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1 side山 指輪を置いたのは
「良いか、必ず最後まで観ろ。そして高評価ボタンを押せ。絶対だぞ」
「あー、もう。うるせぇな。解ったよ!」
ぞんざいにそう言って、俺を追い払うようにする赤い髪の男に、俺は「本当に解ってるのか!?」とさらに告げる。赤髪の男、星嶋芳は面倒そうにしながら、はぐらかす方が面倒だと解ったようで、大きく頷く。
「解ってるよ。天海マリナ、だろ?」
「そうだ。頼むぞ」
念を押してそう言う俺に、星嶋は疲れたように溜め息を吐いた。比較的大声で念押ししてしまったが、気にする者はいなかった。丁度、夕食前ということもあり、寮内はどこかざわついている。ラウンジを利用しているのも、俺たち以外に何組かいる。
俺、榎井飛鳥が暮らす、夕日コーポレーションの運営する夕暮れ寮は、独身男子寮ということもあり、騒々しい雰囲気がある。仕事の話で盛り上がることもあるし、愚痴もある。世間話もあるし、下世話な話も飛び交う。集団行動は得意ではない方だが、夕暮れ寮は過ごしやすかった。こうしたラウンジのような設備があるというのも大きい。夕暮れ寮は朝日コーポレーションが持つ社員寮の中でも食事が美味しいと評判だし、自由に使用できるラウンジや談話室などの施設が整っていた。門限などのわずらわしさはあるが、環境は良い方だと思う。
「まあ、良いよ。案外、気分転換になるかもしれないし」
そう言ってポケットに手を突っ込んで、何かを触る仕草をする。多分、ここのところ彼が見たくないと言いながら持ち歩いている指輪のせいだろう。
「……」
同僚の星嶋は、最近彼女と酷い別れ方をしたらしく、荒れていた。指輪を弄っているのは未練ではなく、怒りからのようで、ぶつけたい怒りをどうして良いか解らない様子だった。
「そう言えば良輔もうまい酒が手に入ったって言ってた」
「ああ……」
返事は曖昧だ。心ここにあらずなのだろう。良輔たちも星嶋のこんな様子を気にしているようで、飲みに誘ったのだ。
「榎井、お前は騙されるなよ」
じっとこちらを見て、星嶋がそう言う。実感のこもった言葉だ。
「大丈夫――。画面越しの相手に入れ込んでも、未来がないのは解ってる」
最愛の『推し』ではある。だがまだ本気じゃない。俺は『リアコ』じゃないんだ。リアルに恋なんかしていない。あくまでも、応援したい、頑張って欲しいと思っているに過ぎない。
「なら良いけど」
少しもそんなことを思っていない様で、星嶋はそう言って目を逸らした。
◆ ◆ ◆
星嶋芳、押鴨良輔、渡瀬歩の三人は、俺の同期仲間の寮生である。夕日コーポレーションの同期組は他にもいるが、この三人は同じ夕暮れ寮の人間として、特に親しくしてくれている。リーダーシップを発揮するのは、兄貴肌の星嶋だったが、なんとなく四人を繋いでいるのはムードメーカーの渡瀬で、控えめながらストッパーを担っているのが良輔だ。俺の方はツッコミ役に徹している。星嶋は赤い髪をしているし、良輔は金髪。渡瀬は茶髪と、見た目は俺以外はパリピだが、案外気の良い奴らである。
「宇佐美って居たじゃん。同期で入社して、二年くらいで茨城支店に行ったヤツ。アイツ結婚だってよ」
「へえ、良く知ってるな渡瀬」
渡瀬の無神経な発言に、のほほんと返事をしている良輔を足で蹴る。同期四人の飲み会と言えば、大抵は外ではなく良輔の部屋だ。門限を考えると、誰かの部屋で飲む方が良かったし、良輔の部屋は何故か落ち着く。
「おい、お前ら」
隣から不穏な気配がした。星嶋は不機嫌そうにグラスを置いて、空いたグラスに酒を一気に注ぐ。それからまた一気に飲み干した。
先日、結婚まで考えていた彼女に二股をかけられていたというのに、『結婚』のワードは空気が読めなさすぎである。渡瀬も気づいたようで「あ」と気まずい顔をした。
「おい、星嶋。良い酒をそういう風に飲むな」
瓶を奪い、良輔と渡瀬にも注ぐ。渡瀬が営業先から貰ったという日本酒は、人気で入手困難な品だ。浴びるように飲むには勿体ない。
「星嶋には俺がスペシャルドリンクを作ってやる」
そう言って、俺は星嶋の空いたグラスにウイスキーを注ぎ、そこにウォッカを注ぐ。ウイスキーのウォッカ割りだ。ちなみにちゃんとしたカクテルである。まあ、本来はウイスキーはドランブイを使うが、無いので適当だ。その度数およそ40度。
「ほらよ」
「……」
星嶋は怪訝そうな目で俺を見た。じっと見返してやると、恐る恐るグラスに口をつける。
「えー、良いじゃんそれ。俺にも」
「よせよ渡瀬」
「榎井、良輔にも」
渡瀬が乗る。まあ、良いだろう。渡瀬も酒は強かったはずだし。渡瀬には星嶋と同じく、良輔には半分の量で作ってやる。二人とも酒の強さに顔をしかめたが、すぐに慣れたのか美味そうに飲み始めた。
「悪くないな」
「ピーナッツ取って」
「おかわりっ!」
「明日休みだからって……」
軽快に飲み始める三人に、笑いながら自分は貰ってきた良い日本酒を傾ける。飲んべえには勿体ない。俺が味わっておこう。
やがて用意してあったつまみがなくなり、酒の空き瓶が増え始める頃には、三人ともすっかりフラフラだった。
「う、うーん……」
真っ先に潰れた良輔をベッドにのせ、床に転がって瓶を抱えて眠ってしまった渡瀬に布団を掛けてやる。
「……俺は、まだいけるぞ……」
フラフラの癖に強がってそう言う星嶋に、呆れて肩を竦める。
「もう良いだろ。お開きにしようぜ。俺、便所行きたいし」
「ああ……。俺も行く……」
吊られて立ち上がる星嶋だったが、足取りはかなり怪しかった。良輔と渡瀬を置き去りにして、部屋を出る。鍵は掛けていないが、寮内のことだし問題ないだろう。いつものことだ。渡瀬も起きたら、自分の部屋に戻るだろう。
「うう……」
口元を押さえながら歩く星嶋を連れて、トイレに向かう。ハイペースで飲みすぎたせいで潰れてしまったが、まだ門限にはなっていないようで、廊下はまだ明るかった。
用を足して扉を開けると、星嶋が壁にもたれ掛かってうとうとしていた。
「おい、星嶋。起きろ。トイレの床で寝たいのか?」
「俺は、平気だっ……!」
強がって俺の手を振り払い。よろよろとトイレから出ていく。その後ろ姿を見て溜め息を吐いていると、ふとカツンと金属音がした。
「ん?」
金色に光る、小さな指輪だ。どうやら星嶋が落としたらしい。
「――…」
手にとって、そのまま追いかけて手渡すのを、躊躇う。
未練。では、ないはずだ。傷つけられた怒りとプライドで、どうして良いか解らなくなっている友人に、指輪を返すのは何か違う気がした。
(誰かが、拾って売り払うかも知れないけど……)
洗面台の上にそっと指輪を置き、星嶋を追いかける。今は、あの指輪は失くしたと思っていた方が、幸せな気がした。
「おい、星嶋。大丈夫か?」
「うぇ」
「吐くなよ」
星嶋は俺と同じ三階に住んでいる。306号室に星嶋を送り届け、自分の302号室に帰る。
「ふぅ」
302号室の扉を開けようと言うところで、ふと隣の301号室の扉が開いた。
「ん? おお、榎井」
「高田先輩。ども」
先輩は大きな段ボールを抱えていた。荷物を送るために一階へ行くのだろう。送り状を用意しておけば、翌日配送業者が来てくれるのだ。
「悪いな、夜遅くにうるさくして」
「大丈夫ですよ。気になってません」
「実は、寮を出ることになってさ」
そう言う先輩の顔は、どこか嬉しそうに緩んでいた。
「そうなんですか?」
「そ。同棲すんの。結婚前提でな」
自慢げに笑う先輩に、つられて笑う。なんとまあ、羨ましい。俺も嫁が欲しいぞ。
「そりゃ、おめでとうございます」
先ほども同期が結婚という話を聞いたばかりだというのに、結婚づいている。俺には縁がないっていうのに。
にやけがおの先輩に挨拶し、部屋に入る。
(と言うことは、しばらく隣、空くのか)
だからどうということはないが、次に来るヤツはどんなヤツだろうかとは、思う。出来れば、気の合うヤツだとありがたい。
「ん。今日配信しないって言ってたのに、メン限配信してんじゃん」
スマートフォンの通知を確認すると、マリナちゃんがメンバー限定で配信をしていた。慌ててアプリを起動する。配信は丁度、始まったばかりだった。
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