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2 魔法使い
地下室の魔法使い、と聞いて想像するものは皆それぞれ違う。
幼いアーサーはそのおとぎ話を耳にしたとき、豪華な隠れ家で優雅に紅茶をたしなむ紳士を思い浮かべた。赤いマントを羽織った彼は、ステッキのひと振りで犯罪者を打ちのめしてしまう。
しかし長じてからは、魔法使いは牢獄に囚われているのではないか、と想像した。
豪華な地下室で暮らす魔法使い。牢獄に囚われ事件協力を強いられる魔法使い。
この噂を知るNY市民は皆、思い思いの魔法使い像を描いていることだろう。
しかし、実際の彼の姿を完璧に妄想している者は、きっと一人もいないに違いない。
独特な水の匂いを吸い込み、もう一度深呼吸をしてから、アーサーは地下室の殺風景な広いバスルームの真ん中に設えられたバスタブに近寄った。
並々と湛えられた水の中に、魔法使いは沈んでいる。
いつもアーサーは、どう声をかけるべきか迷う。窓一つないこの地下のバスルームには、時計すらもない。物と呼べる物は、バスタブ以外にはほとんど存在しない。
なにもないこの部屋で生きる彼に、はじめにかける言葉は外界と同じ挨拶でいいのだろうか。それとも、朝初めて出会った同僚のようにグッドモーニングから会話を始めるべきか。
迷ってしまうのは、アーサーが声をかけること自体に躊躇を覚えているからだろう。
魔法使いにはまだ慣れない。この先、慣れることがあるのだろうか、と、透明にたゆたう水中のにび色を眺めて不安を飲み込んだ。
個人的な感情で戸惑っている場合ではない。今は、事件が最優先だ。そう思えたのは、満たされた水で煮炊きされた骨を連想したからだ。
しかしアーサーが声をかける前に、水面が揺らめき、ヘッドホンが見えた。
ちゃぷん、とそれは浮き上がる。水面に顔を出した魔法使いは、アーサーを認めると少し笑ったようだった。
本当に笑ったのかどうかはわからない。彼には人間の様な瞼がなかったので目を細めるという動作がない。口の周りの皮膚も硬いらしく、笑顔を作るという動作ができないのだと聞いた。
NYの地下室に住む魔法使いは、マントの紳士でも、自由を求める囚人でもない。
ではそれが何か、といわれたらアーサーにはわからない。彼の見た目はあまりにもファンタジーだった。
一番近いのは魚だろう。全身は鈍く光る鱗のせいで何色かと問われるとうまく説明できない。水族館でみたアマゾン原産のアロワナの鱗の輝きが、今のところ一番似ていると思う。淡水魚よりはもっと、きれいで青いけれど。何にしても人の肌とは全く違うものだ。
それでいて彼には頭も首も肩も、人間を模したような四肢も指も存在した。
人魚といえるのかもしれない。ただ、彼を目にした者は十人中十人が確実にこう答えるだろう。
半魚人。
それが、魔法使いことイムルスの外見を表現するのに、今のところ一番適切な言葉であった。
バスタブから首のあたりまで顔をのぞかせたイムルスは、耳に当てたヘッドホンをずらした。彼はいつもその耳を守る為か、防水のヘッドホンをしている。
「やあ、アート。とても久しぶりな気がするのは、君が忙しかったからかな。とうとう、君が現場に駆り出されるような事件が起きてしまったんだね」
アーサーを見てほほえんだ気配を出したイムルスは、最後の言葉あたりで少し声のトーンを落とした。その声と雰囲気は、深い悲しみに満ちている。
不思議な声だ。深く、耳に響くけれど低くはない。だからと言って女性的な高さもない。
人間の性別を分ける外見的特徴を、彼は有していない。髪の毛もなければ、胸の膨らみも性器もない。他の皆がイムルスの事を『彼』と称すので、アーサーもまたそれに倣った。
ここまで外見的なインパクトが大きいと、性別などというものは些細な問題に思える。イムルスが彼であろうと彼女であろうと、アーサーの仕事には特別な関係はないし、また支障もない。
今朝発覚した痛ましい事件を、イムルスはすでに知っていた。
ミセスやワイズマンが拾い上げた情報は、まとめて整理され魔法使いに渡る。アーサーの仕事は、魔法使いに事件の説明をすることではないので、時間短縮はありがたいことだった。
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