協力し凶悪事件の解決に一役買っている――そんな都市伝説を、確かにアーサーも耳にしたことがあった。  小さな子供から、巡回中に声をかけられることもあった。  ねえ、この街の地下に、魔法使いがいるっていうのは本当?  そう首を傾げられる度に、おとぎ話やヒーローを信じる子供たちを微笑ましく思ったものだが。  まさか、本当に魔法使いが存在していたとは思いもしなかった。  そして、何故かその魔法使いの相棒に、ただの巡査だった自分が抜擢されるなど、それこそヒーローもののコミックアニメのようだ。未だに現実についていけず、時折これは夢か何かではないかと思ってしまう。  地下に住む魔法使いは、アーサーが想像していたよりもより一層ファンタジー的な存在だった。けれど、確かに存在し、そして意志を持ち、その言葉できちんとアーサーに挨拶をした。  まだ、その存在をきちんと飲みこめていない。地下室から動けない彼のサポートをすると言う事は理解している。仕事の説明で不足していることはない。ただ、その存在がアーサーの人生と、アーサーの世界にまだ馴染まない。  まだ四度程しか会っていない魔法使いの事を思いだし、憂鬱に似た感情を持て余していたアーサーの心情を見抜いたように、珈琲を飲みほしたミセスは目を細めた。 「何、まだ魔法使いと打ち解けてないの? 向こうはいたくお気に召したって聴いたけど」 「……表情がわからないから、どうもうまく感情を読み取れなくて」 「読み取る必要なんてないだろ。勝手に向こうが全てを理解する。新人、いいか、僕からの助言だ。彼の前で誠実を作る努力はやめろ。そんなものはすべて無駄さ。魔法使いは虚勢も動揺も嘘すらも見抜く」  それが、魔法使いの魔法なんだから慣れるしかない。そう言われてしまえばそれまでで、その通りなのだろうとは思うがやはり憂鬱は消えなかった。
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