1 新人捜査官

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 他の分析官から呼ばれ、軽く手をあげて去っていくミセスの背中に礼を投げかけ、研究室から出たアーサーは、その足で分署に戻り予定通りに何人かの尋問に同席した。  そのほとんどがあまり価値のある証言ではなかった。分かったことと言えば、ダドリー・クーパーは比較的問題もなく、日々ごく平凡に暮らし、そして一週間前に忽然と職場に来なくなったということだけだった。  同僚達は警察に通報はしなかった。レストランは過酷な仕事で、連絡もなく辞めていくスタッフは稀にいた。流石にシェフが急に辞めるという前例はなかったが、ダドリーは遅刻を繰り返していたのであまり信頼が無かったようだ。その上彼にまかされていたのは野菜や肉の下準備ばかりで、ダドリーが居なくなって困るようなメニューもない。  他に良い職場を見つけたのかもしれない。そう思っていた矢先のことだったと、レストランのオーナーは涙を見せた。まだダドリーがあの骨の中に混じっているのかはわからないが、どう説明されたのか同僚達は皆彼が死んだものだと思っているようだった。恐らく、人を殺せるような度胸のある人間ではない、というのがダドリー・クーパーの印象なのだろう。  全ての尋問が終わった頃には、午後の三時を回っていた。  流石に何か食べないとエネルギー切れで倒れてしまいそうだ。眩暈を感じたアーサーは適当なダイナーでサンドイッチとミルクシェイクを頼んだ。メニューにはハンバーグがみっちりと詰まったサンドイッチもあったが、匂いで吐いてしまいそうだったので諦めた。  情けない事だが、午前中にミセスから聞いた言葉が、頭から離れない。 『出汁を取ったんだ』  人間の骨を、スープと一緒に煮込んで出汁を取る。もしかしたら、骨だけではなく肉も入っていたかもしれない。ぐつぐつと煮込まれる赤身の肉を想像してしまい、また、頭を押さえる歯目になった。  こんなことでへこたれていてはこの先、仕事を続けられるわけがない。アーサーがなんとか古びた建物の前に立てたのは、持ち前の正義感と真面目さのお陰だった。  地下室の魔法使いに会う為にはまず、今にも崩れ落ちそうな古びた建物の中に入らなければならない。その建物はメインストリートから少し外れたうらぶれた路地に、まるで捨てられた工場のような面持ちでひっそりと佇む。  蹴ったら止め具が外れそうな錆びた扉は、実際にはひどくぶ厚く、押すだけでも相当に重い。二枚続く頑丈な扉は鍵が無いと開けることはできない。さらにその先には指紋認証の扉があり、そこをパスして初めて地下への階段を目にすることができた。  鉄の階段を下りる度に、重い靴の音がする。  暗い廊下の先には、魔法使いの部屋へと続く扉がある。その両サイドにはいつものように二人のスーツの男が立っていた。扉の前はエントランスの様な空間があり、椅子やチェストが設えられている。部屋、というよりは物置のように感じるのは、窓が一切無く、照明も絞られているからだろう。  扉の右に立つ黒人がレジー。左に立つ白人がケヴィンだと自己紹介されたのは一カ月前の事だ。彼らに会うのは今日で五回目だが、きっちりと黒いスーツを着こなした姿は見るからにブラックメンという面持で、警察機関というよりもっとアングラで怪しい職業に見えてしまう。  魔法使いの扉の左右に立つ彼らは、そのまま『L(左)』と『R(右)』のあだ名をつけられているらしい。ただアーサーは名前の方が覚えやすかったので、彼らをレジーとケヴィンと呼んでいる。  白い歯を見せたレジーは後ろで組んだ手をそのままに、やぁ新人、と豪快に声をかけた。 「ついに本格的な難事件だな。ここのところ、魔法使いが駆り出されるようなでけえ案件は無かったからな。おまえさんと魔法使いの相性が試されるってわけだ」  それを受けて、アーサーが口を開く前に声をあげたのは左側のブロンドの男だった。 「レジー、彼にプレッシャーをかける遊びはやめろ。新しい坊やにはじめましてから説明しなければいけないのは苦痛だ。ようこそアーサー・スチュワート。レディから報告は貰っている。銃はそちらの金庫に。この部屋の中に入るにはいかなる武器も携帯してはならない。ペン一本ですらな。故に君は俺たちのボディチェックを受ける義務がある」 「了解しています」  ケヴィンの言葉はいつでも一語一句同じだ。まるで市警察が容疑者を逮捕した際に読み上げるミランダ警告のようだ。元来真面目にそれを読みあげていたアーサーは、それがうんざりするほど毎回同じ言葉だったとしても、ケヴィンに悪態を吐いたりはせずに、大人しく規則に従い銃と筆記用具と携帯を金庫に入れ、鍵をかけた。  必要なのは小さなボイスレコーダーだけだ。魔法使いとの会話はすべて部屋内で録音、録画されている。手帳に書きとる必要も、暗記する必要もない。  非番だろうと銃を携帯している生活だった為、それを手放すのは少しだけ心もとない。しかし、魔法使いの地下室に入るには、何者もその身一つにならなくてはならない。それは、魔法使いの重要性や、彼の脆弱な体質を考えても仕方がないことだった。  レジーによるボディチェックを終えると、彼は強い力で背中を叩く。思わず噎せている間に、力強い笑い声がした。 「なに、緊張するな! 何事も慣れと経験だ。おまえさんが悲惨な現場で吐く事があっても、俺達にはウォーロックがついている。さあ、被害者の骨の為に、見て、聴いて、そして得たものすべてを魔法使いに受け渡して来い。それがおまえさんの役目だ」  ひりひりと痛む背中をさすりながら、アーサーは情けない顔で頷くことしかできなかった。自分はただの手足だ、と頭は理解している。それでも、初めての捜査となれば、緊張もするし気負いもある。  アーサーの咳が収まったタイミングで、ケヴィンはいつものように表情一つ崩すことなく、決まり文句を告げた。 「アーサー、それではまた一時間後に。何か不都合があった際はブザーを鳴らすこと。後はウォーロックが全てを聴く」  息を吸う。少しカビ臭い、古い水のような匂いの空気が肺を満たし、ゆっくりと吐きだされる。  背筋を正す。ゆっくりと、その重い扉は開かれた。
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